091.唯一の寝間着
壁に設置してあるエアコンが動きを止めてから少なくない時間が経った。
昼と夜の寒暖差さえ除けば過ごしやすく、これ以上無い最高の季節となった10月。
もはやゾンビのようにウダウダ文句を言っていた日が嘘のように涼しくなって、窓を開けていれば涼しいそよ風が舞い込んでくる。
開いた窓から聞こえてくるのはスズムシだったりキリギリスだったり、よくわからない虫の音色。
静かな夜を彩るように奏でるそれは決して不快ではなく、むしろ耳触りの良さを噛み締めながら夕飯を食べ、壁に寄り添って適当にスマホを触っていた。
今日は、いろいろなことがあった。
文化祭をハクと回っていたら母さんたちに絡まれ、戻ったら戻ったで何故か俺がナンパされ、最後には怜衣さんたちの両親が来るときた。
アーニャさんと重敏さんに関しては、確かに最初呼ぶとかいう話が出ていた。しかし相手は大企業のトップ。まさか本当に来るだなんて思いもしなかったのだ。
だから、油断していた分余計に疲れた……。怜衣さんは重敏さんとの件でちょっとひと悶着あって更に大変そうだったし。
あぁ…………やっぱりTシャツって最高だ。
この胸元のユルユル感。これはウェイターのスーツでは決して味わえない感覚。
あの服も昼になる頃には慣れてしまったけど、それでも苦しいものは苦しい。終わった時の開放感なんて格別だった。
それもあと1日か…………。もう1日、あの格好で頑張るのか。
「…………またミスった」
さっきからスマホで適当にサイト巡回しているが、慣れない左手で触っているものだから誤タップが多い。
もう何度目的と違うサイトに行ってしまったか数え切れない。
もちろん慣れている利き手でやれば全て解決だ。…………しかし、そう上手くいかない事情だってある。
「…………ねぇ」
「ん~?」
「…………そろそろ、飽きない?」
「ん~」
言葉は同じだが、二度目の言葉はイントネーション的に否定だろうか。
俺は右にいる人物へと視線を移す。
「それ、楽しい? 柏谷さん」
「ん~」
さっきのはたぶん……きっと……肯定かな?
壁に持たれながら座る俺の右隣にぴったり張り付いて座るのは、柏谷さん。
彼女は夕飯を食べ終わって洗い物をしてくれてからずっと、こうやって横に座ってひたすら俺の指を触っている。
指の一つ一つを、関節ごとに区分けしながらプニプニ、サワサワと。
その感触を確かめるように自らの指で挟んでプニプニと形を変えさせたり、指紋をなぞるようにサワサワと指に触れている。
時には爪を撫でたり、関節のシワをこすったり。
まさに観察とでも言うのだろうか。
彼女は何を言うまでも無く、その一本一本をひたすら触れてくる。
あと、相変わらずその身を包む服は袖なしのロングスカート。やっぱり脇の部分から下着が見え隠れしている。
「指なんか触っても楽しくも何ともないと思うんだけどなぁ…………」
「ん~……………んっ!次っ!!」
「えっ!? 柏谷さん!?」
親指から始まって小指まで。
最後の関節を触れ終わった彼女は勢いよく身体を起こしてグルっと目の前のテーブルを回りはじめる。
ほぼ一周して左側に座り込んだ後、今度は同じように左手の指を触れ始めた。
……なにこれ、新手の罰ゲーム?
行動が謎だし恥ずかしいし。あ、でも左に回ってくれたお陰でスマホは触りやすくなった。右手なら誤タップも少ないだろうしゲームでもしようかな?
「――――ねぇ」
「うん?」
ゲームでもしようかとホーム画面に戻ったところで聞こえてくるのは柏谷さんの声。
彼女は呼んでくるも指に触れるのはやめること無く、その視線だけが上目遣いでこちらに向かっている。
「アンタ……なんで何も言わないの?」
「何って……今の行動のこと?」
なんでって……行動の目的は謎すぎるけど特に被害なんてないしなぁ。
精々スマホが触りにくいのと恥ずかしいことくらいだ。むしろ、今も腕を抱きしめるようにしてるから二の腕に柔らかな感触が伝わってきて……どちらかと言うとプラスです。
「それもそうだけど……。違うわよ。あたしが夕飯食べに来たり……その……毎日してる頬のアレのこととかよ」
あぁなるほど。
夕飯はね……。柏谷さんの料理っててんでダメだけど、自分でも自覚してるのか向かいの怜衣さんらの家行ったり、スーパーで買ってたりしてるみたいだし、特に負担も増えないから何かを言う気もない。
毎日してるアレは……頬へのキスのことか。
「そういや今日はやってなかったね。 もしかして、怒られたくてやってたの?」
「そんなんじゃないわよ……。 なんでアンタ、付き合ってもないあたしのことをそんなに受け入れてくれるのよ……」
「あぁ…………」
なんでだろうね。確かに全部彼女から来て俺は終始流されっぱなしだったけど、本気で嫌がろうと思えばできたはずだ。
それさえしなかったのは……うぅん……。
「あたしが好みの女の子だったから?」
「…………いや」
「それとも、あたしの胸がおっきいから?」
「…………いや」
「じゃあ、ただ彼女の親友だから?」
「…………いや」
俺にも、わからない。
どれも違う……といえば嘘になる。 下心が無かったといえばそれは嘘だ。
しかし、結果として受け入れてきたのか流された結果なのか、俺が望んだことなのかは、考えても答えにたどり着けない。
「じゃあ……なんなのよ……。 アンタ……あたしのことどう思ってるのよ…………」
袖にしがみつくようにして見上げてくる瞳は、潤んでいた。
気の強い、真っ黒な瞳が潤んで今にも泣きそうになっている。
俺はそんな彼女を受け入れようと肩に手を回そうとするも、直前で今の立場を思い出してその腕を引っ込める。
「…………。ねぇ、この服、何度も着てきてるのはわかってるわよね?」
「えっ……? うん」
俺が答えを決めあぐねていると、彼女は見上げていた顔を下ろして自らの服に目を向ける。
人差し指で襟を持ち上げて見えるのはさっきからチラチラ見えていたピンク色のタンクトップ。しかし彼女の持つ大きな胸をタンクトップ一枚で隠すには到底叶わず、見下ろすのも相まってその谷間の大きさがかなり強調されていた。
たしかにこの服は何度も見てきた。夜ここに来る時はほぼそれだと言っても過言ではない。
もしかしたら、それ以外の寝間着は持っていないのかと心配したほどだ。
「これね、あたしが持つ精一杯の色っぽい服なの。 せめてこれで……気を引けたらなって」
「気を引くってなん――――!?」
何故友達である俺の気を。
そう思って問いかけた瞬間、彼女の顔が俺を睨んで思い切り後ろへと身体が動いていく。
彼女が俺の胸ぐらを掴むようにして床へと押し倒したのだ。
痛みこそないがフローリングと衝突した俺は慌てて上を見上げると、真剣な表情の柏谷さんが目に入る。
電灯を逆行にするようにこちらを見下ろし、俺と目が合うとニヤリと笑うように頬が動いて舌なめずりをするのが見えた。
「柏谷さん……?」
「アンタのせいよ。 アンタがあたしをこういうふうにしたんだから、責任は取ってもらうわよ」
「責任!?それってどうい――――!?」
再度、彼女によって言葉が遮られてしまう。
『責任』その言葉に思わず動揺した俺は近づいてくる彼女に抵抗することすらできず、唇が彼女の唇に塞がれてしまった。
いや、元々力持ちの柏谷さん、そもそも抵抗なんて無意味だったのかもしれない。
思いもよらぬことに目を見開くも、彼女もこちらをジッと見つめており、目が合うと同時にその目が歪んだような気がした。
直後、唇の間をこじ開けるように入ってくるのは彼女の舌。突然のことに驚いて引き剥がそうとするも、何の意味もなさない。
「んちゅ……ちゅぁ……ぷぁ……ん……あっ……んはぁ……」
もはや愛を確かめるどころか、力いっぱい蹂躙するように俺の口内を弄ってくる柏谷さん。
その目は明らかに笑っており、胸元に触れていた彼女の大きな胸を、押し当てるどころか擦りつけるように身体も動かしてくる。
「んっ……ちゅ……はっ…………!アンタも……あたしのこと強く抱きしめてっ!!」
「はぁっ! 柏谷さっ――――~~~~!」
ようやく口が開放されたとおもいきや、今度は俺の腕を自らの背中に回すようにして再度塞がれてしまう。
まさしく蹂躙。言われたままにそっと背中に手を添えるも、彼女は満足いかないと言うように自ら身体を押し当ててくる。
「――――ぷはぁ!! はぁ……はぁ……。ごちそうさま」
「はぁ……はぁ……。 突然……どうしたの…………」
まさか、思ってもみなかった彼女からのディープキス。
ようやく離れてくれた今もその身体は俺を抱きしめるように首に腕を巻いている。
「これがあたしの答えよ」
「答え……?」
「あたしがずっとこの服だったのはアンタに意識してもらうため。あわよくば襲ってもらうため。…………あたしはアンタが好き。どうしようもなく好きなのよ」
俺の胸を支えにするように、見下ろして告白してくる柏谷さん。
その瞳は真剣で、真っすぐで、今にも泣きそうだ。
「もちろん、最初はキライだったわ。でも段々と……嫌なとこどころかいいところが見えてきて……。事故だったけど、初めてキスしたときにはもうどうしようもなく好きになってた」
「柏谷さん…………」
「だから……もしも泉が受け入れてくれるなら、あたしを抱きしめて」
フッと彼女は腕の力が抜けたように胸上に倒れ込んでくる。
あぁ……そういうことか。点と点がつながった。
今日アーニャさんと言ってた謎のやり取り、怜衣さんとのやり取り、そしてさっきまでの不自然さ。
俺は、ゆっくりと腕を動かす。
「―――――! …………バカね……あんた」
「……一番勉強できないからね」
「そうじゃないわよ。 バカなくらい優しいっていうのよ…………。 大好き」
ポタリと首元に暖かなものが落ちる感覚がする。
とめどなく溢れ出るそれを止めようと、亜由美の赤みがかった髪に手を触れ、優しさと強さ、そして脆さをを感じながら、ゆっくりと撫で始めた――――。
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