第3章

054.大切な2人


 燦々と暑い日差しが降り注ぐ季節、俺は悠々とエアコンの効いた空間で一人、夢の世界から目を覚ます。

 見渡せば電気の消えた暗い部屋に外からの日差しが入り込み、その狭い部屋が露わになっていた。


 男の一人暮らしとは思えぬ、整頓された室内。

 俺でさえもこんなに綺麗なのは実家の部屋でもありえないが、毎回幼なじみ兼恋人が片付けてくれるから自然と整頓されるようになっている。


 俺は二度寝することなく起き上がってから手早く顔を洗い、そのままキッチンへと向かい合う。

 冷蔵庫を開けると千切りされたキャベツやら出汁と書かれた入れ物が見つかった。今日はこれを使ってだし煮やらの和食でも作るかね。



 これは記憶を取り戻して得したもののうちの一つ……料理スキルだった。

 失ってからは、まさか俺が1年もこのキッチンに向かってるなどとは思っても見なかった。ずっとハクのお世話になったりコンビニ生活だと思ってたのに……。

 だからだろう。そんな思い込みもあってかこれまで一度もキッチンに立ったことがなく、自らが料理できることに気づかなかった。

 けれどもうできると確信した今となっては問題なく実力を発揮できる。俺は目玉焼きを作りながら並行して味噌汁も作っていく。


「はれぇ……? おねぇちゃん……もう起きてたのぉ…………?」


 卵の焼ける音を聞いていると、ふとそんな可愛らしい声が聞こえてきた。何事だと顔を向けると、眠そうに目をこすりながら身体を起こしている銀髪美少女……溜奈さんがベッドの上で語りかけてきていた。

 エアコンの効いた部屋だけあってか大きめの長袖シャツを身につけているものの、ズレてその左肩は完全に露出して、寝起きと相まってか少し色っぽさを醸し出している。


「おはよう溜奈さん。ご飯はちょっとまってね」

「あれぇ……?なんで泉さんが…………あぁ、そっかぁ…………」


 彼女が自宅ではなくここで目覚めた事に一瞬だけ疑問に思ったが、すぐにその理由を思い出したようで納得したように肩を撫で下ろす。

 そしてピョンとベッドから飛び降りて軽い足取りで俺の方まで近寄ってきた。


「いずみさぁ~ん おはよぉございます~~!えへへぇ~」

「わっ! 今は危ないよっ!」

「ふぇへへぇ……いいにおい~……」


 ジュージューとフライパンの上で卵が音を立てている中、突然近づいてきた彼女は俺の背中にギュッと抱きついてくる。

 いい匂いというのはこの料理のことだろうか。それにしては抱きついている顔が俺の背中に張り付いて離れようとしてないし卵の匂いを嗅げるとは思えないんだけど。しまったな……起きてからまだ着替えてないんだよね…………


「そういえば泉さん……料理、できたんですか?」

「ん? あぁ、そうみたい。俺も記憶が戻るまで知らなかったけどね。 そろそろ出来上がるから怜衣さんをお願いできる?」

「はぁ~いっ!」


 ギュッと俺の身体を力いっぱい抱きしめていたのもそのお願いで素直に離れてくれ、もう一人が眠っているベッドへと戻っていく。


 危なかった……。

 火元だったのはもちろん、完全に身体が密着していたものだから背中に柔らかな感触がひしひしと伝わってきていた。朝は不味い。何がとは言わないけど。


「おねぇちゃ~んっ! おきて~!」

「んん……もうちょっと……もうちょっと寝かせて…………」


 朝ごはんもそろそろ出来上がるが、向こうではまだ眠気と戦闘中のようだ。

 チラリとベッドへ視線を移すと、頑張って身体を揺すっている溜奈さんと、それを必死に抵抗している怜衣さんの姿が目に入った――――。





 ――――俺は昨日、事故を寸前で回避し、これまで失っていた記憶を取り戻した。

 その時思い出したのが1年の頃の楽しい記憶……ではなく殆どが暗い、怯えていた記憶だ。

 思い出した直後にその怯えている原因が怜衣さんと溜奈さんにあることに気づいたものの、2人ははその場から去ってしまっていた。


 柏谷さんによると実家に帰ったらしい。半ば無理矢理その後を任せられてしまったが、結果的に彼女のおかげで連絡を取ることに成功した。


 そして3人で話し合った昨日の夜。

 大まかなことは端折るが、概要的には俺は2人の事が好きだと伝え、気がついたら朝になっていた。



 ――――いや、別に一線を越えたとかそういうわけじゃない。

 2人が泣き出したのを抱きしめていると、そのまま寝てしまったのだ。

 ハク経由で柏谷さんに連絡をとっても、「置いとけ」という放置技。仕方ないから2人をベッドに寝かせて俺は床で夜を明かした。

 固いフローリングで寝たから寝坊ということもなく、奇妙な感覚で目覚めた今日の朝ということだ。



 ちなみに昨日、何故急に去ってしまったのかと聞くと合わせる顔がなかったからとのこと。

 その後は学校をも辞め、俺との関係を断つつもりだったらしい。それには驚いた。確かに最初怯えてた感あったけど、あれは事故の光景がフラッシュバックしただけだというのに。


 そもそも、俺が1年の時怖がっていたのは正体がわからなかったからだ。

 正体が2人だと判明した今では怖いもなにもない。というか、こんな可愛い子2人に好かれてストーキングされるって逆にご褒美にしかならないだろう。

 そう伝えると昨日は更に泣かれてしまった。……普通の感性だと思うんだけどな。


 あ、でも部屋に盗聴器付けられてたのは知らなかった。

 そうだよね。そうじゃなかったらタイミング良すぎるもん。カレー作りに来てくれた時とか夜のコンビニ行くのに会ったとか、明らかにウチの様子を把握していないとできない。





「ふぁぁ……おはよう……泉……」

「おはよう、怜衣さん。 顔洗ってきたら?」


 ふと床の鳴る音に気がつくとそこには、未だ眠そうに目をこすっている怜衣さんがこちらに歩いてきていた。

 溜奈さん同様、長袖シャツに短パンという格好。その肩甲骨ほどまで届く銀の髪は結ぶことなくストレートに垂れていて、同じ髪型の溜奈さんと比べても見分けるのがかなり難しい。

 あとはお皿に分けるだけだし顔を洗っている間に準備が整うだろう。けれど彼女はその場から動くことなく鍋とにらめっこする俺のことをじっと見つめている。


「どうしたの?」

「その……本当に、今までごめんなさい。 それと……受け入れてくれて……「好き」って言ってくれてありがとう」

「怜衣さん…………」


 昨日何度も謝ったはずなのに……。それほど気にしているということだろう。


 俺は手にしていたお玉を置き、彼女と向かい合う。

 その表情は眠たげなものに加え、怖がっているのか瞳が小刻みに揺れ動いていた。目の端には涙が貯まっているがどちらかわからない。

 そんな手を胸元で合わせてしきりに動かす彼女をそっと抱きしめる。


「ひゃっ……!」

「俺こそありがとう。 2人に好かれて嬉しいよ」

「でも……本当にいいの?」

「? なんのこと?」


 そんな問いかけに何のことかわからず彼女を離そうとするも、その腕はガッチリと背中に固定されていて離れることができない。


「私達、本当に重いわよ? あなたをこうして1年見続けてたんだし……。今受け入れちゃったら、もう一生離れることなんてできなくなるわよ……?」


 なんだ。そんなことか。


「むしろ1年も見てきて見限られなかったことのほうが驚きだよ。 重いのも全然。むしろそれだけ好いてくれてるってことだしね」

「っ――――! そう……ありがとう……大好きよ」


 小さく溢れる「大好き」の言葉。


 彼女の息を呑む音と同時に、背中に回る力が更に強くなる。

 俺的には、重くても想われるなんてどんなご褒美だと。勉強も料理もできて優しい。更に可愛いと非の打ち所のない子が2人もだ。むしろこちらから土下座するレベルなんじゃないかと思う。


「それじゃあ怜衣さん……そろそろ顔洗ってきなよ」

「ヤッ――」

「へ?」

「いやよっ! このまま朝ごはん食べる!もうひとときも離れないっ!!」

「…………えぇ……」


 何故か抱きついたままの彼女は駄々っ子のように声を上げ俺の胸へ顔を埋める。

 ちょっとー?服着替えてないから汗染みこんじゃってると思うんだけどなー。


「泉さん……」

「溜奈さん……ヘルプ……」


 俺を呼びかけるのは洗面所から戻ってきた溜奈さん。

 助かった!これで怜衣さんを離して朝ごはんを食べることができる!


「次、私ですからねっ! おねぇちゃんを抱きしめた分、私にもお願いしますっ!!」

「えぇー…………」


 胸元で握りこぶしを作って輝く笑顔を見せてくる溜奈さん。

 可愛いけど……可愛いけど、朝ごはんを食べさせて――――――――!!

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