046.紅の令嬢


「すっご…………」


 セミが鳴き続ける夏の休日。

 俺は炎天下の空の下、とある店の前で立ち止まっていた。


 その目に入るのは立派な門構えの和風の建物、いわゆるお屋敷というものだった。

 門を飛び越えて見えるのは立派な柳の木や松の木。そこは門前からして厳かな雰囲気に包まれている。


 俺は父さんより与えられたミッションを遂行するため、ここらで1番の料亭へとやってきていた。


 大通りから少し離れた、静寂の中にあるお店。ここが昨日話に出た、柏谷 誠さんが指定されたお店だった。


「なにやってんのー! 置いてくわよ~!」

「あっ……ごめんっ!」


 どうやらその雰囲気に圧倒されたのは俺だけみたいだ。

 付き添いで来てくれた父さんも母さんも何とも無いように門をくぐっていく。


 もしかして、2人ともこういうとこ行き慣れてるの? 俺だけ?こんな緊張してるのは。


「いらっしゃいませ。ご予約はされておりますか?」

「はい。名前は――――」


 俺たちの来訪に気がついた店の人と母さんのやり取りを辺りを見渡す。

 これが料亭というやつか……なんだか和で統一された、別次元のような場所だ。さっきまで歩いてきた街中の喧騒が嘘みたいに思える。


「それでは、ご案内致します」

「ありがとうございます。  ほら泉、行くわよ」

「あ、あぁ」



 赤いカーペットで敷き詰められた廊下を通り、全面ガラス張りの障子から見える庭を眺めながら着いた場所は建物の最奥、庭を独り占めできるかのような部屋だった。

 部屋には和室に似合う黒くてシックなテーブルと椅子、そして高級そうな掛け軸があり、本当に凄いところに来たのだと実感させられる。


「まだ来てないのね」

「そうだな。 まぁ座っていようか、母さん」

「はいはい」


 そんな部屋の入り口で立ち尽くす俺を置いてそそくさと椅子に腰掛ける2人。

 俺はフラフラと障子の方に行き、その整備された庭を眺める。


 きっと毎日誰かが整備しているのだろう。マメツゲが寸分の狂いもなく綺麗な丸みを帯びていて、少し奥にある池にはコイが元気に泳いでいる。


「泉、そろそろ座りなさい。時間よ」


 ボーッと眺めているのもすぐのこと、母さんに呼ばれた俺は大人しく2人の間へと腰を下ろす。

 こんな所で食事とは思わなかった。美味い飯って父さんが言ってたから、精々ちょっといい感じのレストランだと思っていたのに。


 ……でもまぁ、相手は多分知った人だ。多分……おそらく……。これで違ったらどうしよう。


「失礼いたします」


 入り口から背を向けるように下座に座った俺たちにかけるのは、店の人の声。

 その人は俺たちが振り向くのを待ってゆっくりと話し出す。


「柏谷様がいらっしゃいました。まもなくいらっしゃいます」


 その言葉に2人が起立するのに合わせて俺も慌てて立ち上がる。

 すると障子の向こうから何人かの人がこちらに歩いてくるのが見て取れた。


「おっ、もう来てたのか。待たせてしまったかい?」


 店の人に連れられて来たのは一人、スーツを身にまとった男性だった。

 細いフレームのメガネを掛け、スラリとした体格の男の人……この人が柏谷 誠さんだろうか。

 物の良し悪しのわからない俺でも、そのシワ一つ無いスーツを見れば明らかに住む世界が違うことが見て取れる。完全に裕福な人だ。ウチみたいな一般家庭とはレベルが違う。

 けれど彼はそんなオーラを気にすること無く気さくに話しかけてくる。


「もう随分とな。かれこれ2時間くらいか」


 えっ、何言ってるの父さん!そんなに待ってないでしょ!

 精々5分から10分くらいだ。


「ははっ。あいも変わらず絶妙な冗談を言うねぇ……。 今日は来てくれてありがとう」

「……おう」


 そんな父さんの言葉も嘘だと気付いて自然と流す姿はさすが親友と言うだけはあるのだろう。

 彼は頬の端が上がっている父さんと固く握手を交わして俺へと視線を向ける。


「キミがせがれか。 えっと……泉君だっけ?よろしくね」

「あっ、はい。 よろしくおねがいします……」


 差し出された手を軽く握ると、彼からはギュッと固く握られた。

 下手すれば好青年でも通りかねない、父さんと同い年の彼。彼は俺の顔を見て頷いたと思ったら母さんとも握手を交わしてテーブルを挟むように立つ。


「お前だけか? 後の2人は?」

「ちょっと履物とかに手間取っててね。…………あっ、もう来たみたいだ。ほら――――」


 彼が目を配らせた先には、障子越しに見える人影が。

 人影は次第にこちらに近づいてきて、店の人が一言挨拶した後でその人物が姿を現す。



「お待たせして申し訳ございません……。本日はお越しくださいましてありがとうございます。わたくし、柏谷 誠の娘、亜由美と申します」


 まるで深窓の令嬢のような雰囲気で頭を下げたのは、低い背丈に赤みがかった髪を持つ少女……昨日も見た亜由美さんその人だった。

 けれど違ったのはその服装。彼女はその髪に似合う、真っ赤な生地に幾つもの白やピンクの花があしらわれた、和服姿だった。

 それは確か振袖というのだろう。彼女の足首ほどまで長く伸びた袖を綺麗に動かしながら顔を上げる。


「どうだい?亜由美。 彼がキミのお見合い相手の泉君だ。カッコいいだろう?」

「えっ、お見合い……? あっ…………。あぁぁぁぁ!!  アンタ!なんでここに!!!」


 彼の言葉で俺と目を合わせた彼女は、最初は認識していなかったものの俺だと気づくやいなや大声でこちらに詰め寄ってくる。

 えっ……まさか……聞いてなかったの!?


「し……知らなかったの……?」

「知るわけ無いじゃない! …………パパッ!!」


 眉を釣り上げながら移動させた視線についていくと、彼は笑いを堪えるも我慢できないように肩で笑みをこぼしていた。

 まるでイタズラの成功した人のように。柏谷さんが再度「パパ!」と呼ぶと口を覆っていた手を離してなだめるように動かす。


「ごめんごめん。 2人が知り合いだってことは僕の耳に入ってたからちょっとサプライズって思ってね」

「私に昨日、取引先の娘さんと食事会って話したのは!?」

「あー……それも全部嘘だよ。 ごめんね?」

「~~~~~!!」


 まるで言いたいことが沢山あるのにいえないような、そんな表情で憤慨する柏谷さん。

 きっとそのやり取りから察するに彼女は彼に騙されてここに来たのだろう。そりゃあ仕事関係の女性だと思ってたのに、蓋を開ければ俺となれば驚くに決まっている。


「――――さてっ! 無事顔合わせも済んだことだし、後は若いものに任せて我々は行きますか! ちょっと離れたところにも予約取ってあるんだ。僕たちはそっちへ」

「ちょっとパパッ! 若いものに任せるってどういうこと!?」

「どうって……さっき言ったじゃないか。 お見合いって」

「お見……合い……!?」


 信じられないものを見たような目で俺へと顔を向け、すぐに彼へと視線を移す。

 そうか、それさえも知らなかったか。


「なんでコイツと……。 パパ!私、コイツとだけはお断りよ!」

「それじゃあ2人とも、おいしい食事を楽しんで。 それじゃっ!」

「パパッ!!」


 そそくさと、まるで逃げるように俺の父さんを押しながら4人で去ってしまった。


 部屋に取り残されるのは俺と柏谷さんのみ。

 睨まれたりするのは覚悟してたけど、まさかお見合いだということすら知らなかったとは。

 彼女は「ハァ……」とため息をついてテーブルを挟んだ対向側へ移動する。


「色々と信じられないことばかり起こって混乱してるけど……アンタ、この件についてどういうことか知ってるのよね?」

「多分……柏谷さんよりかは」

「ならあたしに教えなさい。今のままだと経緯も何もしらないもの」


 あ、いつの間にか一人称が「私」から「あたし」に変わってる。


 俺たちは店の人が飲み物を持ってきてくれたタイミングで腰を下ろす。

 2人同時にコップを傾けてから、俺が伝え聞いたことを彼女に話し始めた。

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