073.幕間3


 私は、生まれてからこの方全ての人生を、余すことなく彼の為に費やしてきた。


 全てにおいて彼が最優先。

 まず何かの誘いを断ったことはなかったし、学校での授業や行事など、どうしても分かれなければならない場合意外は極力彼のそばに居続けた。

 勉強もテスト前に限らずよく教えてきたし、宿題だって何度も見せてあげた。

 彼と遊ぶために2人でやれるゲームも用意して、それを目当てに遊びに来た日は2人きりで楽しんできた。


 一部彼の為に時間を使えなかったこともあったが、それは自らの勉強など今後役立たせるために必要なこと。

 望むことは何でも聞いたし、今後の成長に阻害がない限りはかなり甘やかせてきた。

 けれど随分と甘やかしすぎたとも自覚している。後に聞くと、その分彼の母親が厳しくなってバランスを取ってきたみたいだ。



 そのおかげもあってか、彼は随分とまっすぐ、私の理想にどんどん近づいていった。

 女の子に気が多いところとか少し捻くれているところとか、予想していなかった部分もあるが、それはそれでスパイスになって魅力的に映るから良い。

 少なくとも、誰彼構わずナンパしたり、自分では何もできないワガママでお礼も言えないような男の子にならなくて本当に良かった。

 ここに関しては母親はもちろん、私のお陰だと自負している。逆光源氏計画と言うべきか、幼い頃から彼に理想の人物になってもらおうと頑張ったかいがあった。同い年だけど。


 …………けれど、もし誰彼構わずナンパしたりワガママになって尊大な性格になったとしても、私は彼を受け止め愛していただろう。

 それが惚れた弱みというやつだ。仕方ない。






 ――――さて、そこで疑問に思うのが、私はいつから彼を好きになったかということ。


 結論から言うとそれに関しては、残念ながら覚えてない。

 私と彼は幼なじみだ。物心がつく前から知り合っていたし、ずっと一緒に遊び続けてきた。それも普通の兄妹以上に。


 けれど、これといったインパクトのあることがきっかけで好きになった、という覚えはない。

 彼は記憶を失う一件まで交通事故に巻き込まれたこともなかったし、私が迷子になって雨の中迎えに来たような、ドラマティックなイベントも無かった。


 つまり、本当に『いつの間にか』好きになっていたということ。

 気づけばずっと隣に居てくれる彼のことを目で追い、心臓が高鳴り、これから先もずっと一緒に居たいという欲求が芽生えていた。

 悲しいことに当時の彼にそういう欲求は無かったようだが……それでも私は諦めきれなかった。幼い頃から今日に至るまで、ずっと彼を私のものにしたかったし、私も彼のものになりたかった。




 …………そういえば、いつ『私』は『私』と呼ばなくなったのだろう。


 いつの間にか言い出した『ボク』という呼び名。

 もう慣れて自然と出るようになったが、当時は随分と意識した覚えがある。

 今はどちらでも構わない。その気になれば『私』に戻れるし、『ボク』だって普通に出せる。


 当時のことなら、思い出せるかもしれない。

 たしか……そう、最初は『私』と呼んでいたのだ。

 呼び方を変えたのは…………小学校に入ってそろそろ高学年にも上がろうかという頃――――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ハク~! 公園遊びに行こ~!」


 それは小学4年の冬になろうかという頃。

 私が週末の習慣になった部屋の掃除をしていると、そんな声が開いた窓から飛び込んできた。

 雑巾がけしていた身体を起こして見下ろせば、そこにはこちらに向かって大きく手を振っているセンの姿が。

 もう気温は低くなってきているのに、その姿は遊ぶ気満々なのか短パンを着用している。上は長袖のジャージだが、どうせその下は半袖だろう。行く時おばさまに無理矢理着させられた姿がありありと目に浮かぶ。


「もうちょっとでお掃除終わるから待って~!」

「うん~! 玄関に居るよ~!」


 大声でやり取りした彼はインターホンを押すことなく玄関の扉を開ける。

 別に人の家だからインターホンをなど、とやかく言うつもりもない。もう物心ついた時からお隣さんだ。私達にとってはどっちも自宅なのだから。


「さて……と」


 私は終わりかけに近づいていた掃除にスパートをかける。

 あんまり待たせないように急がないとっ!!





 掃除も終わり、バケツと雑巾を持って下に降りて玄関に目を向けると、彼は湯気の出ているコップを口に運んでいた。

 直ぐ側にはお母さん。きっとなにか温かい飲み物を作ってあげたのだろう。


「あら、琥珀。 センちゃん待ってるわよ」

「うんっ、もうちょっとまってて――――あっ!」


 階段を降りる気配に気がついてこちらに近づいてくるお母さんは、私が汚れた水を捨てようとバケツを洗面所に持っていこうとしたところで、それをひったくられた。

 何事かと目を丸くすると、お母さんは優しく目を細め、私の頭を撫でながら背中を押してくれる。


「片付けはやっておくから遊んできなさい。 ほら、センちゃん待ちくたびれてるわよ」

「お母さん…………」

「あ、でも時間は守るようにね? 冬も近づいて今日から門限早くなったんだから」


 お母さんの動かす視線につられて私も玄関の方を向くと、ちょうど飲み終わった彼と目が合ってにっこり微笑まれる。

 優しく、キュンとするような可愛い笑顔。私はお母さんにお礼を言ってから彼のもとへと小走りで駆け寄っていく。


「ごめんねっ! 行こっかっ!」

「いこぉっ!!」


 今の格好は適当な長袖シャツにスカッツ。掃除もしていたから女の子らしくとも動きやすい格好だ。これならば外で遊ぶも問題ない。


「センちゃん、琥珀を守ってあげてね?」

「うんっ!」

「お母さんっ! 行ってきますっ!」

「はい、行ってらっしゃい」


 私は大好きな彼の手を取って玄関を開ける。

 背後からは大好きなお母さんが微笑みながら手を振ってくれていた。






「それで今日はどこ行くの? いつもの公園?」


 私は手をつないで歩きながら彼に問いかける。

 遊ぶ……私達が遊ぶとなったらまずそこだ。ここから5分と離れていない近くの公園。いつもの場所。


「ん~んっ!今日は別のとこっ! 学校でいい場所教えてもらったんだっ!」

「それってどんなとこ?」

「ん~…………なんか長いガラガラの滑り台があって広いとこっ!!」


 長いガラガラ……ガラガラ……あ、ローラーの滑り台のことね。

 あれお尻痛くなっちゃうんだよ。ダンボールとかあれば下に敷きたい。


「そんなの近くにあったかなぁ…………」

「ちょっと遠いみたい! 行こっ!行き方は覚えてるからっ!」


 そんな輝かしい目をされちゃ私に拒否なんてできやしない。

 少し頬の赤くなるのを自覚しながらゆっくり頷くと、彼の笑顔が更に明るくなる。


「やったぁ! それじゃあこっちっ!!」

「ま、まってよぉ!」


 輝かしい笑顔をした彼は楽しそうに私の手を引っ張っていく。

 私達のちょっとした、小さな小さな大冒険は、今密かに始まったのであった。

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