081.ウェイター
10月に入って暑い気候ともおさらばし、朝夕と冷たい風が吹き込んでくる季節になった頃。
雲の高い晴れやかな青空の下、俺たちはこんな気持ちのいい気候にも関わらずただひたすら人の入り交じる箱のような室内で学生の本文を全うしていた。
「あっ! ガムテープ切れちゃったっ!誰か持ってない!?」
「それが最後って言ったじゃない! あぁもうっ!また買ってこなきゃ!!」
「ちょっと~! ここ計算違うんだけど!このままじゃ売るだけ赤字じゃない!」
「嘘っ!? ごめぇん!すぐ計算し直す!!」
学生の本分は勉強。
――――とはいかず、この空間には様々な声が鳴り響いている。
ここは学生の学び舎である箱の中、学校。
そして自らの教室には、ざわめきに満ち溢れていた。それもこの教室だけではなく、学校全体で。
本来なら授業中の時間、それにも関わらずこのざわめきの多さは、週末に控える大事な行事が関係しているから。
10月。
この時期待ち構えるは、二学期に設定された我が学校の重大行事である文化祭。
俺たちはすぐそこまで迫った文化祭に向けて、授業を潰してまで準備に追われていた。
「今からホムセン行ってくるけどなにか必要なものは~!?」
「ガムテープと小銭入れと…………後でまとめて連絡する~!」
ざわめきがピークに達し、もはや大声でしかやり取りできない教室。
そこにはひたすら焦りの籠もった声と雰囲気が充満していた。
仕方ない、もう本番まで残り1日と迫ったのだ。昨日になってようやく全日準備が解禁されたとなっては大慌てで準備に追われよう。
「泉さんっ! できました!できましたよっ!!」
もはや喧騒と感じるまで麻痺してしまったクラスメイトたちの大声を聞き流して作業していると、廊下を駆ける音とともに溜奈さんが焦った様子で扉を開け放つ。
その大声にクラスのみんなは一瞬だけ彼女に注目するが、この喧騒の中ではざわめきの一つ。すぐにみんなは興味を失ったかのようにそれぞれの作業に戻っていった。
「溜奈さん、もうできたの……?」
「はいっ!バッチリです!!」
満面の笑顔でこちらに差し出してきたのは畳まれた真っ黒の布。
俺は作業していた手を止めて、彼女の笑顔と対称的に微妙な顔を浮かべる。
「…………これ、ホントに着なきゃダメ?」
「ダメですっ! ほら、先生に環境室開けてもらったので行きますよっ!!」
普段とは違うこんな非日常の時間だからか、普段のオドオドした様子とは一転して俺の背中を押してくる溜奈さん。
言葉遣いこそ丁寧なものの、その強引さはまるで姉の怜衣さんを彷彿とさせる。溜奈さんはテンションが上がるとこうなるのか。普段は正反対な性格なのに姉妹ということを実感させられる。
「他の3人はまだ作業中?」
「作業は終わりましたけど、まだ少しだけおしゃべりするようですよ。 泉さんが着替え終わる頃には来てくれると思います」
廊下を歩きつつ背中を押す彼女に問いかけると簡単に答えが返ってきた。
みんな仕事が早いな。まぁサイズ調整だけだしそんなものか。
「でもさ……ホントに着なきゃダメ?」
「もう決まったことなんですからダメです! 泉さんもそれでいいって言ったじゃないですかぁ!」
確かに言ったけどさぁ……。あの時寝ぼけてて殆ど流れだったんだよね。
「はい、到着です! 終わったら呼んでくださいね!」
「りょうかい…………」
少し狭めの個室に押し込まれた俺は、机にそれを置いてから自らのシャツを脱ぎ始める。
まぁ…………決まったことだし仕方ないかぁ…………。乗り気じゃないけど。ここまで来ちゃったのなら仕方ない。
「溜奈さん、終わったよー」
迅速に着替え終わった俺は扉に向かって声をかける。
やはり似合っていない…………。内心自らの似合わなさに辟易しながら彼女を呼ぶと、「は~いっ!」と明るい声が返ってきた。
そうだよね、近くにいるよね……。俺としてはどこか行ってくれてたほうがこの姿を見せないで済むんだけど。
「それじゃ、開けますね! ―――――わぁっ!」
上機嫌のまま目の前の扉を開け放った彼女は、俺の姿を見ると同時にパァッ!と目を輝かせる。
今の姿はピッタリとサイズの合ったシャツにフォーマルベストと蝶ネクタイを装着した、ウェイターのような格好。
第一ボタンすら閉まった首元のの窮屈さに苦い顔をしていると、溜奈さんが一歩前に出て俺の手を取る。
「似合ってます!似合ってますよ泉さん! 最高です!」
「ははは……ありがと…………」
これまで見た中で一番の笑顔を見せた彼女を曇らせないと、俺も頑張って笑みを浮かべる。
文化祭、それぞれのクラスは何らかの出し物をする。
それは研究したものを貼り付けて当日はフリーでもいいし、飲食店やお化け屋敷などでお金を稼いでもいい。
一応申請は上げて他クラスと被らなければ大抵は大丈夫という、そんなユルユルの中で決まった我がクラスの出し物は、『ウェイター喫茶』だった。
男も女も、男女問わずウェイター……つまり男のような格好をしてコーヒーなどを販売するという簡単なもの。
何故男は普段と変わらぬ格好だという話も出たが、女性陣の「男子がメイド服来てもネタにすらならない」とのお言葉により両方ウェイターとなったのだ。
まぁ俺としてもメイド服よりかはいい。遥かにいいのだが……いつもユルユルの制服を来ているだけに、こんなピッチリの服は窮屈でたまらない。せめて第一ボタンは外したいよ。
「どう? 溜奈どんな感じ? ……………へぇ、なかなか似合ってるじゃない」
「あ、おねぇちゃん。 似合ってるよねっ!」
「怜衣さん……」
その声に釣られるように奥へと視線を向ければ、おしゃべりも一段落ついたのか怜衣さんにハク、そして柏谷さんの姿が。
怜衣さんは溜奈さんに寄りかかるよう背中から抱きしめながら、肩に顎を乗せて俺の姿をじっくり眺めてくる。
「どう?苦しくない? あなたは身体の線を出したほうがいいと思ったから絞ったんだけど……」
「苦しくはないけど……窮屈。これ一番上外しちゃダメ?」
「今はいいけど当日はダメよ。大変でしょうけど頑張って頂戴」
怜衣さんの許可も得たことだし、俺は蝶ネクタイを緩めてからボタンを一つ外す。
あぁ、呼吸がラクになった。世の中のスーツを着てる人って夏冬問わず毎日、こんな窮屈な中働いてるのか。凄い。
「やっぱりボクの目に狂いは無かったよ。 センのコスプレを見るために案を出したかいはあったね」
握られた溜奈さんの手が離れて正面にやってきたのはハク。彼女はウンウンと頷きながら足の先から頭の天辺まで見渡して満足そうな顔をする。
彼女はこの『ウェイター喫茶』の発案者だ。だから今回の準備も人一倍頑張っている。
なんでよりにもよってこの企画をと思ってたけど、まさかそんな理由……?
「ハクたちの分も終わったんだよね? 着替えないの?」
「女性陣はみんな家庭科室で試着し終わったよ。 今頃男子たちが教室で着替えてるだろうね」
「なんで俺だけここに…………」
「そりゃキミの晴れ着をまずボクたちで独占するためさ。 うん、やっぱりこのまま家に持って帰ってもいいくらいだ」
晴れ着って……俺としては少し窮屈な変わった制服って感じなんだけどな。
着て帰るのは勘弁して。街中はどこかのバイトって言い訳ができるけど、さすがに住宅街は恥ずかしい。
「ふぅん……馬子にも衣装ね」
最後に目の前へ来たのは柏谷さん。
彼女とは夏に色々あったが、これまで何も変わっていない。
ほぼ毎晩部屋にやってきて頬にキスをしてきている。さすがにあれ以降唇にというのはなくなったが、その代わり偶に床を踏んで俺を呼ぶという、特殊な呼ばれ方が生まれてしまった。
「でも、手伝った服がこうして着られてるってのは変な気分だわ」
「柏谷さんも服の調整ってできたんだ」
「……どういう意味よ?」
「ほら、料理の腕前があれだったからさ……器用なことが苦手かなって思ってた」
料理であれだけ手間取ってばかりの彼女だ。それは一人暮らしが始まっても変わることはない。
彼女の夕食は怜衣さんの家で食べるか、たまに俺のを強奪しにくるのだ。だから俺も自分で作るときは二人分用意するようになってしまった。来なければ翌日の昼に回せばいいし。
「料理は説明が分かりづらいのがダメなのよ……裁縫はちゃんと細かく指定してくれるから余裕だったわ」
「意外でしょうけど亜由美は私達以上に裁縫できるのよ? 琥珀さんの次にね」
「ふふんっ!」
横から顔を出してくるように補足してくる怜衣さん。
それは知らなかった。まさか柏谷さんが裁縫できるとは……。あと一番ハクができることにも驚きだ。
そのハクの万能っぷりに驚いていると、柏谷さんがもう一歩俺に近づいて、その胸を持ち上げるように腕を組んで俺を見上げてくる。
「まぁ、あたし専属の執事になってくれるなら雇わなくも無いわよ」
上目遣いになりながらも自信満々に言ってくる様は、まるで典型的なツンデレのよう。
デレ……デレ……。あったかな?頬キスってデレに入るの? いや、練習みたいだし無いか。
でも柏谷さんの専属執事かぁ…………。
荷物運びや夕食など、今でも色々と手伝っては来たものの専属となると――――
「……専属ってそれ、人間椅子になれって言わないよね?」
「い……言わないわよ! 精々毎日の料理をお願いするくらいよ!」
まさかと思って問いかけるも、顔を真っ赤にして怒り始める柏谷さん。
違ったか。でも毎日の料理ってそれ今と変わらなくない?
「第一人間椅子ってなによ! そもそもあたしは――――」
「さ、ちゃんと問題ないって確認できたことだし着替えましょ! 泉、私達は外に出てるからお願いね!」
「え? あぁうん」
柏谷さんが更に言葉を重ねようとしたところで、割り込むように怜衣さんが着替えをするように促してくる。
あ、もういいのね。てっきりこのまま教室に戻るかと思ってた。
「ほら、亜由美も行くわよ!」
「ちょっと怜衣ちゃんっ! あたしはまだアイツに言うことが――――」
背中を押されて無理矢理退出させられる柏谷さんと、それを押す怜衣さん。
なんというか……お疲れさまです。
心のなかで彼女らに敬礼していると、ふと目に端に映るのは何者かの人影。
「泉さん」
「ん?」
「文化祭、楽しみですねっ!」
隣から掛けられた声に視線を移すと、楽しそうに握りこぶしを作る溜奈さんが。
……そうだね。何だかんだ大変だろうけど、楽しみだ。
俺は言葉に出すことなく頷いてその頭を優しく撫でる。
本番は明日だ。せっかく頑張って作ってくれたんだし、この衣装で2日頑張るとしよう。
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