最終話 初夏の追慕





「ふざけないでよ!」




私は悲しみと苦しみに打ち拉がれた心の隅っこから絞り出す様に声を上げて、マサトのボディバッグを本棚へと投げ付けた。どうにもなら無い現実に心が打ち砕かれそうな自分自身に八つ当りしたかったのだ。


 そして私は、もう何度目かも判らないが泣き崩れ、腰を落して横になった。


 その時、私の顔に何かが落ちて。それは硬くてそんな物が額に落ちた私は痛くて額を押さえた。本棚へ投げ付けたボディバッグで傾いて落ちて来たのだ。自業自得である。


「いった~...」


思わず声に出して。その硬い物を拾い上げると、それは『星の王子さま』であった。私はページをパラパラと捲り、本の裏表紙に目をやると。そこには『水本エリ』と名前が油性マジックで書かれていた。


 私はその名前を見ながら、まるで走馬灯の様に。マサトと初めて出会った学級閉鎖の教室を思い出した。二人で貯水タンクの屋上へ侵入した事を思い出した。離ればなれになってマサトを思い続けた事を思い出した。そして、大学でマサトと再会した日を思い出した。大学で二人で過ごした日を思い出した。そして地元でマサトと二人で暮らし始めた日を思い出した。


 どれも楽しかった記憶なのに、何か一つ足りないだけで。それは悲しい過去となり。


 苦しい。辛い。痛い。確かにそんな気持ちで私の心は砕けてしまいそうになっている。しかし、そんな心の中でも。確かに熱く蠢く心も私の中にハッキリと生き続けている。その事を私の心臓が教えてくれた。


 私はそのまま『星の王子さま』を横に置くと。そのまま私はよつん這いで座卓の反対側に在る箪笥まで進んで行き。箪笥の一番下の引き出しを開け、中からA4サイズの封筒を取り出すと。またバタバタとよつん這いで先程よりも早く歩いて座卓の所へ向かった。


 座卓の上に封筒を置いて中身を取り出すと。そこには以前に書いたマサトの小説の原稿が入っていた。そうあの時の『エリカと空の世界』である。私はそれを座卓の上で少し読んで広げ指で撫でた。


「ねっ。マーくん。有るのよ。」


そう呟いて、私は立ち上がった。そしてゆっくりと窓辺へと歩いて外を見た。この街の初夏を彩る花火大会の火薬の匂いとカラフルな火の灯りの乱反射。私はこの風景に伝える様にハッキリと強い声で言った。


「マーくん。人は何いずれ誰でも死んで行くわ。そして何れ忘れ去られて、何れ消えてしまうの。」



「でもね。」



「この世界の中で、消えた物語は一つも無いのよ!例えどれだけ年月が過ぎても!例え不都合な人がその物語を消し去ろうとしても。誰かが必ず伝えて。誰かが必ず探し出して。どんなに消えたと思われたとしても。消えた物語なんて一つも無いの!」


私はその自分の発した言葉と共に、心の中で何時までも霞んで曇らせた靄は消え。悲しみや痛みは心を燃え上がらせる薪となった。私はその想いのままに拳を握り。窓の外の風景へ伸ばした。


 そして振り返ると、箪笥の一番下の引出しから真っさらの原稿用紙と筆記用具を取り出し、座卓へ並べると私は鉛筆を握り。書き込んだ。そしてその原稿用紙を両手で広げてこう言った。


「マーくん。貴方の創った物語は私が繋げるわ。」


そう言うと私は自分の左手の薬指をチラッと見るとフッと軽くひと息吐いて


「婚約指輪の代わりに、貴方の名前を貰うわ。私は今日から『谷原たにはらエリ』よ。いいでしょ?そのくらい。」


「そして、悪いけど『エリカ』は名前を替えさせて貰うわ。だって流石に自分の名前を使うだなんて恥ずかしいもの。何て名前にしようかしら?そうねぇ。美しい空を取り戻す物語だから、美しい空と書いて『美空みく』ちゃんなんてどうかしら?私とマーくんの子供だよ。」


「貴女は私とマーくんから愛されて生まれて、この物語の中で沢山のお友達と出会って、沢山の冒険をして。そして、愛する私達の所へ戻ってくるのよ。」




「頑張ってね。美空ちゃん。」




私が広げた原稿用紙の真ん中には括弧書きで、こう書かれている。



『ミクと空の世界』



「まだ幼いけど、少しだけなら恋も許してあげるわ。だって貴女は素敵な恋から生まれたんだから。」


 私はそう言うと手に持つ原稿用紙を裏返し座卓へ置くと、座卓に広げた真っさらの原稿用紙に鉛筆を立てて。私とマサトの子供となる美空が空の世界を救う物語を綴り始めた。


 この街の初夏を彩る花火は止んで、消える想いと残った想い。その二つは結び合い新しい物語を生んで。去り行く霊たましいに思い出を募らせ、そして前を向いてこの世界をまた創り出す風となった。初夏の追慕。




花火と幽霊、初夏の追慕






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花火と幽霊、初夏の追慕 橘 六六六 @tachibana666

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