051.大嫌いなアイツ
あたしは誰も居ない廊下を歩いていく。
壁には何やら高そうな絵画が並んでいるが、絵に興味も無いからその良し悪しもわからない。
並ぶ絵の反対側には、プレートすらかかっていない似たような扉が幾つも並んでいた。
そのどれもに特色も無く、初めて来た人にとっては目当ての部屋にたどり着くのに時間がかかるだろう。
けれどあたしは迷わない。今日も玄関で案内が要るかと聞かれたが丁重に断った。
なんていったってここには何年も、何度も通った家だ。ここ一年ほどはご無沙汰だったが、それでも部屋の変更はされてないはず。
迷いのない歩みはとある扉の前で立ち止まる。
そこはこの廊下最奥の部屋。
茶色い、特筆することもないただの扉。閉じられた廊下側からはそこが何の部屋かわからない。しかしあたしには問題なかった。目の前で深呼吸し、何度か扉をノックする。
「あたしよ、亜由美。 そこにいるんでしょう?」
「…………」
扉の向こう側に居るであろう人物に話しかけるも、何の返事も帰ってこない。
もしかしたらここに居ないかも……そんな考えが頭の隅をよぎったが、根拠のない確信があった。あたしは躊躇なくドアノブに手をかける。
「待つのも面倒だから勝手に入るわね――――――――ほら、やっぱり居るじゃない」
幸い鍵はかかっておらず、扉を開けて正面に、目当ての人物は居た。
白い床に白い壁紙が貼られた、およそ15畳ほどの部屋。部屋に入って正面を向くとフカフカのキングサイズベッドが真っ先に目に入る。
そんなベッドを囲むように位置するのは大きなクローゼットや化粧台、更にはハンモックまで見受けられた。
彼女は埃一つ無い部屋の中央に居る。ベッドで突っ伏すようにして倒れ込んでる目的の少女がそこにいた。
「なによ落ち込んじゃって。 そんなに後悔するならやらなければよかったじゃない」
「亜由美ちゃん…………」
突っ伏す少女の隣で励ますように背中を撫でる、もうひとりの少女が振り向く。
「溜奈ちゃん……。 もうっ、そんな顔して。可愛い顔が台無しじゃないの」
あたしもベッドに乗り込んでから目を赤くしている溜奈ちゃんの髪を優しく撫でる。
嫌がるかとも思ったけど、彼女はされるがままで何も言わない。困ったわね……ここまで深刻に受け止めてるとは。
「……それにしても、やっぱりこっちに居たのね。 まぁ当然よね、だって別宅とやらはアパートの目の前で帰れないもの」
そう言ってあたしはこの部屋を見渡す。
以前来たときと変わりない、広くてシックな雰囲気のお部屋。
ここは彼女たち……怜衣ちゃんと溜奈ちゃんにとっては実家の寝室だ。
あたしは2人に会うため、あの安アパートから1時間かけてこの家へとやってきたのだ。
別宅よりも小さい、しかしあっちよりもお金のかかった家。あたしも何度か遊びに、そして泊まりにも来たことがある。だからここまで来るのに迷うことはない。そして2人の居場所も別宅かこっちの二択しか無かったから見つけるのも簡単だった。
「グス……なにしに……来たのよ……」
久しぶりに訪れた部屋に懐かしく感じていると、くぐもった声が聞こえてきた。
怜衣ちゃんだ。彼女はうつ伏せになったまま片目だけこちらを向けて恨めしそうに問いかけてくる。
その蒼色の瞳がこちらに向けられるが、潤んでいるせいで光っているように見える。
彼女にも手を伸ばして頭を撫でると、表情一つ変えること無く受け入れてくれた。
「そりゃああんな帰り方したら心配するでしょ。 …………何があったの?」
「……聞いたのでしょう? 私たち、彼にひどいことしてたのよ」
「ひどいこと……ねぇ。 あたしは言うほど?って思ったけど」
確かにその件については、なんとなくだけどあたしも聞いた。
後をつけるのと、家の近くを嗅ぎ回ってたんだっけ? 正直それだけで怯えるとは思えない。
あの何股もするような男だ。もっと図々しく居座ると思う。
「聞いてないのね……」
「何がよ?」
「……彼、これまで記憶が無かったでしょう?」
「えぇ、そうみたいね。 あたしも驚いたわ」
彼が記憶喪失というのを知ったのは、先週末だ。
あのパパに嵌められた、お見合いでのさなか。たしかに要所要所で困っているのか戸惑っている部分は見受けられたが、まさか記憶が失くなっているとは思わなかった。
けれどそれも過去のこと。さっき全部思い出した……らしい。
「たぶん、そこまで意識が向いてなかったと思うけど……。 私たち、ホントは付き合ってなんて無かったのよ」
「…………えっ?」
「事故で記憶がなくなるまで彼を付け回していて、事故で記憶が無くなったことをいいことに、2人揃って付き合ってるって刷り込んでたの……。 ね?最低でしょ私たち……」
伏せていた身体をゆっくりと起こした怜衣ちゃんは、自嘲するように口を歪める。
だからか……だから、事故に遭う直前まで追われていたのか。そうでないと付き合うタイミングがない。辻褄が合わない。
「――――だから、私も溜奈も、彼に合わせる顔が無いのよ。 当然じゃない。ずっと遠くから見てただけだったのに、突然近づいて来たんだもの。気味悪いに決まってるわ」
彼女の自分を卑下する言葉は止まらない。
溜奈ちゃんも同様の思いなのか顔を伏せたままで何の口出しもしてこなかった。
「本来なら私たちは近づく資格すらなかったの。 それなのに都合よく嘘をついてまですり寄って……とんだ大馬鹿者よ。いずれ記憶を取り戻した時にこうなるって分かったのに、ひとときの夢を憧れたからって…………」
天を仰ぎ、全てを諦めたように彼女は笑みを浮かべる。
彼に怖い思いをさせたのは事実だ。そして嘘をついたことも。
でも、なんだろう……あれだけ仲良さそうにして、いざ記憶が戻ったら勝手に逃げるって――――ムカつく。
「そう……。じゃあこれからどうするの?」
「どうしようかしら……もう彼とは顔向けできないし……学校にも行けないもの。退学後はずっとこのまま部屋に居るのも、悪くないかもしれないわね」
「…………」
可愛くて優しい、親友の怜衣ちゃん。
あの時のお固い怜衣ちゃんと人見知りの溜奈ちゃんが明るく変わったのは嬉しかったし歓迎した。でも、いざ中学の時に戻ったかような空気を醸し出されると、我慢できなくなる。
「それじゃあ、琥珀ちゃんに奪われちゃってもいいの?」
「…………えぇ。2人は幼なじみでお似合いだもの。きっといい間柄になるわ」
「ふぅん……。 なら、そこにあたしが加わっても文句無いわよね?」
「…………えっ?」
あたしがベッドから飛び降りるようにして数歩扉に近づくと、彼女は前かがみになって不安そうな瞳で聞き返してくる。
……やっぱり。全然じゃない。
「あたしも最近まで知らなかったんだけどね、パパと彼のお父さんって昔からの親友らしいのよ。 で、前の日曜にそのことを知らずお見合いに行ったんだけど、まさかお見合い相手が彼とはねぇ~。
その時は何ともならなかったんだけど、彼、結構魅力的じゃない? あたしも彼女に立候補しようかしら」
「ぇ…………ぁ…………」
「だってアイツは3股さえ許容してたんでしょ?2人が降りてあたしが入るなら2股で済むじゃない。 それに、本来あたしたちは許嫁になる予定だったもの。両家の挨拶は済んでるしそれくらいいいでしょう?」
許嫁なんて真っ赤なウソ。ちょっとした誇張表現。
彼女は混乱しているのか口がうまく回ってない。けれどその瞳にどんどん涙がたまっていく。
「ぁ……だ……ダメ……」
「ダメ? だって2人は恋人関係解消するのよね? だったらあたしたちの関係にアレコレ言うのは違うんじゃない?」
「そ……それは……」
あたしの言葉に言い返すこともできずただただ綺麗な瞳から涙がこぼれ落ちる。
もうちょっとよ……怜衣ちゃん、頑張って…………!!
「そうね、そうしましょうか。 琥珀ちゃんには最初いい顔されないでしょうけど、二人して心の傷を癒やしていくようにすればきっといい関係になれるわ。それからは……どうしましょ。3人で爛れた関係ってのも――――」
「――――ダメよっ! そんなの!!」
やっときた。
あたしの言葉を遮るように叫んだ怜衣ちゃんはベッドから立ち上がって睨みつけるように私を見下ろしてくる。
そのままベッドから飛び降りて私と正面から向かい合った。
「どうして? なんで怜衣ちゃんにそれが言えるの?」
「私も彼のことが大……いえ、私が世界で1番彼のことが好きだからよっ! それにまだ恋人解消なんて一言も言ってないわ!まだ付き合ってるもの!!」
身長差もあるせいか、本気で怒って見おろされるあたし。
やっと元気が出た。ようやくか。
あたしはその喜びに口が緩みかけるものの、慌てて挑発的な笑みに切り替えて彼女を見上げる。
「でも、また怖がられるんじゃない? 果たして許してもらえると思う?」
「それは…………謝り続けるわ。一生かかっても、許してもらえるまで。 それに――――」
「それに?」
「彼は私が惚れるほど優しい人だもの。 きっと……ううん、絶対許してもらえるわ」
その柔らかな表情にあたしは中学の頃の彼女を思い出す。
勉強熱心で、真面目で、曲がったことが許せなかった怜衣ちゃん。そんな彼女が今では柔軟性を持ち、こんな優しげな笑みを浮かべるようになった。
あたしはこの表情を作らせたであろうアイツに軽く嫉妬してからその身体を抱きしめる。
「ひゃっ! あ……亜由美……?」
「大丈夫。心配しなくてもアイツは怒ってないわ」
今まで泣いていたせいか、少し肩を震わす身体。それはなんとなく、あたしよりも身長が高いはずなのに小さく思えた。
あたしはギュッと怜衣ちゃんを抱きしめながらその髪を梳く。
「ほ……ほんと?」
「えぇ。 アイツは生意気にも、アタシの前で怜衣ちゃんと溜奈ちゃんが好きって言ったのよ。それも琥珀ちゃんのことが好きって言った直後にね」
ホント生意気。
堂々と3人が好きって何様よ。しかもこんなに可愛い子たちを泣かせちゃって。許さないわ。
あ、結局私が代弁しちゃってるじゃない。 ……まぁいいか。また貸しにしてあげましょ。
「だから、アイツに会ってあげなさい。 今頃凄く心配してるわ。 …………ほら、さっきからスマホが震えてるの、そうじゃない?」
部屋に入ってからずっと気になっていたが、テーブルの上には2人のスマホが交互にヴーヴー煩く鳴っている。
アイツが電話でもかけてるのでしょうね。でも、もうちょっとあたしが独占するんだから。
「えっ……! ぁ……本当。 彼からすごい数……」
「電話……は声震えそうね。メッセージでも送ってあげなさい。 これから会おうって」
「っ…………!」
怜衣ちゃんはスマホを持って部屋を出ていく。
ふぅ、あとはもうひとり…………。
「さて――――。 溜奈ちゃん……は、案外冷静だったわね。大丈夫だったの?」
「私? ぅん……私は許しても許してもらえなくても、受け入れたかなって」
「…………へぇ」
その予想外の言葉にあたしはつい息を吐く。
もしかして、怜衣ちゃんは強く想ってるけど、溜奈ちゃんはあんまり彼のこと好きじゃ無い?
「それは潔く諦めるってこと?」
「諦めるっていうか…………ちょっと違うかな? だって許されなかったとして、それが泉さんの幸せに繋がるなら、私は大人しく退いて一生部屋で泉さんの幸せを祈ってたもん」
「…………うん?」
なんだって? 一生ここで……?
「あ、でも。もし、もしもだよ? 白鳥さんが幸せにできなかったら…………私、何するかわからないかな? えへへ……」
「…………それは、たとえば?」
私は一筋の汗を垂らしながら微笑を浮かべる彼女に問いかける。
「うぅん……例えば拉致して一生ここで幸せに過ごしたり、幸せになれるようコッソリ手を回したりかな? あ、あとは不幸せにする要因を排除するのもありかなぁ。えへへ」
「――――」
前言撤回。この子は怜衣ちゃんが赤子に見えるほど愛が深かった。
やばい。多分1番実行力を持ってるのは溜奈ちゃんだ。振られたら一歩引くけど、絶対に諦めない。そして隙を見せたら真っ先に奪いに行くタイプ。
「あ! でも亜由美ちゃんは大丈夫だよっ! 私も大好きだしきっと泉さんを幸せにしてるくれるからっ!!」
「私が? なんで?」
「えっ? さっき許嫁だからくっつくって…………」
あー、そんなこと言ってたっけ。
適当に怜衣ちゃんを焚きつけるため言ったことだからなぁ。
「前も言ったと思うけど、あたしはありえないわ」
「? どうして? 他に誰か好きな人がいるの?」
「それは居ないけど……。 ともかく安心して。あたしは2人のこと応援するから」
「…………うんっ!」
あたしの言葉に溜奈ちゃんはここ1番の笑顔を見せてくれる。
なんだか3股を認めるような形になっちゃったけど、それが2人の幸せに繋がるならしょうがないわよね。
でも、アイツのことは大嫌い。
それだけは絶対に変わらない。だってあたしの大好きな親友を落としたのだから――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます