035.ぶちまけられる怒り


「里見さん……本当に大丈夫なの?」


 1時間目の終わった休み時間。

 俺は最初の授業である数学の授業を寝ることもなくこなし、休み時間に入ったところで担任の先生とおしゃべりに興じていた。


 …………正確には、先生に拉致された。

 先生の担当である数学が終わり次第俺の席へとやってきて、「ちょっと来てくれる?」との一言で拉致される俺という矮小な存在。


 その小さな体が先導してたどり着いたのは初めて入る部屋……環境美化室だった。

 そういえばそんな委員会があったなと思いつつも扉を開くと、会議などで使いそうな白くて大きな机と棚以外は何もない簡素な部屋が目に入る。

 誰も居ない部屋の片隅に座らされた俺は、開口一番先生から案じてくれる一言が投げかけられた。


「大丈夫って何のことです?」

「何って風邪のことに決まってるじゃないっ! 昨日先生が送っていこうと思ったら居なくなってるし……放課後訪問しようかと悩んだほどよっ!!」


 あ、舞台裏ではそんなことになっていたのね。

 そっかぁ……先生が送ってくれるなら、俺も小言を聞きながら柏谷さんに運んでもらわなくてもよかったんだなぁ。


「すみません……あの時は俺も朦朧としてて……。柏谷さんに手伝ってもらいました」

「もちろん保険の先生から聞いてるわ。ほとんど事後報告だけどね。 それで、今の体調は?」

「今はもちろん全快してます。むしろ昨日のしんどさは何だったんだってくらい」


 本当に昨日の辛さなんて欠片も無い。

 しかし一応薬は飲み続けているから油断はできないが。


「よかった……。 でも、しんどかったら先生に言ってね?すぐに早退の準備とかフォローするから」

「ありがとうございます」


 そういうことに理解ある先生でよかった。

 風邪程度じゃ早退どころか保健室行きすら許されない先生もいるみたいだしな……。まぁネットの情報で眉唾ものだけど。


 お礼を言って頭を上げると、先生は何も言わずに俺を見ているだけ。

 ……………話はこれで終わりかな?チャイムもそろそろ……って、あと1分!?


「それじゃあ、もう終わりですか?」

「いえ、まだあるわ」

「えっ……でも授業が…………」


 席を立とうとする俺を引き止められた瞬間、スピーカーから散々聞いてきたチャイムの音が鳴り響く。

 あぁ……間に合わなかったか……。


「次の授業は国語だったわよね? 先生には遅れるって伝えるから安心して。ほら、話の続きを」

「はい……」


 まぁ、遅刻とか欠席扱いにならないならいいけどさ……。俺的にはこれで話は終わりだと思うけど。


「それで、風邪のことでしたっけ? 今日になったら好調だって話はさっきしましたけど」

「いいえ、違うわ。 もっと他のことよ」

「?」


 なんだろ。俺的にはもう話すネタないんだけどな。

 ……ハッ! もしかして、美化委員に入れってこと!?確かに先生は担当らしいけど、休日に清掃活動とか面倒だし寝たいし遊びたいしでやる気ないんだけど!!


「そのぅ……委員会に入れってことなら、謹んでお断りさせていただきたいのですが……」

「え、委員会?  ……あぁ、たしかに万年人手不足で入ってほしいけど、今回はその件じゃないわ」


 ホッ。そのことでもなかったか。

 でもそれじゃあますます何の話か読めないぞ。


「里見さん…………風の噂で聞いたんだけど、3股してるんですって?」

「…………」


 そっちかーーーーーー。

 その話が出たのが2年上がって早々だったからすっかり油断していた。クラスに広まったのって昨日なんだっけ。そう考えると先生ってば耳が早い。


「先生も聞いた時は信じてなかったけど、昨日あれだけいろんな子が言ってるとね……。それで、どうなの?」

「えと…………本当、です」


 もちろん調べればすぐバレるような嘘なんてつけるはずもなく。

 俺はまるで尋問を受ける罪人かのごとく丸まって頭を視線を下げつつ返事をすると、すぐ目の前からため息が聞こえてくる。


「学生の色恋ってデリケートだし、あんまりとやかく言いたくないんだけど……付き合ってる子たちは知ってるの?その上で一緒に居るの?」

「……はい」


 ……すっごい逃げ出したい。

 自分も極力考えず逃げ続けていたことを聞かれるのがこんなに辛いことだとは。まだ風邪でダウンしていたほうが良かったかもしれない。


「しかも、まさかあの星野さんの2人とは……」

「何かマズイんですか?」

「まずいというわけじゃ……ただ知名度がね……」


 あぁ。確かに2人の知名度は抜群だ。

 出身校もさることながらあの容姿。いわゆる超大型新人というやつだ。誰しもが一挙手一投足を見守っていたということだろう。


「先生が心配してるのは里見さんへの影響なの。いわゆる嫉妬……今後あなたが何か言われたりしないとも限らないわ」

「あぁそのこと……。俺は大丈夫だと思いますけど……」

「あら、どうして?」

「利用する言い方で嫌なんですが、基本ずっと誰かしら近くに居てくれるので……」

「……なるほど」


 先生も意図を理解してくれていたようだ。

 嫉妬などで行われるのは陰湿なものになると予測している。それは彼女らに知られたくないから。もし知られた場合、人脈や色々な力を駆使してどんな報復が待ち構えているかわからない。

 だから彼女らが近くにいれば、やりようがないと予想している。


 ……そもそも俺に何かあれば隠しても絶対にハク辺りにバレる。例外なく。


「でも、何かあったり言われたら言ってね?先生も力になるから」

「はい。その時が無いといいですが……よろしくおねがいします」


 初担任で空回ることも多いが、凄くいい先生だ。ここまで1生徒に親身になってくれて、俺もこんな人が担任でよかった。



「……ところで単なる好奇心なんだけど、なんで星野さんは里見さんのことを好きになったとか聞いても良い?」

「それが……俺にもわからないんです。 知ってますよね?俺の1年の頃」

「……あぁ」


 先生には、俺の記憶喪失の件について最初のうちに言っている。

 もしかしたら、だからこうして一層心配してくれているのかもしれない。


「じゃあ、どうやって仲良くなったとか、どうやって告白に至ったとか……」

「全然」


 残念ながらさっぱり。

 俺の何処がいいのかも何がキッカケかも全くわからない。


「そっか……残念ね……」

「先生?」


 小さく呟いた先生は突然、その場で顔を伏せってしまう。

 残念? さっきの情報の何を求めていたのだろう。


「やっぱり学校という場なのかしら……でも、それだけじゃ参考にならないし……」

「えぇと?」


 何やらうつむいたまま何かを呟いている。

 参考?学校という場?なんのこっちゃ。


「里見さん、先生からも聞きたいんだけど……男の子から見て、人はどうやったらいい人と出会えて付き合えると思う?」

「…………はい?」


 顔を上げた先生は虚ろな目をしていた。

 何処か俺ではない何かを見ているような……よく見れば目の端に涙が貯まっている。


「教え子は3股するほど度量もあってモテるのに……どうして私は生まれてこの方1人なんだろう……」

「えぇと…………」

「いいえ分かってるのよ! 先生という仕事は大変なの!放課後もやることは溜まってるし休日も採点や美化委員であって無いようなもの!忙しすぎて出会う時間なんてできるはずも無いわ!」


 突如立ち上がってぶつけてくる心の叫び。

 先生、酔って……ないよね。さっきまでちゃんと授業してたんだし。


「ようやくできた休みは前日こそ遊びに行こうって考えても結局は家でダラダラお酒を傾けるだけっ!気づけば夕方で今日1日何してたんだろうって自問自答するのよ……しちゃうのよっ!!」

「先生……落ち着いて……」

「落ち着いてなんかいられないわっ! 大学の友達はみんな彼氏がどうしたって連絡が来るし……教え子にはすでに抜かれてるし……私なんて一生独り身よ~~!!」


 突如感情がぶちまけたように部屋のど真ん中で泣き出す先生。

 俺はそんな先生をなだめるのに、2時間目の残り時間を全て費やすのであった。

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