028.亀のような歩み
雲ひとつ無い燦々とした太陽の下。
俺はゆっくりとしたペースで道を歩いている。
少し顔を上に上げれば木々に停まっているのか小鳥の歌声が静かな道を明るく彩る。
もう夏も近いが今日は温暖な気候だ。
暑くもなく寒くもない。本当に過ごしやすいポカポカ陽気。きっとこんな気持ちのいい日に公園なんかでピクニックでもしたらさぞかしリフレッシュになるだろう。
そうだ、明日も晴れだっていうしお昼は外で食べたい。屋上は開放されてないけど、中庭とかで食べたらきっと気持ちがいいぞ。
「ちょっと、何ボーっとしてるのよ。 歩きにくいじゃない」
「…………ごめん」
――――現実逃避をしていたら怒られた。
俺はさっき、保健室で熱ありと診断されて早退を言い渡された。
幸いにも至って健康体であるハクや怜衣さん、溜奈さんの惜しむ声を聞きながら学校を出て帰路についている。
けれど俺1人だとロクに歩けやしないとこから、唯一あのメンバーの中で同行を許されたのが隣で支えてくれている柏谷さんだ。
転校生なのに早退とかなんで了承したのとか色々と言いたいこともあったが、とりあえずは飲み込んだ。だってこうでもしないと帰れそうもなかったし。
「ほら、ちゃんと前見て歩く!」
「……了解」
そんな彼女に叱られながらの帰り道。俺は現実逃避を諦めて前を向く。
自覚したからか、はたまた開放された空間で新鮮な空気を吸っているからかは知らないが、今の俺はさっきよりも酷く、絶不調を越えて最悪レベルだった。
頭はうまく回らないし視界もボヤける、自然と息が上がって声を出すのも難しい。
更には亀ほどのペースで歩いているから学校から全然進んでいない。普段のペースなら家と学校の中間ほどの位置に到達するはずなのに、今は3分の1……いや、5分の1程度しか進んでいないだろう。もしかしたら隣の柏谷さんもイライラしているかも…………
「…………」
「なによ?」
「いや……」
ちょっと顔を見たら怒られたけど、イライラ……してるのかな?
全然わからない。そもそも朝からずっと睨まれてたしなぁ……少なくとも怜衣さんたちには可愛い笑顔を向けてたから、これが標準ってわけでは無いだろう。
「それにしても随分とペース遅いわね。 もうちょっと上げられない?」
「……ごめん」
「そう……」
そうだよね。やっぱり聞くよね。
案の定打診されたが、俺も今の状態だと難しい。
彼女は罵倒すること無く静かに頷くと、今まで歩いていた道のど真ん中から少しずつ左に逸れ、次第に住宅街の壁そばで足を止めてしまった。
「えっと……柏谷さん?」
「もうっ……! これだけ遅いと着く頃には夜になっちゃうわ」
そう言って転ばないよう、電柱を支えにそっと俺の腕を外してフリーになってしまう柏谷さん。
もう嫌になって放棄してしまうのだろうか。
……まぁ、こんな終わり方も仕方がないか。せっかくの学校一発目がこんななっちゃったし、歩みは遅いしでイライラするのは当然だ。
彼女が嫌になって諦める気持ちも用意に想像がつく。
「そっか、ここまでありがとう。 この先はどうにか一人で帰ってみせるよ」
そう、死ぬほど辛いとはいえ死ぬことは無いんだ。
這いつくばってでも動いていけば家に帰り着くことは可能だろう。むしろ善意でここまで運んでくれたことに感謝しかない。さっきまで『3股なんてあり得ない』って言って嫌悪感満載だったし。
けれど彼女はその言葉にジトリとした目で返されて――――。
「は?何言ってるのよ」
「えっ?」
「……ほら、こっちのほうが早いから、早く捕まりなさい」
そう言って差し出したのは、自らの背中だった。
俺のすぐ前で手を後ろ向きに下げ、しゃがんで背中を差し出す柏谷さん。これはもしや…………
「……おんぶ?」
「それ以外の何に見えるのよ? ほら、早く」
提案されたのはまさかのおんぶ。
眉を吊り上げながら催促する姿に一瞬戸惑ったが、一人じゃロクに動けやしない俺に拒否することなんでできやしない。
彼女の怒ったような視線を浴びながら俺はゆっくりその背中に近寄っていく。
「……ちゃんと乗ったわね? 行くわよ…………っと!」
「ぅおっ!」
彼女はハクや怜衣さんらよりも更に小さい、150センチを切るほどの背丈だ。当然170前後ある俺と比べたらかなりの差。
正直さっきまで肩で支えてくれたときも余裕そうな力に息を巻いたが、まさかおんぶまでできるとは。
その小さすぎる背中にかなりの体重が掛かっている筈なのに、物ともしていない。
「――――って、重心が後ろ過ぎるわ!どうにかしなさい!」
「どうにかって……言われても……!」
「アンタがあたしから離れすぎてるのよ!! もっと背中に張り付いてっ!」
「っ――――!!」
一旦後ろに重心を傾けてから、反発するように前へと身体を傾ける。まるで反動の力をつけるように。
俺は一瞬後ろに下がってバランスを崩しかけたものの、即座に前方……彼女の背中へと勢いがつけられて身体全体がその背中にぶつかってしまう。
そのせいで肩に添えていた手が首へと巻き付いてしまったが、彼女は怒るどころか満足したように息を吐く。
「よし、これで歩きやすくなったわ。 なんであんな変な体勢してたか知らないけど、背負ってるあたしに合わせなさい」
「…………」
気持ちはわかるが釈然としない。
確かに重心がズレて歩きにくいことは知っていた。けれど付き合ってもいない異性相手、そんな人に抱きついたらセクハラ扱いされて落とされても文句は言えない。だから怒られること覚悟で後ろに下がってたのに……まさか抱きついても良かったとは。
それに、ギュッと抱きついたお陰で彼女の赤みがかった髪と整った顔が直ぐ側に見える。
これは髪の香りだろうか。昔ハクの家に置いてあったファブリックのフレグランスのような、お風呂上がりに漂ってくるコンディショナーのようないい香りがふわっと鼻孔をくすぐる。
「あ、でも変なとこ触ったら叩き落とすからね! わかった!?」
「……うん」
香りのお陰で緩みそうになった顔を、何とか引き締め直す。
いくら俺でも風邪でしんどいのにそんなイタズラ心なんて生まれない。
今は命が大事だ。その指示に従うに決まってる。
「じゃあ、行くわね」
そう言って歩みを始めたのは、俺がいつも歩くペースほど……いや、それ以上の速度だった。
男一人持ち上げて歩いているのにそれを感じさせない速度。
その力のありように俺は風邪でボーッとしていても感服するほかなかった。
「それにしても、男の人は大柄だからおんぶしにくいって思ってたわ。 ちょっと背中に感じる感覚が広いだけで案外楽ね」
「そうなの?」
「えぇ、前の学校で女の子はおんぶしたことあったけど、もっとこう……腕を折り畳んで背中に収めるからどうにもやりにくくってね。むしろそうやって思い切り預けてくれる分楽かも……?」
そんな細かな違いがあるのか……。
どんな状況でおんぶすることになったんだろう?向こうでも風邪引いた子をこうやって運んだのかな?
「それは……喜んでいいのかな?」
「運びやすさを提供してくれてるって面ではね。 あ、でも再三言うけど変なとこ触ったから殺すから」
「……もちろん」
確かに腕に巻き付いている腕を下に垂らせば彼女の胸に手が触れることなんて造作もないだろう。
少し下に視線を向ければハクほどではないとはいえ、大きいと言えるほどの胸。けれど命と引き換えに触ることなんてできない。俺はギュッと巻きつける手に力を込める。
「――――でも、アンタってばよくあたしの同行を許したわね」
「?」
「ほら、授業中ずっと睨んでたから、だから送るって言っても信頼ないかと思ったわ」
「それは……それ以外に手がなかったから」
歩くことにエネルギーを使わなくて良くなったことで言葉がスルスルと出てくれる。
そう、あの3人だったらきっと俺を運ぶことはできやしなかっただろう。だからこそ一人で持ち上げられた彼女には驚いた。
「タクシーって手があったじゃない」
「…………お金の問題で」
「ふぅん。 ま、なんでもいいけど。あたしはこうやって話す機会を得られたんだし」
「話?」
話す機会?なんのことだ?
あぁ、怒っていた3股の件?アレどうやって説明しよ……。
「まずはじめに、あたしはアンタのことがキライ。 大っキライよ」
「…………」
「だって、必死に幼なじみかつ親友の居場所を突き止めて追いかけたら彼氏がいる? そんなの相手をキライになって当然よね?」
それは、俺も分かる気がする。
もし突然ハクの姿が消えて……いや、俺が記憶を失ったタイミングでもいい。もしハクに彼氏が居たりしたら……相手の男なんてキライになってしまうだろう。
彼女は俺が言葉を受けて考え込んだことを相槌と見たのか、話を続ける。
「でも、今回の件は別。 アンタのこと見てたけどずっとフラフラしてたわ。 眠いだけだって思ってたけど……風邪引いてたなんて。 そこで気付いていればここまで大事にもならずに済んだかもしれないのに…………」
段々と言葉が弱くなっていく柏谷さん。
それは……難しいんじゃないだろうか。
俺だって風邪引いてるなんて思いもしなかったし、すぐ後ろのハクだって気づかなかったんだ。ましてや初対面の彼女が察するなんて無理だろう。
「あたしの親友2人ともをたぶらかした3股男でも、事態を悪化させた罪滅ぼしにと思ったのよ。 それでもキライなことには変わりないけど!!」
「……わかってるよ」
そんなに強調しなくても理解してるよ。
でも今回ばっかりはそんな彼女に助けられた。俺も素直に感謝しかない。
「…………ありがとう」
「ふんっ! 分かればいいのよ、わかれば」
まるで怒ってるような言葉の受け取り方だが、それでもお礼を受け取ってくれていることは見て取れた。
だって直ぐ側に見える口元がヒクヒクと小刻みに動いているから。
「――――それで、アンタの家ってここでいいの?」
「えっ? あっ」
その言葉に気がついて辺りを見渡せば、見慣れた俺の家が眼前に広がっていた。
後ろにはどデカいあの2人の家が。うん、間違いない。俺の家だ。
「鍵は?」
「えっと、確か右ポケットに――――」
「貸しなさい」
「あっ!!」
その言葉に右ポケットをまさぐって鍵を取り出そうとすると、彼女はそれよりも早く俺の尻を片手で支えて手探りで右ポケットへ手を突っ込む。
その中には鍵しかない。彼女もすぐに見つかったのか鍵を取り出し、目の前にある扉へと突っ込む。
「……間違いなさそうね」
「本当にありがとう。 後は大丈夫だから」
「何言ってるのよ。ここまで来たら仕方ないわ、最後まで見てくから上がらせなさい」
「…………はい?」
「だから、上がらせなさいって言ったのよ。 ここまで来たんだから同じことでしょ?」
お礼を言いながら彼女から降りようとすると、脚の付け根をギュッと固定されて動けなくなってしまう。
そんな俺に掛けられた言葉は、初対面にして何ともあり得ない発言だった――――。
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