040.偏見


「そんな慌てて来ちゃってぇ。 叔母さんのことなんて気にせずごゆっくりすればいいのにぃ」


 ハクが俺に覆いかぶさってキスを交わす寸前。

 すんでのところで恵理さんがやってきてから続きをするという雰囲気にもなれず、俺たちは1階のリビングで向かい合っていた。


 俺とハクは隣り合っているものの、なんだか気恥ずかしくって顔が見ることができない。

 あそこで流されていたらどうなっていただろう……もしかしたら最後までいって怜衣さんや溜奈さんの好意を裏切ってしまっていたかもしれない。


「そんなことできるわけ無いじゃないか……」

「そう? ママはセンちゃんと琥珀の子供楽しみにしてるんだけどなぁ……」

「お母さんっ!!」


 憤慨するハクに余裕の表情を返す恵理さん。

 この家に来るとよく思うのだが、いつも外では飄々とした姿のハクが一転親に対しては振り回されっぱなしなのがいつ見ても新鮮だ。

 それだけ家ではリラックスしているということだろうが、そんな彼女の姿を見られるのが俺だけということがちょっとした優越感を感じられる。もちろん本人には言えないけれど。


「センちゃんもそう思うわよねぇ? 琥珀ったらいつも『絶対センに振り向いて貰うんだ』って言って体型とか美容ばっかり気にしてたんだから」

「えっ、そうなんですか?」

「そうよぉ。やっと言えるようになって気が楽だわ。 付き合うまでは絶対口にするなって言われてたんだからぁ」


 チラリと横目で感じる気配には「あぁぁ……」と恥ずかしさを堪えるように顔を覆っているようだ。


 そんなことがあったのか……。俺が付き合えやしないと諦めたその裏で、彼女はずっとひたむきに……。


「だから……叔母さんが許しちゃうっ! 琥珀のことメチャクチャにしちゃっていいわよ。どうせ本人もそれを願ってるんだから」

「ちょっとお母さんっ! なに勝手に決めつけるのさっ!!」

「あら、違うの?」

「いや……違うわけじゃ……無いんだけどさ……。 でも……そのぅ……雰囲気というかなんというか…………」


 抗議の意思を示すため勢いよく椅子から立ったは良いが手玉に取られているせいで言葉は弱い。

 チラチラとこちらを見てくる視線を感じながらゆっくりと椅子に座り込んでしまった。


「我が娘ながら情けないわねぇ。 ママなんか付き合ったその日に押し倒して琥珀を宿したっていうのに。今はもう居ないけど…………」

「このタイミングで両親のそんな事実聞きたくなかったよ……」

「あら、琥珀もママの良いところを受け継いでおっぱいおっきくなったじゃない。 あとはそれを駆使して押し倒すだけよ!おっぱいの嫌いな男の人なんて居ないわっ!」

「なんでそれをセンの目の前で言うかなぁ!?」


 ほんとだよ!なんて話を俺の目の前でしてるの!?


 確かに記憶のないうちにハクの胸はかなり成長したが、それでも不自然というわけではなくスタイルの良さも相まって理想形と言っていいだろう。

 今はキャミの上に服を羽織って刺激は緩和されているが、ブラも無いのに重力に逆らっているそれは本当に目を奪われて…………って、いかんいかん。恵理さんの前だしあんまりがっつき過ぎるとそれはそれで嫌な思いをさせてしまう。自重しないと。


 あと、ハクのお父さんは別に亡くなってやいない。ただの長期出張だ。


「とにかくっ! 今日は勉強するんだからそういうのとは違うからっ!」

「あらそう? ママの時はお勉強で行き詰まった時にも手を出されて――――」

「今お母さんの話はいいのっ! ほら、行くよセンっ!!」


 彼女はテーブルに置かれていた珈琲を一気に飲んで俺の手を引っ張って2階へと向かっていく。

 俺はヒラヒラと手を振っている恵理さんの姿を見ながら慌ててそれについていった。


「……今日は勉強だけど、イヤなわけじゃないから……。いつか、ボクの心の準備ができたら…………」

「…………」


 道中の階段で顔を真っ赤にしたハクがこちらを見ずに告げる。

 きっと俺も耳まで真っ赤だろう。それを隠すこともできずになんとか転けないよう後をついていく。


「ま……また着替えるからセンは先に勉強しててっ! それじゃっ!!」


 彼女は俺を自室に放り込むと同時に階段を駆け下りていく。

 再度現れた彼女は適度な私服に着替えていて、滞りなくテスト勉強を行うのであった――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ただいま~」


 色々とてんやわんやだった勉強会を終えた夜。

 俺は自らの家……実家へと足を踏み入れていた。


「おかえり~」


 靴を脱ぐ俺に遠くから掛けられるのはもう聞き慣れた母さんの声。

 ……これだよこれ。ずっと一人暮らしだとこの返ってくる声が本当に恋しくなってくる。こうやって返事があるって本当に幸せだ。

 なんて感慨深くなっているが、大体月イチで帰ってるからそんな深刻なものでもない。


「ただいま。 今日の夕飯は?」

「今日はねぇ……2人だけならお魚にしようかなって思ってたんだけど帰ってくるって聞いて急遽唐揚げにしたわよ」

「…………っ!」


 ジュージューと油の音と向き合っている母さんの言葉に小さくガッツポーズを作る。

 正直ウチは父さんが和食派のせいで魚料理が多くて食べ飽きた。それが覆った上に大好きな唐揚げ。唐揚げが嫌いな男子高校生が居るだろうか。いや居まい。(偏見)


「おう、おかえり。 泉」

「父さん……」


 ふと掛けられる声に顔を向ければ、ソファーに座ってテレビを見ている父さんの姿が。

 背もたれに隠れて見えなかった。よくよく見ればテレビを見ているようでスマホでゲームしてる。


「珍しいね、こんな時間に家に居るなんて」

「お父さんったら、今日泉が帰るって聞いて飛んで帰ってきたのよ。なんでかは知らないけど」

「えっ、なんかあったの?」


 ふと補足してくる母さんの声に思わず聞き返してしまう。


 父さんはいつも仕事で帰るのが遅い。

 俺がこうしてたまに帰っても、それが平日ならば顔を合わせるのは風呂から出る頃だろう。

 だから金曜でこの時間に家に居るのは珍しい。何かあったのだろうか。


「さぁ? お父さんに直接聞いてみたら?」

「父さん?」

「あぁ……そのことな…………」


 スマホをいじる手は止めずともそこから先が言いにくそうだ。小さく唸っているような声が聞こえてくる。

 そこまで深刻なことだろうか。思わず俺も固唾を呑んで続きを待つ。


「なぁ、泉。 お前……今恋人は居るか?」

「…………はい?」


 父さんから発せられると思わなかった、まさかの問いに変な声が出てしまう。

 いや、その質問に答えるのは簡単だけど……なんで突然?なんで父さんが?そんな早く帰ってきてまで?


「どうなんだ? いるのか?いないのか?」

「いやまぁ…………いるけど…………」


 俺はイエスという回答に留める。 

 別に何人とか誰とか聞かれてないし。下手に余計なこと言って事態をややこしくしたくない。


「……そうか。わかった」

「それだけ?」

「あぁ」


 それが早く帰ってきてまで聞きたかったことなのだろうか。


 あまりに大したこと無くて拍子抜けしてしまう。

 別によっぽど変なことじゃなくて良かったけど。もし子供ができたとか新しい嫁を迎え入れるなんて言ったら卒倒する自信がある…………ダメだ。最近思考がそっち方面に引っ張られすぎてる。


「え!? 泉ってば彼女居るの!? 聞いてないわよそんなこと! だれ!?やっぱりハクちゃん!?あの子なの!?」

「あ~! もうっ!俺部屋戻ってるからっ! できたら呼んで!!」


 しまった!そういえば母さんにも言ってなかったんだった!!


 俺は突然母さんからの追求が激しくなる前に逃げ込むようリビングを出ていく。


 食事が出来上がる頃には父さんに窘められたのか、母さんは深く追求してくることもなくなっていた――――。

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