034.忘れられた宿題


「おはよう、ハク」


 翌朝――――


 目覚めた時には昨日の怠さなんて嘘かのように快復した俺は、意気揚々と学校へとやってきた。

 昨日用意してくれた薬も忘れること無くしっかりと飲み、道中立ち寄ったコンビニで昨晩対応してくれたお姉さんにニヤニヤとした笑みを向けられたまま、無事一人で学び舎へとたどり着くことができた。


 今日は3日に一度ある一人での起床。

 毎回ちゃんと起きれるか心配な部分もあるが、これまでに遅刻といったことは一度もない。

 昨晩も帰った後すぐに寝た…………ハズ。正直帰って食事とお風呂をした先の記憶なんて無いが、気付いた時にはベッドの上で朝を迎えていたし、きっとすぐ寝ていたのだろう。


「おはよう、セン。 ちゃんと来れたようで何よりだよ。体調は……うん、大丈夫そうだね」

「もちろん。 昨日は助かったよ」


 昨日はホントみんなに感謝だ。

 他のみんなはまだ登校してきていないみたいだけど、後でちゃんとお礼言っておかないと。


「熱は…………平熱ってところかな? よかったよ。昨日みたいじゃなくって」

「っ――――!」


 ズイッと彼女は俺との距離を詰め、額に手を当ててきたことに息を呑んでしまう。


 フラッシュバックするように脳裏に映ったのは昨日のことと、4月のこと。


 俺……ハクともキス……したんだよな。

 あの時はイレギュラーだらけの日常が目まぐるしく過ぎてスルーしてしまったが、ようやく落ち着いた今冷静に考えると、それはとんでもないことじゃないだろうか。

 昔からずっと側にいてくれて当たり前になりかけているが、ハクだってここの誰よりも可愛くて何度も告白だってされている。俺だって一度その魅力に惹かれた初恋相手だ。その時は自分で勝手に無理だと結論づけて思いを伝えること無く諦めてしまったが……。

 けれど彼女はずっと俺を想ってくれていたのだ。そして順序こそ違ったものの、好きだと伝えてくれた。そんな彼女の顔が今もう目の前に…………。


「――――って顔真っ赤じゃないか! やっぱり治ってなかったんだ……今からでも早退しないと……!」

「だっ……大丈夫だからっ!! これはそういうのじゃなくって……すぐ元に戻るから!」


 そんな無意識の行動に、彼女にとっては自然な行動でもつい意識してしまう。

 駄目だ駄目だ。ハクは心から心配してくれてるんだからこんな下心は捨ててしまわないと。


「そう……?ならいいんだけど……。 でも無理なようなら授業中でもすぐ言うこと。毎回休み時間は顔を見るからね?」

「わかったわかった。 ……まるで母さんだな」


 そういえば昔、小学生時代風邪を引いた日にも母さんは凄い心配してくれたっけ。

 パートも休んで自分のしたいこともせずずっと側に居てくれて……。あの時も意識は朦朧としてたけど握ってくれた手の安心感だけは忘れられない。


「ネットで見たけど、男はみんなマザコンなのだろう? 悪くないんじゃないかい?」

「そりゃあ……悪いわけじゃないんだけどさ……」


 フッと笑うハクに目を逸らす俺。

 確かにそうだけどさぁ……やっぱりこんな人前だし、家族以上に一緒に居たハク相手だし、なんだか気恥ずかしさが勝る。


「ま、ボクだってキミの母親になりたいわけじゃないんだ。そこらへんをとやかく言うのは止めようかな」

「ホッ…………」

「なるのはもっと……将来的に近くに居る存在だしね」

「…………」


 その呟きにはあえて何も答えない。

 下手に答えたら言質取られそうだし、色々と俺を取り巻く環境は複雑だし。


「あっ! 怜衣ちゃんに溜奈ちゃん!おはよー!」


 ハクの視線攻撃をなんとかいなしていると、ふとクラスの女子の声が聞こえてきた。

 反射的にその掛けられた声の方向へ視線を向けると、眠たげな様子なんて一切見せない、いつものように完璧な状態の怜衣さんと溜奈さんが登校していた。彼女らは挨拶をしたクラスの女子に返事をしながら自らの席へと向かっていく。


「! ~~」


 そんな折溜奈さんが俺の視線に気がついたのか、小さな微笑みを見せながら軽く手を振ってくれる。俺も返事代わりにと手を振ると、今度は怜衣さんも気がついたのか向けられる視線に気がついた。


「…………チュッ」

「! ~~~~!!」


 怜衣さんはまるで昨日の続きかのように自らの唇に手を重ね、その手をこちらに向けてきた。


 ……投げキッスだ。

 昨日クラスの中心で起こったカミングアウトにクラスメイトは軽く察する程度だったが、俺はその初めての行動に昨日のことを暗示していることに気がついて思わず目を丸くする。


「ねぇねぇ怜衣ちゃんっ! 宿題見せて~!昨日忘れちゃったの~!!」

「仕方ないわねぇ……今度ジュースか何か奢ってもらうわよ?」

「わ~いっ!怜衣ちゃん大好き~!」


 彼女らが俺に視線を向けたのは一瞬のこと。すぐさまクラスメイトと談笑をし始める。

 俺は昨日のことと重なったせいで高鳴った鼓動を収めていると、突然両肩が掴まれて強制的に教室後方を向かされてしまう。


「セン……さっきの意味深なやり取りはなんだったのかい?」

「えっ……あれは……そのぅ…………」


 どうやらハクはさっきの暗に示したサインに気付いていたようだ。

 当然か。ずっと見ていたのだから。けど言っていいべきかどうか……おそらく言えば最後、またも彼女らの仲は険悪になってしまうだろう。


「――――ま、いいさ。 他の女子ならともかくあの姉妹だし」


 けれど詰め寄ったのも一瞬。彼女はすぐに手を離して俺を開放してくれる。

 てっきり吐くまで詰問するものだと思ってた。


「……聞き出さないの?」

「あんまりそうやって無理やりなことして鬼嫁とか束縛強いって思われたくないしね。あの2人ならほんの少し、多少なら目を瞑るよ」


 ヤレヤレと大振りなジェスチャーをして小さくため息を見せつつも、やはり思うところはあるようだ。


 ……でも鬼嫁だけはちょっと意味違くない?


「…………ねぇハク」

「なんだい?」

「昨日、夜にね――――アイタッ!?」


 けれど俺にも隠し事をし続けるのは目覚めが悪い。

 一層奮起して昨日あったことを伝えようとすると、まるで言わせないかのように突如襲われる背中への衝撃。

 柔らかな感触で痛み事態は無かったものの、突然のことに驚いて声を上げてしまう。


「つつ…………柏谷さん?」

「……ふんっ!」


 振り返ってその犯人を見上げると、体操服入れをプラプラとぶら下げている柏谷さんの姿があった。

 彼女は一瞬だけ俺と目を合わせるも、すぐに振り払うよう視線を前へやって席へと向かっていく。


「…………アンタ、治ったのね」


 背を向けて荷物を整理しながらかけられる言葉。

 なんだかんだ言って心配してくれていたのだろうか。


「うん。おかげさまで。 …………柏谷さんも、ありがとう」

「別に。 医者の娘として病人をほっとけなかっただけよ」


 筆箱やらノートやらを取り出しながらもしっかり受け答えをしてくれる柏谷さん。

 彼女はバッグの中の物を全て出し終えたのか、「でも!」と声を続けて眉を釣り上げながら振り返る。


「アンタのことは何一つ信用しちゃいないわ。そこのところ勘違いしないでよ」


 彼女はそれだけを言い残し、グループの中心で雑談している怜衣さんたちのもとへと向かっていく。

 俺はそんな後ろ姿を見送りつつ、すっかり忘れていた宿題を見せてもらうためハク様に頭を下げるのであった。

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