089.月の光


「…………怜衣に溜奈、か」


 雲ひとつない完成。うるさいくらいだった会場の音が遠くの喧騒と思えるくらいに静かな場所で、目当ての人物は見つかった。


 あれから私達は上履きからローファーに履き替え、ウェイターの格好のまま走って校門まで急ぐと、まるで待ち構えるかのように門に寄りかかって煙を吸っている姿が見えた。


 長身の姿が一瞬だけこちらを向き、なにか小さく呟いた後その2本の足でしっかりと立ちながらポケットの携帯灰皿にタバコを押し込む。

 私達が目の前にたどり着く頃には、その手には何もなかったようにフリーとなって私達と向き合った。


「……なんだ」

「パパ…………あのね…………」


 顔を上げると見える、その表情に込められた感情はわからない。ただただ黙って次の言葉を待っている。

 きっとパパはあの出ていった後、ママから聞かされた話を把握していないだろう。


 あの話を聞く以前は何を思っているかわからず、不安と焦燥感しか生まれなかったが、今ならなんとなく分かる。

 きっと私達の話を一言も聞き漏らさないよう、黙って待ってくれているんだ。

 なんて言おうか決めあぐねていると、ふと掌に温かい感触がした。チラリと視線を動かすと一緒に着いてきてくれた溜奈の手が握ってくれている。……頑張らなきゃ。


「パパ…………あのタブレットの中見ちゃったの。私達の写真のこと」

「…………そうか」

「ママがね……見せてくれたの。 亜由美が送ってくれたものだって」

「…………」


 ただでさえ感じる威圧感が一層強くなるように、その目がスッと鋭いものになって私達を見つめる。

 しかしよく見ればその目は私達ではなくその足元を見ているようだった。睨む……というより目を伏せる。そう考えれば一見無表情しか浮かべないパパにも感情があるのだということが実感できた。


「その時ママに教えてもらったのは…………パパが私達のことが興味無いってわけじゃないこと。 ねぇパパ、教えて。パパは私達のことどう思ってるの?」

「…………」


 目を伏せる視界に自分を収めるよう一歩踏み出した私は、今まで一度も真剣に聞いてこなかったことを問いかける。

 その言葉を受けたパパは一瞬だけ眉間にシワを寄せるものの、すぐに目をつむり深呼吸をして、ゆっくりと天を仰ぐ。


「怜衣……溜奈…………」

「うん」

「はい」

「私は…………いや、俺はお前たちの親ではない」

「…………えっ――――」


 思わぬ言葉に私は言葉が漏れる。

 パパが……パパじゃない?それってもしかして他に父親が…………?


 まさか露程も思っていなかった言葉に、思わず数歩後ずさりしてしまう。


 そんな……まさか…………。

 しかし今にも逃げ出しそうな私の動きを察知したパパは、その首を横に振って再び口を開き始めた。


「正確には、俺には父親の自覚がない。 お前達……俺とアーニャの子を初めて産んだあの日から、今日まで」

「…………」


 良かったぁ……。

 てっきり本当に実の子じゃないって思ったけどそういうことなのね。


「お前たちの言う通り、俺は仕事しかできない人間だ。 だから世話もアンナと田宮に任せきりで俺はなにもしてこなかった」

「…………そうね」

「だから、せめて不足の無い生活を送れるようにと、お前たちの望むものは何でも揃えてきたつもりだ。玩具も家具も……家だって。 それがたとえ嫌われようとも……な」


 思い出すのは一年前の春。まさか許されると思わなかった別宅の建築。

 それは私達にとって下心しか無かったが、まさかパパのそんな思いがあったとは。


 私はそれが機械的なものだと思っていたが、無償の愛だと知らずにいたことに、自らの瞳を伏せる。


「だがそれでいいと思っていた。たとえ嫌われても、お前たちが健やかに育ってくれるなら」

「でも、それなら……ママの言ってた怖がっていたことって……」


 ママは言っていた。『私達に拒否されることが倒産よりも怖い』、と。

 その言葉を鵜呑みにするだけならさっきの言葉と齟齬が生じる。


「あぁ。 嫌われてもいい……そう思っていたんだ。 だが2人に彼氏が出来た日からそう思わなくなった。 親としての自覚が足りなくとも、娘がこの手から離れようとしている……それが怖くなった。離れていくのに嫌われたままでいいのか、とな」

「私は嫌ってなんか――――」

「あぁ、お前たちは優しい子だ。 でも、だからこそ嫌われるくらいなら、潔く彼のことを認めて上っ面でもでも良い親を演じようと、そう思った」

「パパ…………」


 そこまで離してからパパは疲れたのか、柵に寄りかかるようにしてからもう一本タバコに火をつけ、白い煙を天へと放つ。

 どこを見てもいない、淋しげな表情。私はそんなパパの隣に寄りかかって同じく天を見上げる。


「パパ……。私、あの人のことが好きなの」

「……そうか」

「最初は好きの気持ちが空回っちゃって怖い思いさせちゃったけど……あの人には手強い幼なじみがいるけど……諦めることはできないわ」

「……あぁ」


 どちらも互いを見ない、天を仰いでの会話。

 モクモクと昇る煙が溶けて消え去っていくのを見ていると、正面に溜奈が近づいてきていることに気付く。

 私は心配そうに見つめるその子の手を握って、両手を合わせるようにしてパパと向き合った。


「もちろんその気持ちは溜奈も一緒。だから……私達ふたりとも、あの人のところへ行くわ」

「…………そう……か」


 目をつむり、ジジっとタバコの切っ先が赤く光るやいなやどんどん短くなっていく。

 幾度かの息継ぎをするも止まることのないタバコの燃焼。

 その切っ先が指まで2センチ……1センチ…………。もう指に触れて火傷をすると言ったところで横から伸びた手がバッとタバコをひったくった。

 溜奈だ。この子はキッと眉を吊り上げながらタバコを奪い、呆気にとられているパパを睨みつける。


「溜奈……」

「おねぇちゃん、もう一つの目的、忘れてるよ? やめさせるんでしょ?」

「………そうね」


 そうだった。忘れていた。

 私はパパと話すのに加えて、もう一個言いたいことがあったんだ。


「パパ?」


「……なんだ」


「パパは、いい加減タバコ止めること! ただでさえ激務で大変なんだから、そんなのしたら早死にしちゃうじゃない!」


「…………しかしタバコは――――」


「だ~めっ! 私が大好きなパパに孫の顔見てもらわないと気がすまないの! もうそろそろ親じゃなくっておじいちゃんになるんだからっ!!」


「――――っ!」


 もちろん、そんな経験なんて無い。

 しかしここ最近のやり取りを見るともうそろそろだと踏んでいる。この調子なら高校卒業するくらいには孫の顔を見せられるかも……?


 その言葉を受けて一瞬だけ目を開いたパパも、すぐに落ち着きを取り戻して3本目を…………あ、また溜奈に奪われたわ。


「……だが、それがないと仕事にならなくてな」

「だめよっ! もしまだタバコ吸うくらいなら私が実家に戻っても洗濯物は別ね!」

「……………………善処しよう」


 渋々……。そんな様子で受け取ったタバコを携帯灰皿に入れるパパ。

 ふふっ。 なんだ、よく見ればわかりやすいじゃない。なんでこんなことがわからなかったのかしら。






「しかし…………変わったな」

「? なにが?」


 3人で青々とした空を眺めていると、そんな声が聞こえてくる。

 思わず聞き返すと、そこには心なしか優しい瞳のパパが。


「溜奈は、いつも怯えていた。俺からタバコを奪うことさえできないほどに」

「…………うん」

「怜衣は、なにか言いたくても、言って逃げるか耐えてばかりだった。 こうして面と向かって話すのは初めてだ」

「…………そうね」

「あの少年……泉、君のお陰かもな」


 私達の脳裏に浮かぶのは、愛しいあの人の顔。

 全ては、溜奈が好きだと言い出した日から始まった。そこから私も好きになって、追いかけて、受け入れてくれて、そしてようやくパパと向かい合うことができた。


「おねぇちゃん」

「えぇ。 …………パパ、確かに泉のお陰で間違いないんだけど、敢えて付け加えたい事があるわ」

「…………なんだ」


 いつもと変わらぬ、三文字の言葉。

 しかし受ける印象は過去のそれとは全く違う。全てが優しく、受け入れるような言葉。


 私達は手をつないでパパの向かいに立つ。

 もう大丈夫と示すように。 自慢の娘だと、胸を張るように。


「――――そんなの決まってるじゃない…………愛の力よっ!!」


 きっと私たちじゃ彼を太陽のように照らすことができない。

 けれど、それでももっと優しい光――――月の光のように、私達の愛で彼のことを照らしてみせよう。

 そして叶うなら一生一緒に。困難もあるだろうが、みんなで一緒に乗り越えよう。


 そう誓って見たパパは、これまでの仕事人の顔ではなく、まさしく父親の顔そのものであった――――。

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