041.眠りとの狭間


「んぁ…………んんっ…………!!」


 テスト対策のためハクの家で勉強を見てもらった翌朝――――。


 心地の良い眠りから覚めた俺は横になりながら伸びをする。


 起きてすぐ目に入ったのは壁にかけられている時計。

 本来ならあるはずのない光景に起きて数秒は少し妙な感覚がしたものの、今俺がいる場所は実家だと思いだして一気に身体の力が抜ける。

 そういえば昨日勉強を見てもらった後実家で唐揚げを堪能して、そのままベッドにダイブしたんだった。ちゃんと掃除もしてくれているのか埃の溜まっていない部屋に物が充実した家。やっぱり一人暮らしを始めると実感する、実家暮らし最高。



 今の時間は――――8時か。

 普段なら遅刻だと慌てて準備をする時間だが、今日は土曜日。一日中寝てたって問題ない日だ。

 ……いや、問題はあるか。一日中寝てたら母さんに怒られる。


 ともかく、今日はリラックスできる日だ。

 しかも明日は日曜日で休みが続くから精神的にもかなり余裕がある。

 さて今日は何をしよう…………。ふと昨日開けた窓伝いに下からジュージューと調理音が聞こえてくることから、母さんが俺の朝ごはんを作ってくれているのだろう。なら起こされる前に自ら起きようかね。


「…………ん?」


 寝転んでいた身体を回転させるようにしてベッドから降りようとすると伝わってくる変な感覚。


 なんだ……? なんかプニッとした感覚が手に伝わってきたような……。



「ふえへへぇ……いじゅみさぁ~ん…………」

「な………!? ななな……なんで……!?」


 ふと頭を下げると不自然に膨らんでいる布団があることに気がついてそっとめくると、そこには小さく丸まって何か呟いている溜奈さんがそこに居た。


 どうやら俺が触れたのは彼女の頬の部分。

 いい夢を見てるかのように眠りながらも笑みを浮かべ、ベッドから落ちるか落ちないかという位置に居ながらもその銀の髪が垂れているだけで落ちる気配がない。その上口の端からはよだれがほんのり垂れてしまっている。


「溜奈さん……なんで……!?」

「ふぇ……? あぁ~! いじゅみさんだぁ~! うぇへへ~おはよぉごじゃいます~!」

「えっ……ちょっとまって…………! ~~~~~!!!」


 俺の呼びかけに目を開いたはいいが完全に寝ぼけているようで、ふにゃりといつもは見ない力の抜けきった笑みを浮かべて、すっと頭に手を差し込んでくる。


 きっと俺も寝ぼけて頭が回っていなかったのだろう。気づけば彼女の顔がすぐそこまで迫って来ていて、ついには俺との距離がゼロになる。


 すんでのところで止めようともしたが、体勢が悪いのも相まって彼女の力には敵わなかった。

 彼女は力いっぱい引き寄せているのか、キスをしている間にももう離すまいという意思表示のように合わせている唇が歪んでしまう。

 次第に俺も口を閉じていることが耐えきれなくなり、軽く口を開けると彼女も呼応するかのように同じくらいの口を開けて空気の通り道も無いくらいに密着してしまった。


 まるで互いの息を交換するような、そんなキス。

 しばらくそのまま引き剥がすこともできなかったものの、段々と息が続かなくなってきたところで彼女の方からそっと離れていく。


「ん……ぷはぁ……。 えへへぇ……いじゅみさんとキスしちゃったぁ……。まるで現実みたいにあったかく…………あったか…………く…………?」


 ちょこんとその場で女の子座りをした彼女は頬に手を当て恍惚とした表情を見せていたが、段々とそれが現実にあったことだと実感してきたようで言葉が弱まってしまう。

 最終的にはフリーズするように静止し、サッと顔が真っ青になったかと思いきやボッと火がついたようにその顔が赤く染まっていく。


「え……え……え……!? 泉さん!?なんで!?夢じゃないの!?」

「えぇと……うん…………」


 なんて言えばいいかもわからなかった俺はとりあえず頷いてみせる。

 すると彼女はまるで信じられないと言うように口に手を当て少しずつ後ろに下がって…………あれ、今座ってる溜奈さんの後ろって……。


「溜奈さんっ! 危ない!!」

「ぇ……ひゃぁっ!!!」


 後ろに下がることの危険性に気付いたのも後の祭り。

 急いで呼びかけたものの彼女は背後……ベッドの境目に来ていることに気づくことができず、見事バランスを崩してベッドから落下してしまった。

 ドスンっ!といい音を立てて落ちた溜奈さん。慌てて様子を伺うと、ちゃんと受け身は取れているようだが履いていたスカートが完全に翻ってピンク色の下着が露わになってしまっていた。


「えへへ。 落ちちゃいました……」

「大丈夫……?」

「はい。 全然です!」

「よかった……。  あと、その、下着も……気をつけて」

「えっ――? ひゃぁっ!!」


 自らの状況を理解していなかったのか、スカートの惨状に気がつくと慌てて身体を起こして下着を隠す。


 ベッドの下には今にも真っ赤に燃えそうなほど顔が赤くなっている溜奈さん。俺は女の子座りをしてしょげている彼女にそっと薄い布団を羽織らせた。


「えと……すみません。 お見苦しい物を見せちゃって……」

「ううん、全然……。 あと、さっきのは……」

「さっきの? ――――!あぁぁ!ごめんなさい突然!迷惑でしたよねっ!私ったらすっかり寝ぼけちゃってまして!!」


 『さっきの』が何のことかと頭をかしげたのも束の間、すぐにキスのことだと思い至ったようで布団で顔を隠しながら目だけこちらを向けてくる。


 そんな、潤んだ目で見られちゃ何も言えない。むしろ庇護欲が高ぶってきてしまう。

 俺も彼女に合わせるようベッドから降り、肩に触れるくらいの距離でそっと腰を下ろす。


「いや、迷惑だなんて。 驚いたけど、嬉しかった」

「本当ですか……?」

「うん」


 偽りのない本心。

 けれどキスかぁ……事故感が凄いが、これで全員とキスすることになっちゃったんだよなぁ。


「よかったぁ……私のファーストキス……喜んでもらえて」


 そっか……溜奈さんにとっては初めてだったのか……。それならむしろ『こんなはずでは』と嘆くのかと思った。

 けれど彼女は手を合わせながら「えへへ」と小さく喜んでくれているようだ。なんだろう、事故だったけど、俺としても嬉しい気持ちに襲われる。


「――――そうだっ!」


 そんな喜んでいた彼女は突然、何かを思い出したかのようにその場に立ち上がる。 

 え、何かあったの!? なにかマズイことでも!?


「泉さんっ!」

「は、はいっ!」

「その、さっきの…………キス……のこと……、おねぇちゃんにはナイショにしててください! たとえ寝ぼけてても知らないところで先にしたって知られたらおねぇちゃん泣いちゃうかもなのでっ!」

「え? あ、うん……」


 詰め寄るように迫ってくる彼女の勢いに圧され、俺は戸惑いながらも首を縦に振る。

 先にって、もしかして風邪引いた夜のこと話してない?


「よかったぁ……それじゃあ、そのぅ……泉さん」

「うん?」

「えと……もういっかい、しちゃいます?」

「!?」


 未だ詰め寄ったままだった彼女は、俺の両肩に手を添えてゆっくりと目を瞑る。

 整った顔のパーツに長いまつ毛。何度も思ったが本当にお人形さんのような少女だ。

 今日はポニーテールをやめて、プラチナブロンドの髪を2つに分けてくくっただけのおさげヘア。そんな彼女がゆっくりと近づいていってほんの少しだけ唇を尖らせる。


「んっ…………」


 今度は触れるだけの、優しいキス。

 それが今の彼女の精一杯だったのか、そっと離れた彼女の顔は赤いままだ。


「やっぱり、幸せな気持ちに……フワフワしちゃいますね」

「……俺も」


 人に求められ、こうして接触があると心の内が暖かく、満ち足りた気持ちでいっぱいになる。

 彼女も同じ気持ちなのかはにかむ笑顔を見せながら立ち上がって俺へと手を差し伸べてくる。


「さ、行きましょ? きっともう朝ごはんできちゃってますよ」

「うん」


 俺も受け取るようにその手を掴む。

 そんな彼女はリビングに行く間中ずっと、隣に寄り添って笑顔を向けてくれていた。

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