059.事故


 太陽の暑い日差しが降り注ぐ我がアパートの目の前。


 そこには一台のトラックが停車していた。

 側面にはよく目にする宅配業者のロゴ。そして車から降りてきたのはこれもまたよく見る制服に身を包んだ人物だった。


 その人物は荷台から背の丈ほどもあるコンテナを下ろして、更にそこに積まれたダンボールを一つずつ取り出していく。

 俺も手伝おうとしたがさすがプロ。あれよあれよという間に部屋の前はダンボールの山が積み上がっていた。

 そして隣で見ていた少女と二言三言話してトラックは去っていく。最終的に取り残されたのは俺と、少女と、山になったダンボールのみとなった。


「――――さ、頑張って荷物運びましょうかっ!!」

「待って」


 日陰から出て腕まくりする彼女を俺は止める。

 止めざるを得ない理由が、たった今出来上がった。


「……なによ? 手伝いたくないっていうのはもう受け付けないわよ。昨日私の料理食べたじゃない」

「昨日のって結局俺が殆ど作ったじゃん…………。 じゃなくって、さっきの会話聞いてたけど、運び入れるの拒否してなかった?」

「…………」


 そう、俺たちは今日、昨晩お願いされた引っ越しの運び入れの為にここに集まっていた。

 時間道理荷物が届いたはいいが、その時宅配業者との会話で、明らかに無視できない部分があったのだ。


『荷物、運び入れなくていいと備考欄に書いてあったのですが……』

『はい。ここで大丈夫です』

『サービスですよ?いいんですか?』

『構いません。そこの彼と運び入れますので』

『…………わかりました』


 ――――と、いったもの。

 あまりに堂々としたやりとりに、ツッコミ待ちなんじゃないかと思ったほどだ。

 荷解きは仕方ないにしても、運び入れるくらいはお願いしてもよかったんじゃない?


「せっかくの私の家だもの。必要以上に人を入れたくないだけ」

「じゃあ、エアコンの設置とかどうすんの?」

「もう設置されてるから問題ないわ」

「……今後のテレビ設置とか、清掃業者とか」

「テレビはいらないし、清掃もアンタにやってもらうから大丈夫よ」


 なるほどぉ……!

 ってなるか!!それ俺の負担ばっかり増えてない!?


「ほら、運び入れるからそっち持って!」

「なんか釈然としないけど…………りょーかい」

「あ、そのタンス、引き出し開けたら殺すからね! 特に右上!」

「わざわざテープ剥がして中身見るほど変態じゃないよ……」


 一足先に彼女が手にしているタンスには開かないようにしているのかテープがしっかりと貼られていた。

 さすがにここまで封印されちゃ見る気もない……というか見たら絶対ハクあたりに失望される。


 あと、右上って指定するのやめてくれませんかね?視線が動いちゃうじゃないですか。


「そんなこと言ってぇ。 目がずっとそっちのほういってるわよ~?」

「誰のせいだと……。 ほら、持ち上げるよっ!」

「は~い」


 俺は見た目よりもズシッと腰にくるタンスをなんとか持ち上げる。

 必死に運ぶ俺をよそに、すぐ目の前で涼しい顔をしながら持ち上げてくる彼女に絶望しながら、俺たちの運び入れ作業が始まった――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ふぃーーーー!」


 すずしぃーーーー!!

 やっぱり、エアコンの効いた部屋は最高だっ!!


 あれから、何度も二階と階下を往復し、ようやく最後のダンボールを運び入れたところで俺の身体は自然と床に倒れ込んでしまっていた。

 彼女は負担を減らそうと運び入れている途中でエアコンを付けていてくれたらしい。倒れ込んだそこはエアコンの風直下。往復しまくって汗をかきまくったこの身体にそれは染み渡る。


「なに一番いい場所陣取ってる……のよっ!」

「おわっ!? 冷た!?!?」


 床にうつ伏せになりながら大の字に開いていると、突然頬に冷たい感触が触れてきた。

 突然のことに思わず身体を起こして見ると、そこにはアイスとペットボトルを二人分手にした柏谷さんが。


「おつかれ。ほら、これで身体を冷やしなさい」

「ありがと……」

「受け取ったわね。 手数料込みで500円貰うわ」

「たかっ!?」

「――――冗談よ。 好きに食べなさい」


 彼女が袋を破ってアイスを口に入れるのを見て俺も飲み物を流し込む。

 あぁ……最高。身体に必要なものが補給されてくってこういう感覚か……。


「やっぱり部屋って……おんなじ間取りなんだね」

「当然じゃない。同じアパートの上下なんだから」

「……それもそうか」


 身体を起こして辺りを見渡すと、家具が少ないせいで広く感じるがまったくといっていいほど間取りは同じだった。

 奥に長く連なる形である部屋に、玄関近くの狭いキッチン。あとはトイレやお風呂だってウチと同じ。こちらはまだ荷解きが済んでいないため、いくつかダンボールが隅にあるだけだが。


「荷解きは一人でできるの? 俺必要?」

「私一人でできるけど……なに?手伝いたいの? それで収納されてる私の下着とか服の匂い嗅ぐんでしょ?キャーエッチー!」

「…………」


 一人で何を言っているんだ。

 そんなこと彼女持ちの俺がしたら、まずあの三人の誰かに殺される。昨日聞いた限りだと溜奈さんは許してくれそうだが、それでも助かる見込みは無いだろう。


「なによ、つまんないわねぇ。 そこは大げさに乗ってくれてもいいのにぃ」

「えっと……タンスの右上だっけ?」

「悪かったわ。 ホントに下着が入ってるから勘弁して頂戴」


 俺がフリのためゆっくりと立ち上がろうとすると止めてくる柏谷さん。

 お互いギャグとしての言動だとわかっているからか、膝を立てた体勢のまま数秒無言で向かい合うと、どちらからともなく笑みが溢れる。


「ふふっ……。 なによ。ホントに開けに行ってもよかったのに」

「そうしたら絶対なにかしたでしょ?」

「あらわかった? 後ろからこのガムテープでがんじがらめにして怜衣ちゃんたちを呼ぼうと思ったのに。痴漢の現行犯だって」


 スッと懐から取り出し、床に転がしたのは布のガムテープ。

 紙のガムテじゃないあたり本気だ。本気で縛って逃げ出すことを許さないやつだ。


「でも、今回ばかりは素直に感謝してるのよ? 普通に文句も言わず手伝ってくれたしね」

「まぁ、友達の頼みだからね」

「あら?私のこと友達って思ってくれるの?嬉しいわ」


 「フフン」と鼻を鳴らして一瞬だけ肩を上げるのを見て、少しは喜んでくれているようだ。

 それなら嫌い認定も少しは軽くしてもらえませんかね?


「ここまで手伝ってくれたもの。ちょっとくらいは眠ってもいいわよ? フローリングで固いでしょうけど」

「いいの……? 正直もう一歩も動けなくってさ……ちょっと10分だけ……」


 正直、久しぶりすぎる肉体労働のせいで身体は悲鳴を上げ、脳は休息を求め続けていた。

 まださっきならば最後の力で帰ることもできたのだが、アイスと飲み物のおかげでもうリラックスモードに入って動くことができない。再起動にはほんの数分だけでも眠らなければ……。


「その間に私はちょっとでも荷解きを続けましょうかね」


 床に仰向けになって目をつむると同時に彼女の動く音も聞こえてくる。

 まだ動けるとか……体力無尽蔵だなぁ。力も俺より遥かにあったし。


「すごいね……まだ体力あるんだ」

「そうでもないわよ。今だって立った瞬間立ちくらみが…………あっ――――」

「えっ…………?」


 細目を開けてその様子を見ようとすると、少し揺れる彼女が大きく身体を傾け、一気に横になっている俺との距離を詰めてきている様子が目に入った。

 けれど疲れのピークに達している俺は何もできない。ただただその行く末を見ていることしかできない。

 そんな俺でも、一つの結論にたどり着いた。 そういえばさっきガムテープを転がしていたと。身体を傾ける寸前、何かに足を取られたかのように腕が大きく揺れ動いたと。


「ぁ…………」

「ぇ…………―――――!!!」


 脳も身体も動かない俺がそうなるのは必然だったのか、はたまた偶然だったのか。

 彼女の傾いた身体は幸か不幸か俺の方へと倒れ込んでいき、俺は肩を支えて彼女を受け止めようとする。

 しかし、同時に呆気にとられているその顔が俺の目の前まで迫ってきており、体重のかかった勢いがフラフラの腕2本で支えきれるはずもなく、もうすぐそこまで迫ってきていた。


 顔と顔が接触する、受け止め方。

 それも、唇同士の接触だった。


 お互い目を見開いたまま、何が起こったのかすら理解する前の事故。

 衝撃は両肩を受け止めて最小限に抑えたはいいが、それ故にしっかりと、それでいて優しい唇同士の接触となってしまった。


 ゴロンと回転するように俺の横に倒れ、上半身だけ起こした彼女は唇をそっと触れている。その様子を見て何が起こったのか理解した俺も、今までの疲れすら忘れて慌てて飛び起きた。


「あっ――――いやっ!ごめん!! さっきのは…………!」

「さっき……のは…………」

「…………ごめん」


 慌てて謝るも、怒るでも悲しむでもなく、ただただ驚いたように唇を抑えている柏谷さん。

 その視線はどこか遠くの、虚空を見つめていた。


「……今日の……ところは……いいから……」

「えっ――。 うん、ごめん……」

「いいから…………。また……ね……」


 目を見開いたまま告げる彼女に、どうすることもできない。

 後ろ髪引かれる思いの中、俺は静かに玄関まで歩いてき、その扉を開ける。


「また……ね……」


 扉を閉める時に見えたその顔は、全く変わらず驚きの表情のままだった――――。

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