079.風邪なのに・・・・


「ゴホッ!ゴホッ!!  はぁ……はぁ…………」


 静かな部屋に一人の辛そうな声が響いてくる。

 部屋には絶えず加湿器から水を伴った空気が排出され、エアコンでその気温は快適に調整されている。


 俺はベッドに横たわる人物をチラリと目をくべ、山になった布団の下に辛そうな姿を確認してからガサガサとビニール袋の中身をひとつ取り出した。


「はい、ハク。 これ飲んで」

「…………喉乾いてない」

「ダメだって。 汗かいてるんだし、前飲んだの朝でしょ?」

「…………ん」


 買ってきた水を彼女の元に運ぶと、辛そうにしながらも首を振ってそれを拒否した。

 きっと喉も痛いのだろう。それでも食い下がると彼女は怠そうにしながらも、モゾモゾと寝転んだ身体をゆっくり起こしていく。




 新学期も過ぎて10月になろうかと言う頃。俺は恵理さんの要請を受けここ、ハクの家へと足を運んでいた。


 何事かと思えば彼女は朝から風邪を引いてダウンしているという。

 そして恵理さん本人は外せない用事ということで俺に看病の依頼が舞い込んできたというわけだ。


 そして手短に説明をした恵理さん本人は本当にギリギリだったのか、足早に家を出ていってしまった。

 取り残された俺は看病に足りないものをピックアップし、さっき買いに行っていた。


 ちなみに今日は平日。もちろん怜衣さんらに伝えた上で俺もしっかりと休んだ。サボりというわけではない。




 そうして現在。

 水……正確には経口補水液を手にした俺は、彼女が起き上がるのを待ったはいいが一向に受け取る気配を見せない。


「……? はい。ハク持って」

「むり…………」

「えっ?」

「セン……飲ませてぇ…………」


 額からとめどなく汗が出て目が虚ろな彼女は、こちらを向くやいなや、まるで小鳥のように口を小さく開けておねだりを始める。


 普段なら絶対に見ない光景。

 俺はもちろん彼女も、風邪は年一あるかないかくらいで引くが、ここまで酷いのは初めてだ。

 しかし直近で酷いのは中学の時俺が喰らったインフルエンザ程度。その時でもここまでではなかったが、ハクに随分と甘やかされたものだ。

 絶対俺にお箸を握らせようとしなかったし、こうやって飲ませるのはもちろんトイレにまで付いてこようとしていた。その時は俺一人で余裕だったから懇切丁寧に遠慮したが、今のハクは食事すらムリなのかもしれない。


「じゃあ……じっとしてて」

「おねがぃ…………んっ―――――」


 その後頭部にそっと手を触れて、ペットボトルに口を付けたのを確認してからゆっくりと顔を傾させる。

 蓋を開けたその口からは徐々に水が流れ出していき、彼女の口内がうるおっていく。


「んく……んく……んく…………」


 普段よりもかなり少量が流れるように傾けたつもりでも、やはり力が入らないのか、その口の端からは飲みきれなかった水が徐々に溢れ出して滴り落ちていく。

 ポタリ……ポタリとたれるそれは彼女の大きな胸部に落ちていき、汗で湿った彼女の寝間着を更に濡れさせてしまう。


「ぷぁ……。 はぁ……はぁ……。ん……ありがと……」

「随分と……盛大に風邪引いたね」


 俺はそんな扇情的な胸から視線を逸らしてペットボトルへと意識を集中させる。

 次第にもう十分だと傾けた首を元に戻した彼女は、さっきよりもマシになった声でお礼の言葉を言ってきた。


「油断……してた……よ。 こんなに……寒くなる……なんて。窓……開けなければ……」

「窓開けて寝てたんだ……。そりゃダメだ」


 昨日の最低気温は20.4度、最高気温は30.3度。そして今日の最低気温は19.4度と、寒暖差10度のトンデモ気候だ。

 いくら20度前後で快適な気温とはいえ、日中との温度にこれだけ乖離があって対策もしなければ、風邪を引くのも必然というもの。


 水をベッド脇に置いた俺は、再度袋を漁って冷却シートを取り出して横になった彼女の額へとそっと貼り付ける。


「ほら、これ貼ってしばらく寝てて」

「あぁ……冷たぁい。 セン……暑いよぉ……」

「風邪引いてるんだしね……そうだ。熱は?体温計どこにある?」

「机…………」


 机の上を見るとたしかに細長い体温計が。

 布団から出てくる手にそれを渡すと、彼女は寝間着ボタンを一つ外して脇に差し込む。


 待つこと20秒。もう体温計が鳴って測り終わったようだ。…………早いな。ウチのは3分はかかるというのに。


「38度8分……これはまだまだ安静だね」

「うぅぅ……あつぃ…………」


 暑さが限界に達したのか、彼女は今まで大人しく羽織っていた布団を蹴飛ばしてその身体があらわになる。


 赤いチェック柄の、シンプルなシャツ型パジャマ。

 しかし唸るだけはあるのか、その身体中から汗が吹き出しており上から下までパジャマが肌に張り付いていた。

 その上さっき体温を測ったまま、上のボタンは開け放たれており、俺の知る同年代の中で最も大きいそれが、開いたパジャマの間から激しく自己主張をしている。


 …………って、ダメだダメだ。ハクは今苦しんでるのにこんな邪な気持ちは。

 さっさと捨ててしまわないと。


「ごめんねぇ……セン…………」


 煩悩退散も兼ねて蹴飛ばされた布団をかけ、また蹴飛ばされる。

 そうやって何度か格闘しているとふとハクから謝罪の言葉が。


「ごめんって何の? もしかして学校休んだ件? どうせ行っても寝てるんだし変わらないよ」


 そう、変わらない。

 成績優秀なハクならともかく、俺は言っても寝るだけだ。ならばこうやって看病したほうが有意義に決まってる。


「ううん……そうじゃなくって…………。キス……できなくって……」

「…………はい?」


 彼女が苦しみながらも出た言葉は何とも信じがたい言葉。

 なんて?こんな時に一体なんの話……?


「セン……のことだから……この姿でムラムラ……してるんでしょ……? だから、キスしてあげたいけど……移す……」

「し……してないし!! そう思うんだったら大人しく布団かぶって!!」

「やぁだ……あつい…………」


 図星を突かれたことで大慌てになった俺は、急いで彼女に敷かれている布団を奪い去って上からかぶせるも、またも蹴飛ばされる。

 なぜバレ…………じゃない!なんで風邪引いてる時に俺のことなんか気にして……!


「キス以外なら……していいからさ……。 わたしの……身体も好きに触って……いいよ……?」

「っ――――!」


 そう言って開けるのはもう一つのボタン。

 パジャマだからとゆったりした形状のボタンは、一つ外れるだけで大きく身体が露出してしまう。それが二つ外れ……しかも2つ目の位置は丁度彼女の胸の間。

 見事胸と胸の中間のボタンが開放された服は外に広がってしまう。そうすると当然見えるのは彼女の柔肌。


 真っ白の肌と女性らしい柔らかな肌。その柔らかさはメリハリがあり、腰回りなど世間一般に細いのが良しとされるところは健康的に引き締まっている。

 更に左胸の側面にはほくろが見え隠れし、普段目にすることができないそれがより一層情欲的な気分へと陥らせてしまう。

 当然その谷間は完全に露出し、少しめくればその切っ先が見えてしまうと言うほど。


 俺は思わず開放されたそこに目を向けてしまうものの、最後に残った理性を使って大慌てで顔を背ける。


「ほら……それなら看病するセンも退屈は……しないから……。私を好きに――――――――あたっ……!」

「別に俺は動画でも見てるよ……! お粥作ってくる!!」


 冷却シートの箱を彼女の顔に押し付けた俺は、大慌てで逃げ出すようにその場から立ち去る。

 階段を降り、閉められた扉を開け、もう何度も訪れたリビングへと駆け込んでいく。


「はぁ……はぁ…………。  あれは反則でしょ…………」


 無事彼女が追ってこないことを確認した俺は、扉を背にしてその場に崩れ落ちるのであった。

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