第39話 花火と幽霊
僕は壁に背中を付けて脚で蹴り上げながら、体を起こせる事に気付いて。起き上がろうとしたが。その瞬間に右足が足首まで砂になり崩れ落ちて、上手く地面を蹴れずにまた転がり。歩道の上で仰向けに寝た。
その間もお構い無しで花火は上がり続け、僕はそれを眺め続け。
すり抜ける僕の身体を、お構い無しに踏んだことも気付かず。花火を見上げて
「やあ、綺麗だね。」
何て口にしながら恍惚の笑みを浮かべ、談笑を肴に幸せを満喫する家族や恋人たちが僕の上を通り過ぎて行く。
僕は横に転がり、元の壁の位置まで戻ると上体を起こし。もたれ掛かり。
「こんなにも悲しい僕を前に、何処までも美しく開きやがる。怨めしいな。怨めしい。」
「怨めしい...」
そう呟きながら、次々と上がる黄金色の連発花火は次々と夜空に花開かせて。それは、まるで昔にエリと行った向日葵畑の様で、僕は最早拭う事も出来ない涙を溢し滲む花火の黄金色の渦に飲まれて行った。
本当に僕はエリが大好きであった。初めて出会ったあの日から。
...。初めて出会ったっていつからなんだ。そうか。遂に僕の記憶まで消え出しているのだ。
忘れたく無い。
エリと過ごした日々だけが僕の最後の持ち物なのだ。ほら、左足ですら崩れ落ちて無くなった。もうここから動く事も出来やしない。それすらも僕から奪い何も残さずに消そうって言うのか。そう言えば昔出会った『水本』って娘は元気にしているだろうか?もう会うことも無いだろうけど。
そんな事よりも僕が消えてしまえば。エリも僕の事を忘れてしまうのだろうか?昔に有った出来事なんてボヤけてしまう様に。エリの悲しみが消えてくれるので有れば嬉しいのだが。それはそれで僕はやはり寂しく、悲しかった。
「エリ...」
どうせ消えてしまうので有れば。最後にエリの顔を見ていたかった。なんで飛び出してしまったのだろうか。そうだ、僕はエリの悲しみが痛くて、苦しくて、堪えきれなくて逃げ出してしまったのだ。
「嗚呼、全てが怨めしい。」
そう呟いて眺めた夜空は星々の下で、輝き狂う沢山の花火が彩り。青く枝垂れる花火の横に赤く小さい花火が開き。黄色く大輪の輝きが二つ開くと、下から吹き上げる様な花火が上がる。
「もう、音も聴こえやしない。」
僕は美しく誇り。開く大輪の花火達の光りを全身に浴びながら、エリの事を思った。あの長く艶の有る髪にもう一度触れたい。あの切れ長の眼で優しく見詰められたい。
もう一度あの頃の様に夢を語り合いたい。そんな僕を励まして支えて貰いたい。夢ってなんだったっけ?僕が追い掛け続けていた大切な夢って。
どんどんと奪われていく記憶が、掛け替えの無い大切な物なのに。そんな事も関係無く消えていく。
そんな僕の虚しさも、悲しさも関係無く人々が笑い行き交う。花火は夜空を彩り続け、人々はそれに夢中で喜ぶ。
僕の右足はもう腿の付根まで消えてしまった。僕にはもう思う事しか出来ない。涙は溢れて来るばかり。ボヤけた星空とボヤけて光輝く花火。
僕は。微笑み僕の頬を撫でるエリの事を想像するのだが、もう名前も出て来なくなっていた。大切な人で有る事は覚えているのに、ひどく抽象的で僕は感情をぶつける先も判らずに、ただ藁をも掴む思いで空に向けて懇願した。
「大切な人なんだ。止めてくれ。」
「思い出だけしか無い僕の思い出すらも奪おうと言うのか。」
僕は声に出して願った。そんな僕を笑うかの様に花火は輝き続け僕を照らす。
そんな中で僕はどんどん記憶を失って行く。僕の大切な人。名前は何だっけ思い出せないや。そう言えば昔、貯水タンクへ一緒に登った女の子が居たな。水本だったっけ。僕の本当に大切な人ってその子だったのかもな。
僕は失われていく記憶の中で、崩れ落ちて行くパラつく身体のままで。ボヤけた光る人の形をした様なよく判らない物が、失われていく視力の中で僕の方へと近付いて。僕を向いて立っているかの様に見えた。
それは人なのか、なんなのか判らないけれど。これはきっと僕の中で最後の出来事なのだ。僕はその物に話しかけた。失われていく僕の思い出を誰かに。最後の可能性として託したかった。僕の物語を知って欲しかった。その先が何か解らない物で有ったとしても。それが疎らに消えてしまった不確かな記憶だとしても。
「これは僕の記憶のお話しです。結してあなたの記憶では有りません。僕の頭の中に在るもので、あなたの頭の中に在るべきものではありません。これからお話しする事は何れ忘れてください...。」
もう何をどう話して良いのかも解らなくなった僕は。話し途中で粉々になった僕は空に舞い、物語を綴る星空に、打ち上り続ける花火の中に消えて行った。
身体も
記憶も
想いも
夢も
愛も
何も残らず
この雄大な川の流れる町の花火の中で失われていく物語として何事も無かった様に瞬く星空の下で。
消えてしまった花火と幽霊の話し。
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