036.オオカミさん


「おかえり……なさいっ……! 泉さん……!」


 会話の流れで突如荒ぶりだした先生を宥め、戻る道中2時間目担当の教員とすれ違った俺へと待っていたのは、教室で出迎えてくれる溜奈さんの声だった。


 鐘が鳴り、国語の先生が出ていったから当然、俺は2時間目の授業を受けそこねてしまった。

 後でノートをハクに借りないとなぁ……なんだかハクに借りばっかり作って全然返せていない気がする。


「ただいま。 ……あれ?溜奈さんだけ?」


 教室で声をかけてくれたのは彼女のみ。

 不思議に思って辺りを見渡しても怜衣さんとハクの姿がなかった。どこかですれ違ったかな……?


「あの2人はお手洗いに……。 すぐに帰ってくると思いますよ?」


 あぁなんだ。

 てっきり俺が個人面談みたいになってしまったから2人も呼び出されたのかと思った。

 そもそもよく考えたらウチの先生に聞く余裕無いもんね。さっきまで荒ぶってたし。


「溜奈さんは……もしかして待っててくれたの?」


 俺は自らの席につきながら後ろの溜奈さんへと身体を向ける。

 本来なら、席的には怜衣さんと2人で反対・・廊下側の端に居るはずだ。それが今現在ハクの机にちょこんと座っている。

 こっちの席は窓際で太陽が入り込んで来るものだから、窓を開けて風が入ってくるのも相まってその銀髪がキラキラと幻想的な風景を生み出していた。


「…………? どぉしました?」

「えっ……? あぁ、改めてその髪、キラキラ光ってて綺麗だなって」


 つい照らされる髪に見惚れて居ることを妙に思ったのか、正面の彼女はクビをコテンと傾けて問いかけてくる。

 本当に行動や雰囲気が小動物のようだ。同い年なのに年下のように感じられ、庇護欲を感じずにはいられない。


「この髪……? 触って……みます?」

「いいの?」

「泉さん……なら……! えっと……特別、だよ?」


 姉である怜衣さんの真似でもしたのか、明らかに慣れていないであろうウインクをしてくれた後、彼女は腕を枕にするように机へうつ伏せで倒れ込み、ポニーテールに結いていたゴムを取って触りやすいようにしてくれる。

 顔だけはこちらを向いていて小さく頷いていることからもう触れていいのだろう。


「それじゃあ……ごめんね? 失礼します……」


 本当に触れていいのか手元が少し迷いながらも、ゆっくりと近づいていってその美しい髪に手が触れる。


「わぁ……」

「んっ…………!」


 触れて感じるのは、引っ掛かりなど1つも感じない手触りだった。

 プラチナブロンドの髪が光に照らされて絹のように白く輝き、ダメージなど一切受けていないのかキューティクルがしっかり感じられる。

 まるで同じ人間のものとは思えないようなサラサラな手触りとそのバランス。彼女は最も似合うのがポニーテールだと自覚しているのか、いつもチラチラと見えるうなじにそっと触れるとピクンと肩を大きく震わす。


「ゃんっ……! びっくりしたぁ……」

「あ、ごめん! いつも見えてるとこがちょっと気になって……」


 俺の場合放おっておいたらいつの間にか生えているうなじ周りの毛。彼女はそこさえも意識しているのかそんなムダ毛も一切見当たらなかった。

 それ故に気になって触れると、細く、少し冷たい感覚がダイレクトに伝わってきた。まるで触れてはいけないものに触れているような……そんな感覚がして謝りつつも心のうちではちょっとした高揚感に襲われる。


「いえ……泉さんなら全然……もっと触れていいんですよ?」

「本当に……?」

「はい……どうぞ……」


 本人の了承を得るどころか、触りやすいように首をグッと下げてくれる溜奈さん。

 え、本当にいいの……?そんな、誰も触ったことがないような場所……。


 俺は誘われるがままに引っ込めていた手を伸ばしてその首元に――――


「アンタ、教室で何してんのよ」


 ――――触れなかった。

 俺が再度首へと到達する寸前、まるでブロックするかのように横から伸びてくる腕が。


 柏谷さんだ。

 そういえばお手洗いに行ったのは怜衣さんとハクだけで彼女はずっと席に居た。これはもう無理だと判断した俺は大人しく手を引っ込めていく。


「亜由美ちゃん……! 亜由美ちゃんも好きだったよね?触る?」

「あ……あたしはいいわ。 でも気をつけなさい。さっきのコイツ、狼の目をしていたわよ」

「おおかみ?」


 うっ……!

 溜奈さん、そんな無垢の瞳でこっちを見ないで!!

 確かにその綺麗な髪と首筋に流されそうになったけど、触るだけだったから!何も変なとこってわけでもないし!!


「泉さん……? おおかみになるの?」

「そうよ! 男はみんなそうね。隙きさえあれば変な目で女子を見てくるんだから……油断も隙もないっ!」

「俺は別にそんなこと…………!」

「ないの?」

「…………」


 言い返そうとしたがその睨みによって何も言えなくなってしまった。


 べ……別に柏谷さんに睨まれても、いっつも昔からハクに睨まれてる俺にとって大したダメージには…………ウソですごめんなさい。けっこう効きます。

 ハクはなぁ……。睨まれても信頼というか、絶対キライにならないって確信はあるからいいけど、柏谷さんは……初っ端キライ宣告されたし。


「いい? アンタ」

「っ――――!? な、なに……?」

「学校でも外でも、アタシが側に居るうちは怜衣ちゃんや溜奈ちゃんに変なことなんて絶対させないからね!わかった!?」

「は……はい…………」


 席を立った彼女はまるで詰め寄るように俺の目の前に塞がり、視線に逃げ場さえもなくすように前かがみになってすぐ正面に身体を家がえめて近づいてくる。

 その距離もはや10センチほど。完全に威嚇のポーズを取った彼女はそれ以外全く気にしていないのかこちらの目をまっすぐ射抜きながら同意の言葉を引き出す。


「ふんっ! 分かればいいのよ分かれば! ……あと溜奈ちゃん、コイツに渡すものがあるんじゃない?」

「あっ! そうだった!ありがとう亜由美ちゃん!  泉……さん、これを……!」

「これは……ルーズリーフ?」


 それは色とりどりのペンを使って何かが記入されたルーズリーフの紙だった。

 ん?これはよく見ると……国語?しかも俺がやった憶えのない部分だし……


「もしかしてこれってさっきの授業の?」

「はいっ……! 泉さん……必要かなって」

「いいの!? すっごく嬉しいっ!!」


 まさかハクから借りようと思ってたのに溜奈さんが貸してくれるとは!!

 これでハクへの貸しが膨らまなくて済む! 貸しが分散されただけとか今は考えない!


「よかった……です。 それじゃ、私は行きますので……次の授業も、頑張りましょ?」


 あぁ……溜奈さんは天使か。


 俺はわかりやすくまとめられたものを書き写そうとノートを広げる。

 その最中、お手洗いから帰ってきたハクがノートを写している俺の姿を見て、何故か頬を膨らませてしまうのであった。

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