072.興味の有無とは


 カチッ、カチッ、と――――


 時刻を刻む音が静かにこの場を盛り上げる。

 しかし結局は規則的な、無感情の音色。その時計が奏でる盛り上げは場の一切の熱を沸かせることなく逆に冷淡な気を醸し出していた。


「…………」

「…………」


 階段を降りてすぐそば。以前プールで遊んだ日も利用したトイレに続く扉の手前。俺はその場で床に座り込んでいた。


 目の前に立つのは、何のアクションも示さずただ黙って俺を見下ろし続ける彼女らの父、星野 重敏さん。

 以前は座っていてその全容に確信が持てなかったが、こうして立っていると身体の大きさが見て取れる。身長は180……いや、190に届くほどだろうか。そして顔つきも無表情で見続けられるものだから、自然と俺も圧を感じてしまう。


「えっと……こんばんわ。お邪魔してます」

「……あぁ」


 その重圧に呑まれそうになりながらもなんとか立ち上がって挨拶をすると、小さく返事が返ってきた。


 なんでこの人が今ここに……?怜衣さんによると年一くらいでしかここに来ないはずなのに!

 それにこの一挙手一投足全てを見られているような視線。

 なぜ動かない……?もしかして、さっき復唱していた件か……?


「えっと……さっきのはですね…………」

「…………」

「そのぅ……なんといいますか、冗談なのであまり気にしないでもらえると……」


 我ながら、なんと苦しい言い訳か。

 でもこの空気じゃ碌な言葉なんて思いつかない。まだ本気で怒ったハクと柏谷さんを同時に相手したほうがマシだ。


「…………そうか」


 目をつむり、「ふざけるな!こんな時間に来ておいてそんなわけ無いだろ!」と、怒鳴った後に殴られることすら覚悟したが、彼はそんな予想とは裏腹に小さく頷いてキッチンの方へ身体をひねる。


 …………助かった?


 なぜ素直に受け止めてくれたがわからないが、これはチャンス。殴られることなく穏便に片を済ますことができるかもしれない。


「えと、こんな遅くにすみません。今すぐ帰――――」

「――――パパ?」


 父親が帰ってきた以上、俺が泊まるなんて知れば心象的に悪いだろう。

 そう思って帰り支度を始めようとすると、ふと階段の上から呼びかける声が。


 ――――溜奈さんだ。

 彼の視線に続くように俺も顔を向けると、痺れを切らしたのかさっきまでベッドにいた彼女が降りてきていた。


「……溜奈か」

「パパ、どうしたの? こんな時間に」

「アンナの忘れ物だ」


 アンナとは、アーニャさん。2人の母親のこと。


 短くそう答えた彼は、1階最奥にあるキッチンにあった一通の封筒を手に取る。

 なにか大事な書類だろうか。少し取り出してパラパラと中身を確認した彼は小さく頷いて手にしていたバッグに収めていく。


「そっかぁ。 パパ、今日泉さんを泊めてくからね?」

「!?」


 俺の隣に立った彼女のまさかの言葉に、思わず俺は目を見開く。


 確かにその予定だったけど、父親の前で言うのはまずいんじゃない!?


 そう思って帰ろうとしてたのに……。

 彼は、アーニャさんも使用人の田宮さんもここに居ないことは知ってるだろう。つまり導き出されるのは……死!?


「……そうか」

「――――えっ……?」


 今度こそ殴られる――――。

 そう思って歯を食いしばったものの、返答はまさかのもので込めていた力が抜けていく。


 えっ……いいの!?

 いくら付き合ってるって宣言したとはいえ年頃の男女だよ?一線越える気ないけど……心配じゃないの!?


「だからパパも、ママとよろしくね?」

「あぁ……」


 まさかの答えに溜奈さんは驚く素振りすら見せず、俺の腕を抱きながら話を続ける。

 彼も彼で一切動ずることなく、小さく答えるだけに留めて俺たちの前を通り過ぎていった。



 ――――助かった?

 最初の時点で問答無用のストレートは覚悟してたけど、何もなし?

 玄関へ向かう大きな背中を見送りながら胸をなでおろしていると、またも階段の上から歩いてくる音が。あと上に残っていた人というと……


「2人とも遅いけど下で何して――――パパ?」


 呆れた様子で降りてくるのは最後の一人、怜衣さんだった。

 彼女は最初こそ俺たちを視線に収めるも、すぐに彼が来ていることに気がついたようでその顔が玄関へと向かう。


「――――なにしに来たの? パパ」

「……アンナの忘れ物だ」

「そう……それだけ?」

「あぁ」


 短い言葉のやり取り。

 冷たい印象を怜衣さんから感じられるが、それは祭りの日を引きずっているからだ。


 『興味ない』と告げたあの日。

 あれ以来話題に出すことはなかったが、それでも気にしないということはムリがあるだろう。

 俺は2人の間に口を挟むことなく、黙って交差する視線を見守る。


「今日、泉をウチに泊めるから。 いいわよね?」

「あぁ……」

「そう。  それじゃ、泉。また上に戻ってさっきの続きをしましょ?」


 けれどその対話は一瞬にして終わってしまった。

 彼に向ける冷たいトーンとは一転して、俺の元まで駆け寄った彼女は笑顔を見せながら俺の手を引っ張ってくる。


 さすが双子と言うべきか殆ど同じやり取り。しかし感じられるのは温度差。

 腕を引っ張られながらその場でチラリと彼の方を向くと、なにも気にしていないのか背を向けたまま扉を開けて出ていったところだ。


「あなた~! はやく行きましょっ!この際直接的なエッチは諦めるから~!」

「直接的じゃないエッチってなに!? って、そうじゃなくって。2人ともごめん!俺ちょっと行ってくる!!」



 手を引っ張る怜衣さんと腕に抱きついている溜奈さんを剥がした俺は、驚きの声を気にせず一人玄関に向かっていく。

 扉を開けて外に出ると夏らしいモワッとした熱気が襲ってくるが気にしていられない。追いかけるようにまっすぐ駆けていくと、その姿は案外すぐ近くで見つかった。


「お父…………重敏さんっ!」

「…………」


 歩いて門に向かう道中でその名を呼ぶと、彼は答えることなく振り向いた。

 光の下に見えるのは、圧の感じられる無表情。俺はそんな圧に臆しないよう努めながら彼と向かい合う。


「その…………重敏さんは、怜衣さんと溜奈さんに興味……ないんですか?」

「…………何故だ」

「えと……本人が、言ってたので」


 俺自身、今日のスルーを見るに薄々そんな感覚もあった。

 少なくともウチの父親なら、きっと娘が知らないところで逢引していたら男を引っ張って問い詰めるだろう。

 それが彼には感じられない。人の家庭としてそれぞれだが、その真意を知りたかった。


「興味……か…………」

「重敏さん?」


 小さく言葉を繰り返した彼は一瞬だけ顎に手を当て考える素振りを見せる。

 しかしすぐに戻し、まっすぐ俺の目を射抜いてきた。


「泉、君」

「は、はい」

「娘を、頼む」

「はい……………はい?」


 まっすぐ目を見て告げられた言葉。

 最初は反射で答えたものの、すぐにその言葉の意味に気づいて聞き返した。


 しかし聞き返す頃にはもう踵を返していて、門の方へと歩みを進めていっていた。

 慌ててその後姿に呼びかけて止めようと試みるも、言いたいことは言ったかのように歩みを止めず、ついには門をくぐっていってしまった。


「頼まれた…………?」


 一人、だれも居ない庭で復唱する。

 それは、つまり俺たちの仲を認められた?なんで?俺何もやってないのに。


 こういうのは普通、結婚の約束して相手の実家で向かい合って「娘さんをください!」なんて言うのが通例じゃないのだろうか。

 いや、言葉以外は全部満たしてるけどさ。肝心の言葉は言ってなかったよ俺。


 その真意を知ろうにももう彼は居ない。となると俺がするべきことは決まっている。


「…………戻るのか、あの家に」


 きっと戻ったらさんざん誘惑されるのだろう。

 俺の精神持ってくれるかな?



 俺は少しのドキドキと緊張を胸にして駆けていった道を戻っていく。

 そして家では当然ながら、2人の柔肌に包まれながらベッドで一夜をともにするのだった。


 ――――もちろん、一線を越えることだけは死守して。

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