047.伝える相手


「ふぅ~ん……高校時代の親友……ねぇ…………」


 父さんと彼女の父親によって開催されたお見……お食事会。

 俺は完全に騙される形でやってきてしまった柏谷さんと机一つ挟んで向かい合い、料亭の食事に舌鼓を打っていた。


 テーブルの上にはここらの特産だという料理の数々。

 シュリンプやらお吸い物やら諸々と名前も知らない料理がチョコチョコと並んでいるが、その中心には肉が鎮座していた。

 案内の紙によるとA5和牛という表記が。……これだけはいくらご馳走に疎い俺でもわかる。やばいやつだ。


「アンタの言い分はよく分かったわ。昨日パパが変な笑いをしてた意味も…………。あ、このテリーヌ美味し」


 なるほど、彼にとっては最初から騙す気満々だったというわけか。


 柏谷さんはそう言ってため息をつきつつも、料理自体は味わって食べている。

 この四角い料理はテリーヌというらしい。豆腐やチーズの亜種かと思っていた。


 …………それにしても、彼女とこうして向かい合って食べるのは初めてだ。

 学校では怜衣さんらと一緒にしていて俺はそこに加わっていないし、近づいたところで警戒されてばかりだった。

 だからだろう。企みに嵌められたとはいえこうして二人一緒に食べるのが新鮮に思える。


 こうして見ると、柏谷さんも立派なお嬢様なんだよな。

 その似合っている振袖もそうだし、食べる所作が美しい。

 よくよく見れば薄く化粧をしているのだろうか。いつもより顔の陰影がはっきりしている。


「……なによ」

「あっ、ごめん。 なんでも」


 気づけば俺は手を止めて彼女の顔ばかり見ていたようだ。その視線に気付いたらしく怪訝な目をされていた。


「言いたいことがあればはっきり言いなさいよね。まったく……こんな男のどこに惚れたんだか……」


 そこについては俺も全面的に同意する。

 こんな俺のどこに惚れたんだか。


「柏谷さんはなんて言われて来たの?」

「さっきの聞いたでしょ? 昨日帰ってからパパの仕事関係の娘さん……大人だけどね。その人と食事って聞いてたのよ。大事な話だから正装でって言われて振袖まで用意したのに…………」


 あぁ……やっぱり俺の名前なんて一つも出てなかったのか。まさか性別さえも偽るなんて。


「よくよく考えればおかしな話よね。なんで仕事の話で私を呼び出すんだか……呼ぶならおじいちゃんかママだけでも良かったのに。 私もご馳走をぶら下げられて気が早っちゃったのかしら。制服にしとけばよかったわ」

「でも、柏谷さんの振袖姿、可愛いよ?」

「あぁはいはい。 ありがとね」


 適当に流すような対応でステーキを口に入れる柏谷さん。


 本当に可愛いって思ってるんだけどなぁ……。


「てかアンタ、そういうのは怜衣ちゃんと溜奈ちゃんに言ってあげなさいよ。一回も聞いたことがないって前のお昼嘆いてたわよ」

「えっ、そうだっけ?」

「そうよ。なんであたしにはサラリと言えるのにあの子達には言ってあげないのよ」


 そうだっけなぁ……可愛いって常々思ってたけど言ってなかったっけ?

 今度、近いうちにでも機会があれば言わないとな。そういうのは言葉にするのが大事だってハク様も言ってた。


「また……今度ね」

「えぇ、そうしてあげなさい。きっと喜ぶわ――――って、なんであたしがこんなアドバイスしてるのよ」


 ごもっとも。

 けれど文句を言うのは口だけで、内心不思議でも何とも無いのか目の前の食事を口に入れる。

 あ、お肉すっごい。柔らかくて噛み切りやすくて……なんというか、美味しい。


「ねぇアンタ、ホントに何も知らないの?なんで2人に惚れられたかって」

「本当になにも。むしろ俺が知りたいくらい」

「でも心当たりくらいあるんじゃないの?  例えば飛んできたボールをかばってあげたとかナンパされてるところを助けたとか」


 なにその具体的な例え。

 随分と惚れられる経緯が漫画チックだ。


「さっぱり。そもそも記憶無いんだからわかりようもないしね」

「えっ……記憶を……?」


 彼女は不意を突かれたように手にしていたお箸を落とし、丸くした目でこちらを見る。


 あれ、何その反応?

 もしかして俺の記憶が無くなってること知らなかった?


「聞いてない? 俺、3月末に事故に遭って丸1年の記憶が無くなってるんだけど」

「なにそれ! 聞いてないわよ!! どうしてそんな…………それ以外に後遺症は無いの!?たまにボーッとするとか目眩とか!」


 なんでそんな前のめりに……ってそうか、医者の娘だもんな。風邪引いた日も心配してくれたし、それが彼女の優しさなのだろう。


「いや、大丈夫。 定期的に診てもらってるし、何もないよ」

「そう…………。尚更不思議ね。アンタが記憶を無くした期間何があったのやら」


 ね。俺もそれが知りたい。


「記憶かぁ……。そういう分野ってかなり難しいのよね。よく聞く話じゃ自然にとか強烈なショック、あとは無くなる前に行った場所にもう一度行ってみるとかだけど」

「最初の2つはともかく、3つ目は収穫なしだったね」


 以前ハクの発案で行ったカフェ巡り。

 その他にも思いつくような場所に行ったものの、全て空振りだった。


 強烈なショックなんてどうすればいいかもわからないし、もう自然に快復するのを待つしか無いと思っている。


「記憶が無いのなら理由とか聞かれてもわからないわよね……悪かったわ」

「いいや、俺もごめん。怜衣さんたちから聞いてると思ってた」


 いつの間にかテーブルの上の食べ物はなくなり、2人だけの個室に静寂が場を占める。

 少し雰囲気を悪くさせてしまっただろうか。でも俺もまさか知らないとは思わなかった。




「…………綺麗なお庭ね」

「えっ……? あ、あぁ。そうだね」


 どうすればいいかもわからず場の流れに身を任せていると、ふと彼女から優しげな声が聞こえてくる。

 彼女はふすまの向こうに見える庭に目を向けているようだった。


 日本庭園と言ってもいいほどの、美しい庭。

 コイが泳ぐ池を中心として大小様々な木々が静かな世界にアクセントを加えている。


「これ、降りれるのかしら…………降りれそうね。行ってみましょ」

「あっ!ちょっと柏谷さんっ!」


 彼女はまっすぐ庭の方へ行き、近くに散策してもいいように置かれていたサンダルに気付いて砂利の道を歩いていってしまった。

 俺もそんな彼女の後を追いかけるようにして慌ててその後姿を追っていく。


「さすがは力を入れていると言うだけはあるわね。侘び寂びのきいてていいお庭だわ」

「そう……だね……」


 ようやく追いついた俺を気にすること無く歩みを進める柏谷さん。

 確かに凄いと思う。しかし侘び寂びといってもある程度はわかるが詳しくはさっぱりだ。そういうのは昔から触れているであろう彼女にこそわかるなにかがあるのだろう。


「コイも……見て頂戴。 これ、紅白っていうのよ。綺麗な模様ね」

「紅白?」

「コイの品種よ。ちゃんと綺麗に紅色の模様が3段になってるのが綺麗って言われているわ」

「へぇ……」


 確かに自由気ままに泳ぐコイはどれも色がはっきり3段になっていて綺麗だ。肉付きもよく美味しそう。


「詳しいね。柏谷さん」

「パパがこういうの好きでね。 毎回言われると嫌でも覚えちゃうのよ」


 なるほど。もしかしたらこの店を選んだのも彼の趣味なのかもしれない。

 俺にはよくわからないけが、おいしい食べ物に綺麗な庭と、漠然だけれど凄いと思う。


「2人ともー! そろそろいいかいー!?」

「噂をすればパパね」


 ふとかけられる声に目を向ければ、さっきまで俺たちが居た部屋には俺たちの父親2人が。

 向こうも食事が終わったのだろう。こちらに向かって手を振っている。


「は~いっ!今行くわっ!  ……さ、アンタも、行くわよ」

「了解。 十分、満足できたしね」


 池に近づいていた俺たちは彼らを待たすまいと揃って部屋へと来た道を戻ろうとする。


 けれど、それは上手いこといかなかった。

 俺は自然と砂利の道を一歩踏み出したはいいが、彼女はきっと歩き慣れていなかったのだろう。

 柏谷さんはその長い裾を踏んだのか、一歩踏み出すことができずに俺の目の前で身体が大きく傾いていく。


「えっ――――」

「柏谷さんっ…………!!」


 そのまま見届ければ身体の傾いた彼女が慣性に従って池に落ちてしまうことは明白。

 きっと俺の脳裏には昨日の朝の光景が浮かんでいたのだろう。俺は考えるよりも早く腕が動いてその手に伸ばしていた。


 何が起こったのか理解できず、目を丸くしながら手を伸ばす柏谷さん。

 そんな彼女を落とすまいと、俺は必死に伸ばした手を彼女の腕に―――――――届いた。


「わっ……!!」


 小さな彼女の叫びに呼応するように込めた力は理想通りの動きをしてくれて、届いた手を思い切り引っ張った俺は彼女とともに砂利の地面へと倒れ込んだ。

 背中から落ちてしまったが、だいぶ細かい砂利のお陰か痛みも殆どない落下。柏谷さんも俺の胸の上で自らの身体を抱いているからきっと怪我はないだろう。


「大丈夫……?柏谷さん」

「えっ……えぇ……。私、転けかけたの?」


 未だに混乱しているのか何が起こったのか理解が追いついていないようだ。

 でも落ちなくてよかった。落ちてしまえばせっかく綺麗な振袖着てるのに台無しだから。


「うん。無事でよかった……」

「あ、ありがと…………って、あ……あああアンタ! 近いわよっ!!」


 一緒に倒れてしまったせいか、俺と彼女の距離はほんの十数センチ。

 そのことをようやく自覚したのか慌てたように離れていき自らの足で立ち上がる。怪我は……なさそうだ。


「ごめんごめん。でも無事で良かった。 せっかく可愛い格好してるんだから、落ちたら台無しだったもんね」

「っ――――! そ……そういうのはあの子達に言ってあげてって言ったじゃない……」

「そうだったかな? ごめん」


 俺の言葉を受けた彼女は慌てたように背を向けてしまったが、きっと助けられたことが恥ずかしいのだろう。

 嫌いなのに感謝しなきゃって……心が追いつかないだろうし、それでいい。


「謝らなくていいわよ。 その……ありがと」

「…………うん」

「……さっさと行くわよ!向こうでパパたちが待ってるわっ!」


 今度はしっかりとした足取りで俺を置いて戻っていく柏谷さん。

 俺もそんな彼女の後ろ姿を見ながら、ゆっくりと追っていくのであった。

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