033.マスト


「わぁ……! みてみてあなた!夕方あんなにあったお肉が一つもないわよっ! やっぱり注文が一切無くなるのね……おにぎりも全然無いわっ!」


 コンビニに入った瞬間、彼女は解き放たれたかのように店の奥まで進んでいき、昼と夜との差異に目を輝かせる。

 それは一度でも深夜のコンビニに入ったら誰しもが目にするであろう、ショーケースの省エネ販売だった。

 客入りの多い日中とは違い、夜は注文数もすくないからかチキンなど各種商品が軒並みなくなっている。繁華街などのコンビニならばこんな時間でもいくつか作り置きしているだろうが、残念ながらここは住宅街の一角。普段はいくつもあるお肉やコロッケは一切無く電源すら消灯されていた。


「お願いすれば作って貰えるだろうけど……どうする?」

「すごく魅力的だけど止めておくわ。 こんな時間にお肉なんて食べたら太っちゃうもの」


 わかる。

 この時間にお肉とか背徳的で普段の2倍くらい魅力的に映るよね。俺も深夜のカップ麺とか最高に食べたい気分に襲われる日がある。

 ……実は今もかなり食べたい。でも怜衣さんもいるし今日は我慢だ。


「それにしても夜中のコンビニってこんなふうになってるのね……。店員さんも忙しそう」


 店内のアチラコチラに散見されるのは商品が沢山詰め込まれたコンテナの数々。

 おそらくこれから棚に並べていくのだろう。コンビニの夜って暇そうに思ったが存外忙しそうだ。


「それで怜衣さんは何を買いに来たの? 食べ物……ってわけじゃなさそうだけど」

「私? 私は……そうねぇ……。そう、ルーズリーフを買いに来たのよ。ちょうど切れてることにさっき気付いてね」


 あぁ、たしかに大事だものね。明日ノート取れなくなっちゃうし。

 でもそれくらい朝イチでもいいと思うんだけどなぁ。


「それであなたはどうしたの?やっぱりおなかすいちゃった?」

「よくわかったね。 ついでに朝ごはんもと思って」

「ふふん、それはそうよ。 誰があなたの冷蔵庫を握ってると思ってるの?」


 それは怜衣さんたち3人です。はい。

 俺は扉裏に置いてる飲み物関係しか触ってないから、勝手に冷蔵庫の棚のものが増減している感覚だ。

 いや、その食材で作ってくれることはほんとにありがたいんだけどね。拒否される中無理矢理にでも実費を渡してるし。


「でも、怜衣さんを見てたら俺も太るの気をつけないとかな……」

「あら、ふくよかになったあなたも魅力的よ? なりすぎてベッドから動けなくなっても介護してあげるから心配しないで」


 そんなの嫌だ!

 学生の時から太りまくってベッドから動けなくなってクラスメイトに介護されるなんて……いくら怜衣さんがよくても俺が看過できない!!


「…………。 怜衣さん、深夜に食べても大丈夫なものって何か知らない?」

「ぷぅ、気にしなくていいって言ってるのに~」


 ダメです。俺がダメなんです。

 けれど彼女は頬を膨らませて文句を言ってくるがその足はスムーズだ。

 ルーズリーフを胸に抱えてから回り込むようにお弁当等が置いてあるエリアまで移動する。


「こういう……ササミとか温かいスープ系なんていいんじゃないかしら? お豆腐とかもいいんだけど今のあなたには物足りないでしょ?」


 なるほど、ササミか。

 さすが怜衣さん、よく俺のこと考えてくれている。本当にもったいないくらいの彼女だよ。


「ありがと。じゃあそれにしよっか。 あとは…………」

「他にも何かあったの?」

「うん、俺も今思い出したけど、赤ペンが切れかけてて」


 よかった。ちょうどコンビニに居る時に思い出して。

 最悪朝買うって手もあったけど、絶対寝ぼけた頭ではスッポリ忘れてるだろうし。事実今朝は忘れていた。


「そう…………あら、あなた、もう一個買い忘れてるものがあるわよ?」

「えっ、なんかあったっけ?」


 目当てのものを全てカゴに詰めてからレジに向かおうと思ったが、彼女は俺を呼び止めて棚の一部分を指差す。

 はて、化粧品系?化粧水とか興味無いし洗顔とかはまだストックがあったハズ。なら他に何かあったっけ?


「これよこれ。マストじゃない」

「これは………………!! い、いや!ないないない!!これはないよっ!!」


 全く予想だにしていなかった物を示されていることに気がついてつい声を荒らげてしまう。

 彼女が指を指していたのは棚の中でも下のほう…………いわゆるゴムと呼ばれる物を置いてある場所だった。


 慌ててそこから距離を取って否定するも、彼女はニヤリと口を歪めてズイッと距離を詰めてくる。


「あら?私は全然いいわよ? あなたなら……全然」

「お……俺がダメなのっ! ほら、ルーズリーフ買ってあげるから早く行くよっ!!」

「ぷー。いけず~」


 確かに俺もそういったことには興味ある。

 3大欲求の一つ、興味ないわけがない。けれど興味と実行はまた別問題だ。たしかに俺たちは付き合ってはいるが、まだまだお互いのことを知っていない。それに、もし他の2人にバレた日には……。


 またも頬を膨らます彼女が抱えていたルーズリーフをひったくってカゴに突っ込んでからレジに向かおうとするも、それは彼女によって阻まれた。

 俺の手首をギュッと握り、その場から動かそうとしない。


「だから怜衣さん、俺たちにはそういうのはまだ早い――――」


 もう一度説得するために口を開くも、それが最後まで続くことはなかった。

 彼女は掴んだ手首をグイッと自らの元へ引き寄せて更に距離を縮めていく。そして俺の肩に手を当てて耳元で小さくつぶやく。


「私、このジャージの下何も着てないの。 シャツはもちろん、下着も」

「!?!?」


 慌てて飛び退いて見た彼女は妖艶な笑みを浮かべていた。

 ペロリと上唇を軽く舐め、着ていたジャージの前チャックを軽く下ろしていく。


 確かにシャツなどの類は見えない。つまり、さっき言っていたようにそのチャックを完全に下ろして開いた先には彼女の胸が――――


「――――っ! ほ、ほら! そういうのはいいから行くよ!!」


 鋼の意思で背を向けた俺の顔は真っ赤に燃え盛っているだろう。

 後ろからは「プー」と文句をつけるような声が聞こえてくる。


「仕方ないわねぇ。今日のところは見逃してあげる」

「はぁ……。 怜衣さん、あんまりそんなことやってると危ないよ?」

「危ないって?」

「ほら、勘違いした誰かが怜衣さんのことを襲――――うわっ!」


 ようやく諦めてくれたことに安堵しつつもその危険ようを説明しようとすると、突然背中に強い衝撃が加わった。

 どうやら怜衣さんが背中に突撃してきたようだ。彼女の手が背中に触れているのを感じる。


「こんなことするのはあなたしかいないもの。あなたにならいつ襲われたっていいのよ?」

「それは…………」

「でも、今日は諦めるわ。 ほら、お会計行きましょっ!」


 彼女は背中を押すようにしてグイグイレジの方へと向かわせていく。

 そんな中、勘違いかもしれないがレジのお姉さんがずっとニヤニヤとした目でこちらを見てくるような気がした――――。




「いやぁ、楽しかったわ。 夜のコンビニも良いものね」

「俺は疲れたよ…………いろいろと」


 主に精神的に。

 結局本能の自分が叫ぶような展開にならなかった俺たちは、買い物袋片手に家への道を歩んでいた。

 最後の最後でどっと疲れた。なんだか今ベッドに潜り込んだら眠れそうな気がする。


「ありがとね。 あなたが出てこなかったらこんなことできなかったわ」

「いや……。 随分と賭けだね。俺が出てこなかったらって」

「それは愛の力よ。 来るって気がしたもの」


 愛の力ってすごいなー。


 なんて棒読みで思っても向こうには届かない。ちょうどいいタイミングで俺も良かった。


 でも、こんな夜に一人外出てくるなんて随分と怖いことをする。もしかしてこれまでにも何度か行っていたのだろうか。


「……心配しなくても、親やあなたと一緒じゃない限りこんな時間に外へ出るなんてありえないわ。 これまでも、これからもね」


 まるで俺の心を呼んだように語りかけてくる言葉。 

 きっとそれほどまでに顔に出ていたのだろう。その言葉に安心した俺はふぅっと息を吐いて空を見上げる。


「…………良い空だね」

「……そうね」


 天に広がるは光り輝く星の海達。

 もう七夕も近い。星のことなんて全然知らないが何処かに天の川があるのだろうか。


「――――あなたは、これからも変わらないでね」

「えっ?」


 謎の言葉に思わず視線を下げて彼女を見つけるも、その距離はもう遠く離れている。

 どうやら早くも家に着いたようだ。彼女は門の目の前に移動していた。


「なんでもないわ。それじゃあまた明日…………あ、大事なの忘れてたわ」

「え? ……あっ」


 そういえばルーズリーフは俺の袋の中に入れっぱなしだったんだ。せっかく買ったのに危うく俺が持って帰るところだったよ。

 彼女は再度、ルーズリーフを差し出した俺に近づいてくる。


「ごめんごめん。 はい…………怜衣さん?」


 けれど近づいた彼女は俺の顔を見たまま動こうとしない。

 それはルーズリーフに目を向けること無く、ただただ俺の瞳を見ているような。


「そうね……。あなた、これくらいはいいわよね?」

「えっ……? ――――――」


 彼女が差し出した手はルーズリーフの外を通り、俺の頬へ。

 そのまま引き寄せて前かがみになった俺に迫ってきたのはつま先立ちになった彼女の目を閉じた表情――――




 ――――気がつけば、俺は怜衣さんにキスをされていた。


 蒼くて大きな瞳を瞑り、銀の髪を揺らしていい香りが漂ってくる。

 唇には柔らかくも優しい、彼女の感覚。


 唐突のことに思考が止まった俺が動き出すよりも早く、彼女はそっと頬に触れていた力を緩め、離れながらはにかんだ笑みをこちらに向けてくる。


「これは……うふふっ……すっごい……幸せな気持ちになるのね……知らなかったわ……えへへ……」

「怜衣……さん……?」


 春先の、ハクと続いて2回目のキス。

 しかも同じ人ではなく別の人と。俺はなんとかその名を呼ぶもそれ以上が出てこない。


「私の……必死のアピールが拒否されたんだもの。キスくらい……許してくれるわよね?」

「アピールって…………」


 それはコンビニでの囁きのことだろうか。

 あのときも彼女の頬は紅くなっていたが、今はそれ以上だ。そして俺はそんな彼女よりも更に真っ赤になってしまっている。


「それじゃあ、ね? おやすみなさい。愛してるわ」


 数歩後退りし、逃げるように門の内側へと入っていく怜衣さん。

 俺はこの顔の熱が消え去るまで、ずっとその場で立ち尽くすのであった――――。

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