065.自殺志願者?


「――――え? 夏祭り?明日の?」


 別荘のように豪勢なお宅でのプール遊びを終えた数日後。

 俺はいつものように、家で自堕落な生活を送っていた。


 普段ならばそろそろ夏休みも終盤だということでようやく宿題をやろうと慌てだす頃だが、今年は彼女たちのおかげで既に完遂したから余裕たっぷりだ。

 こんな優雅な夏休み後半は過去に記憶にない。それほどまでにゆったりと昼に起きて深夜に寝るという生活を繰り返していると、そんな言葉が聞こえてきた。


「そ。 知ってるでしょ?神社のお祭り。 アレのことよ」

「そりゃあ知ってるけど……」


 祭りの会場となる神社はここらで最も歴史のある場所だ。

 このアパートと実家は少し距離があるものの、街が違うというレベルではない。つまりこの街で生まれ育った俺も、件の神社で行われる祭りは過去何度も行ったことがある。


 年に一度行われる、由緒正しいお祭り。

 それは朝から様々な行事があるらしいが、参加するほど信仰の深くない俺にとっては単に出店が多く並ぶだけの祭りといった印象だ。

 楼門を越えた参道いっぱいに立ち並ぶ出店の数々。俺も何度もハクと回った。回りすぎて飽きるほどに。

 だから中学に入ってからは貧乏学生ということもあって俺が行くことに消極的になり、今日まで彼女もそれに付き合ってくれていた。


 今年は怜衣さんや溜奈さんが加わり、俺も行こうかなと考えたこともある。

 けれど言い出さないから次第に俺の頭からも離れ、気づけば前日である今日の日を迎えていた。


「それに行くって言ったのよ。 何?なんか用事あるの?」

「いや、特に無いけど……」


 俺は戸惑いながらも正面に座る少女……柏谷さんに返事をする。

 彼女は何ともないようにテーブルに頬杖をつきながら座り、自ら持ってきた煎餅をパリパリと食べている。


「別に行くのはいいけどさ……メンバーは俺と柏谷さんだけ?」

「は? なに言ってんのよ。普通にあの子達を加えた5人でよ」


 まぁそうですよね。

 本当にありえないといった表情をしながらこちらを睨みつけ、バリッと煎餅を折ってくる。怖い。


 でも、普段こういう提案は怜衣さんか溜奈さんがやってくるのに、なんで柏谷さんから?


「ちなみにあの子達にはまだ言ってないわ」

「なんで!?」


 むしろ俺よりもソッチを優先すべきだろうに!

 俺は毎日暇人だからどうにでもなるけどあの2人はそうもいかないだろう。


「ちゃんと明日朝イチで言うわよ」

「もしかして……思いつき?」

「そんなわけ無いじゃない。ちゃんとタイミングを図ってたのよ」

「?」

「……あの子達、事前に言ったら絶対浴衣用意するじゃない」


 まぁ、そりゃ用意するだろうね。簡単に想像がつく。


「別にいいんじゃない? 柏谷さんも持ってたじゃん。あの真っ赤な可愛いやつ」

「アンタねぇ……あたしに振袖姿で祭りに行けって言うの?普通にありえないわよ。袖が泥だらけになっちゃうじゃない」


 たしかに。アレ袖長かったから人が多いところに行ったらもみくちゃにされるだろう。

 でも、彼女もお嬢様なのだし浴衣くらい自前で持ってそうなのだが。


「あたしがもってるのは正式なのばっかでラフなものなんて必要なかったのよ。 これから買おうと思っても……ムリなのよ」

「? どうして?」


 バツの悪そうに視線をそらした彼女は、ゆっくりと重い口を開いていく。


「…………お金が……無いのよ」


 お金がない?なにそれ?貧乏学生の俺に対するあてつけ?

 彼女もお嬢様学校出身だし、親も優しそうだったじゃん。普通にどうにでもなりそうだけど。


「…………?」

「忘れてるか知らないけど、あたしはこの上に住んでるのよ。 お金は最低限の生活費のみ。それで前水着買っちゃったから手持ちが無いのよ……アレ、高かったんだからね」


 あぁ、そういうことだったのか。

 彼女の着てた真っ黒のビキニ姿、最高でした。

 もし俺が彼女いなくてあの姿を見てたら「付き合ってください!」って言いながら土下座してただろう。そしてゴミを見るような目で頭を踏まれると。 ……あれ?俺エムじゃないんだけどな。


「まぁ、了解。 でも2人が行かないって言ったらその話はナシね?」

「もちろんよ。……まぁ、一度断られてるんだけどね」

「えっ?」

「プールの日にちょっと話出したら、琥珀ちゃんは乗り気でも溜奈ちゃんが即答で嫌がったのよ」


 溜奈さんが?珍しい。そういうこともあるのか。

 もしかして神社が嫌いとか?宗教とかそんな感じで。よく知らないけど。


「じゃあ断られるの確定じゃん。どうするの?」

「だからアンタにまず行くよう言って無理矢理了承させるのよ」

「えぇ…………嫌がってるのにそれはまずいんじゃない?」


 さすがに俺も、嫌がってるのに無理矢理生かすような趣味はない。

 最近お仕置きを望んでる怜衣さんあたりはわからないが、それでもこういうお仕置きは違うだろう。


「……あの子達が行きたがらない理由ね、祭りは2人のお父さんが出資してるのよ」


 2人の父親が出資……あの大企業がか。

 たしかにあの企業ならそれくらい簡単だろう。だから……つまり……


「…………どゆこと?」

「えっとね、つまり2人はお父さんとあまり仲良くないのよ。だからワザワザお父さんの居る会場まで行きたくないってわけ」

「えぇ……俺もそれ行く気削がれるんだけど……」


 そんな、恋人の父親の居るとこに行くだなんて、挨拶しろって言ってるようなもんじゃん。

 ……いや、柏谷さんにとってはそれが目的か。えぇ…………。


「一生側にいるんでしょ?ならいずれ挨拶するんだから早い内にしときなさい」

「でもさ、会ったら俺が何股もしてるって言うことになるんだし、絶対殺されるよね…………」


 そこが第一の懸案事項だ。

 娘さん2人ともと付き合ってます!なんて不誠実なことを言ってしまえば確実に抹殺される。物理的にも、社会的にも。


「言うなにも、もうとっくに知られてるわよ」

「…………ヴェ!?」

「ほら、お見合いの日ウチのパパが言ってたじゃない。『星野さんの耳にも入ってる』って。アレお父さんのことよ」

「…………」


 たしかに、帰り際そんなことを言っていた気がする。

 てことは今の状況、完全に筒抜けと……。 うわぁ……会いたくない~!


「だから、あのお父さんが来るこの時に会ってアンタの不安を解消させようってわけ。 あぁ、なんてあたしったら優しいのかしら」

「俺の命と引き換えにだけどね…………」


 最初はちょっと行く気になってたのに、今は逆に行く気がマイナスに振れてきた。

 俺は明日、素直に死なせてくれるだろうか?


「その時は骨くらい拾ってあげるわよ。 何なら全部捨ててあたしと駆け落ちでもする?」

「ありがたいことで……。 駆け落ちしたところで、友達同士って破綻間違いなしじゃん」


 彼女がニヤニヤとしながら言ってくるから俺も適当に応える。

 すると彼女は煎餅を全て食べ終わったようで立ち上がってからゆっくり項垂れる俺の横へと移動し、しゃがんでくる。


「その時はその時よ。 ほら、やりにくいから身体起こしなさい」

「はいはい……。 今更だけどさ、これって意味ある?」


 もはや日課になった俺たちの行動――――

 1日の終わりに彼女が俺の部屋まで来て、頬にキスをして帰ること。

 最初は勢いに押されてしまったが、今……特にダウナーな今日とあってはつい疑問を口に出してしまう。


「大アリよ。こうして練習してないと、あたしがいざ本番のキスの時大恥かくじゃない」

「むしろ男にとっては不慣れなほうが良いって人多いんだけど……」

「あたしがダメなの。なに?それとも今日まで毎日やってきたのに、こんな可愛いあたしとキスするのが嫌なの? そうよねぇ。怜衣ちゃんや溜奈ちゃん、琥珀ちゃんだっているものねぇ。私なんて霞んじゃうわ」


 手を大きく広げてわざとらしく自嘲する柏谷さん。

 なに言ってるんだ。柏谷さんはむしろ――――


「俺の好みとしてはど真ん中なんだけど…………」

「えっ?」

「へっ?…………あっ!!」


 慌てて口をふさぐも、時既に遅し。

 自然と俺の口から出た言葉は、完全に彼女の耳へと入っていた。


 俺がなんとか言い繕うとするも、彼女は目を見開いた表情から次第に口が歪んでニヤリとしたものに変わっていく。


「ふぅん……あたしが好みど真ん中なのねぇ…………」

「いや、これはその……!」


 ダメだ!これ以上何を言ったところでドツボにしかはまらない!

 もう何をいっても無駄だと視線を下にやっていると、ふと彼女の腕が俺の視線を横から通り過ぎていって耳に触れる感触が。

 そして両耳を捕まえられて互いに向き合い、彼女が目を閉じてこちらに迫ってくるということを理解した頃には――――


「んっ…………!」

「!!!!」


 ――――彼女の唇は、俺の唇を捉えていた。

 引っ越しの日以来の、二回目のキス。

 小さな体躯にプルンとした唇。そんな柔らかな感触が脳いっぱいに広がって気づいたときには「ぷぁっ」と声を上げながら彼女は離れていった。


「ふふっ、今日は気分がいいからこっちにしちゃった。 それじゃ、おやすみっ!」

「ちょっとっ! 柏谷さんっ!!」


 俺が慌てて呼び止めるも彼女は足早に部屋から出ていってしまう。

 もはや事故とも言い訳がつかない、自らの意思のキス。俺はその感触を思い出しながら、誰の姿も見えないその扉を見続けていた――――。

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