088.巻き込んだ写真


「――――さて、これできっとあの子達は大丈夫ね。 次は……泉ちゃん、いいかしら?」

「……えっ?」


 2人が教室を出ていくのを見届けてからしばらく。

 早々とオレンジジュースを飲み干したアーニャさんはそのまま退店するかと思ったら、俺を呼び出した。

 

 もうこの件は決着が着いたと裏に戻ろうとしたものの、その声に思わず声を上げてしまう。

 振り返って見えた彼女は穏やかな笑顔。その表情を崩さないまま、手を招くように俺へと呼びかけた。


「な……なんでしょう……?」

「そんな怯える必要無いじゃないっ! あなたのママにもなるんですから」


 いやぁ……さすがにそれは気が早いというかなんというか……。

 その気が無いわけじゃないんだけどね?それでもこの歳でもうそういうのはまだ早いかなぁって……。


「それで、用とは一体……」

「もうちょっと待ってね――――あっ!亜由美ちゃんっ!琥珀ちゃんっ! ちょっと!!」


 今度は廊下の方へと身体を向けたと思ったら、2人の姿を見かけるやいなや大声で呼びかける。

 2人もまさか呼ばれると思わなかったようだ。両者とも不思議な顔をしながら近づいてくる。


「なんでしょう?」

「再注文……ってわけじゃなさそうですね。ボクたちになにか御用ですか?」


 さすがのハクでもその真意までは読み解けなかったようだ。

 2人が近くによると、アーニャさんは両脇に置かれた椅子を向かいに持っていくように促す。


 彼女に向かい合うよう座った、俺たち3人。

 怜衣さんらが居ない時に話すのは初めてかもしれない。何かあったのだろうか。


 …………もしかして、実は双子じゃなくて三つ子、3人目の娘がいます!とか?……いやいや、ないない。さすがにそれだったら卒倒する自信さえある。


 ではなんだろうと様子を伺っていると、彼女は空になったコップを起き、ゆっくりと息を吐きながら腕を組むような動作をする。


「――――まず、私は泉ちゃんに怒ってます。 なんでかわかる?」

「えっ……。 いえ……」

「…………夏休み、あの子達3人だけでウチに泊まったようね」

「――――っ!!」


 その言葉に一瞬、言葉に詰まり呼吸すらできなくなってしまう。


 もしかして、知らされていなかった!?

 確かにあの日アーニャさんは居なかった。でも泊まる以上報告はもとより、重敏さんにも会ったのだから話は通っているかと思っていた。


 冷や汗がどっと背中にあふれる。心配を、誤解を産んでしまったのではないだろうか。俺は極力顔に出さないようにしつつ頭を下げる。


「…………泊まること、報告すべきでした。すみません」

「いえ、あの日はちゃんと報告は受けてたわ。怜衣と溜奈の2人から」

「へっ?」

「私が言いたいのは――――なんでその日にребёнокを作らなかったのよ!!」

「…………?」


 ……なんだって? リヴォ……?

 そんなに感情的になられても大事なことがわからないからどう反応すればいいか……そうだ。こんなときは頼りになるハクが居るじゃないか。

 ハクは…………あれ、なんだか目を丸くして驚いてるし。


「ハク? さっきなんて?」

「セン……。 そうか、君が分かるわけないもんね」


 こっそり彼女に問いかけると少し戸惑いながらも答えてくれる。

 確かに英語でさえ危ういけどさ。更に別の言葉なんて分かるわけないじゃん。


「さっき言ってた意味は『子供』。 つまり……どういうことかは言わなくてもわかるね?」

「子供を作る……?それって……。 ……っ!!」


 ハクの力も借りてようやく言葉の意味を理解した俺も、彼女同様目を丸くする。

 いや、学校で何言ってるの!? その言葉日本語だったらやばかったよ!?


「あの後躱され切ったって話を聞いて私は絶句したわ……! お世話のことなら私……ばぁばも田宮さんも居るから問題ないのよ!?」

「そういうことじゃ……ってばぁば!?」


 ちょっと気が早すぎませんかね!

 しかもばぁばって見た目20代で違和感すごすぎるんだけど!!


「それとも初めてでリードできるか不安なのかしら? なら私が手伝ってあげなくも無いんだけれど…………」

「いや、そういう問題では――――」

「待ってください、アーニャさん」


 冷や汗どころか嫌な汗を背中にダラダラ流しながら彼女をなだめようとすると、隣からハクが入ってくる。彼女はまだそういうのは早い、というように手で遮って立ち上がる。


「アーニャさん、そういうのはボクが一番なので安心してください。 ボクが彼にとって最初で最後の女で、一番に生んでみせますので」

「私としてはあの子達が幸せならそういうのはこだわらないのだけれど……。 最初というならもう既に?」

「いや………そういうわけでは…………」

「ならまだ最初はわからないわね。 あの子達が頑張って一番に産んでくれるかもしれないわ」

「………………」


 いつもと変わらぬ優しい微笑みを見せるアーニャさんと、少し眉間にシワを寄せるハク。


 …………ねぇハクさん。その状態でこちらを見られると怖いです。

 どう考えたってそういうのは早いでしょ!この歳で父親は荷が重いよ!?


 でも、何が言いたいかと思えばそんなことか。

 てっきり真面目な話かと思ってたから、拍子抜けでよかった。


「あの~。 そういう話ならあたし、戻っていいですか?まだ仕事があるのですが……」


 何故か繰り広げられるハクとアーニャさんのバトルに入り込むように問いかけたのは柏谷さん。

 たしかに、彼女は呼ばれたにも関わらず一切話に出てこなかった。なぜ呼んだのだろう。


「――――そうだったわね。 ううん、亜由美ちゃん。あなたにも用事はあるわ」

「……? なんです?」

「それは言わなくっても分かるんじゃない?」


 まさしく返事にならない返事。

 謎のやり取りをしたアーニャさんは微笑を崩さず、対して柏谷さんは怪訝な顔をする。


「どういうことでしょう?」

「……そういえば、あなたのお父さんから聞いたけれど一人暮らしを始めたんですってね」

「はぁ…………」

「彼、突然の一人暮らしに驚いてたわよ。しかもセキュリティも気にせずアパートの2階を借りるなんてって驚いてたわ」

「…………」


 ……あれ?

 それってなんかおかしいぞ。俺が彼女から聞いた話だと突然追い出されたとか、無理矢理この部屋になったとか聞いたんだけど……


「柏谷さん、確か親に無理矢理って――――」

「アーニャさん、そろそろ本題にいってもらえませんか? 一人暮らしはあたしのお金ですし、問題ないと思いますが」


 彼女は俺の言葉を途中で遮って話を進める。

 よく見るとその額には一筋の汗が。


「そうねぇ………………亜由美ちゃんも、そろそろ自分の気持ちに素直になったらどう?」

「…………」

「あなたのお母さんが言ってたわよ。『あの子は自分の気持ちに気づきながらも隠して、回りくどい方法をとるから結局ダメになる』って」

「…………」


 アーニャさんが話を進めるも、彼女は俯いたまま何も答えない。

 しかしゆっくりと、アーニャさんの話が終わったと見るやゆっくりと口を開く。


「なんでアーニャさんが……それを私に……」

「これを見ちゃってね。 どうしても今言っておこうと思って」


 そう言って彼女が差し出したのはタブレット。さっきまで重敏さんが使っていたやつだ。

 画面に映されているのは一枚の画像。廊下の、景色から察するに今日の画像だろう。色んな人が行き交うも、誰もカメラを気にしていない絵だ。現に中央に居るウェイター姿の2人も後ろを向いて気づいていない。

 中央の2人……ウチのクラスみたいだけど誰だ?みんな同じ格好で男女すらもわからない。


「!! これは……!どうして…………!?」

「きっと写真を送る時に巻き込んで選択しちゃったのね。 これを見たパパも察してたわよ」


 察する?何を?

 俺の見る限りただの風景だ。最後の準備をしている文化祭の朝。

 きっと10年後とかに見たらいい青春だったとでも思うのだろうか。俺の感想はそれしかない。


「…………あぁ、なるほど」

「ハク?気づいたの?」

「うん。 でも教えないよ。これは自分で気づかなきゃ」


 隣のハクも何かに気づいたようだ。

 え、なんで?なんでみんなわかるの?


「あたしが行動したところで、話がややこしくなるだけですし……」

「そうやって我慢するほうが余計後悔するわよ」

「でも…………」

「それと、親友だからって遠慮しちゃダメよ。 親友だったら、奪うくらいはしなきゃ!私みたいにね」


 アーニャさん、なにか奪ったんです?

 そうやって力こぶ見せても可愛さしか感じないですよ。


 しかし彼女の言葉でもまだ柏谷さんは迷っているようで、視線を下げながら逡巡させる。

 そんな姿をみたアーニャさんは、フッと微笑み、柏谷さんの元へと歩いてその頭を撫でる。


「…………もし私達に気を遣ってるのなら、それは勘違いよ」

「えっ…………?」

「私達……パパも、亜由美ちゃんのことは良く思ってるわ。 だから余計に、隠してほしくないの」


 銀と赤。まるでシルバーとルビーのような髪の色をした2人は見つめ合う。


 そっと親が子の背中を押すように。そしてそれを受け入れるように顔を上げた彼女も、ゆっくりと手を回してそっと抱き合った。


「わかり……ました。 でもちょっとだけ待ってください……。あたしにも心の準備が」

「もちろんよ。 突然ごめんね。こうでもしないと抱え込んで後悔するってあの人が……」


 ギュッと抱きしめあった2人は次第に離れ、それぞれ笑顔を見せつけ合う。

 その時見えた柏谷さんの表情は、迷いなど一切無い、屈託のない笑顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る