027.重症


 やっと……やっと終わった。


 この長い長い、冷たい時間。まるで拷問のような何かだった。


 俺は時を知らせる鐘の音が鳴った瞬間、バタリと頭から突っ込むように机へと倒れ込んだ。

 ゴンッ!と額と机のぶつかる音がしとうが構いやしない。俺はただただこの疲れを一刻も早く癒そうと、身体を曲げその机に預けていった。




 本日早々知り合いとなってしまった転校生、柏谷 亜由美さんに目をつけられながら始まった最初の授業。俺はずっと後ろから冷たい視線を浴びながら授業を受けていた。

 そんな状態で眠ってしまえば何が待ってるかわからない。そんな恐怖を覚えながら必死に眠気にも耐え、いざ休み時間になってから彼女へ言い訳を並べようとするも、それより早く怜衣さんらを連れ立って教室を出ていってしまう。

 なら眠ろうと思ってハクに起してもらうのを頼んでから眠ったはいいが、一瞬で過ぎる時間によって起こされると寝たりなさ過ぎて更に眠くなるという悪循環。


 もはや地獄のような午前授業を終えた昼休み。俺はようやくゆっくりできると机に倒れ込んだ。


「大丈夫かい? セン」


 なかなかの音を立てて落下した俺を心配したのか彼女は俺の横に回ってしゃがむようにして心配してくれる。

 大丈夫だよ……ちょっと眠いだけだから…………。


「ん……むりぽい…………」


 そんな思いとは裏腹に出てしまったのは真逆の答え。

 あぁ、これはだいぶ重症だ。さっさと眠ってしまいたい。


「そっか。お昼はどうする? 買ってこようか?」

「いや……お腹空いてない……てかそれより寝たい……」


 申し出てくれることは嬉しいが、今はそんなことよりこの眠気を何とかしなければ。

 受け答えしている間にも瞼はどんどん重くなる。身体も動けない。机にへばりついたみたいだ。


「泉、白鳥さん。食堂行きましょっ。 ってあれ?あなた、どうしたの?」


 耳まで遠くなったのか、離れた位置から怜衣さんの声が聞こえてくる。

 そういえばお昼は4人で食べてたっけ。今日は朝から色々あって忘れてた。


「んぁ……眠い……。 お昼、みんなで食べてきて」

「そう? 大丈夫?保健室まで行く?」

「ぃや、ここで寝ればいけると……思う」


 昼休みは1時間弱もある。この時間眠りに費やせばいくらかマシになるだろう。

 幸い俺は寝るための場所を選ばない。机でもしっかりと寝れるタイプだ。たまにビクッてなることさえ目を瞑れば問題ないはず。


「アンタ、授業中ずっと眠そうにしてたものね。 後ろから見えてたわよ?首がカクカク揺れてたの」


 ずっと柏谷さんに睨まれてたらそりゃ見えるでしょうよ。むしろそれに気付いていたから寝れなかったというのに。


「ぇ……亜由美ったら泉のこと見てたの……? もしかして、貴方も狙って!?」

「な……ないない!! なんで初対面なのにそんなことになるの!? そもそも3股もする男なんてこっちから願い下げよ!!」


 あぁ、久しぶりだこの感覚。最近恋人が複数居ることにも慣れ始めて今までの俺が間違ってたのかと思ってたけど、やっぱりそうだよね。俺たちって異端側だよね。


「そう? むしろモテる上に器の広いことの証明じゃない。 まぁそれでもこれ以上増えるのは許容しないけど」

「あり得ないから安心して。 むしろ中学までお硬いって評判だった怜衣ちゃんと……人見知りの溜奈ちゃんが誰を好きになったことが未だ信じられないわ……」

「あら?人は変わるものよ?」

「変わりすぎよ…………」


 柏谷さんが呆れ、楽しそうに微笑む怜衣さんの声が聞こえる。

 …………そろそろ食堂行かなくていいの?


「怜衣さん…………」

「あら、なにかしら? そろそろ大丈夫になった?」

「いや……みんな食堂行かなくていいの?」

「そうは言ってもねぇ……このままあなたを置いてくってのも忍びなくて」


 あぁ、俺が倒れてるから心配で行けないのか。

 じゃあ、一肌脱ぐしか無いか。


 俺はグッと腕に力を揉めて倒れ込んだ身体を起こしていく。

 人の身体ってこんなに重かったっけ……なんかすっごく動きがノロい。


「ほら、俺は大丈夫だから。言っておいで」

「そう? ならいいけど……」

「ん…………? ごめん星野さん、ちょっと退いてくれる?」


 俺が辛い身体を起こして彼女へ笑みを見せると、割り込むようにしてハクが入り込んできた。

 彼女はスッとしゃがんで椅子に腰掛ける俺を見上げる。


「ハク?」

「セン、もしかしてキミ…………あぁ、やっぱり」


 彼女は真剣な顔をして俺の顔を覗き込んだと思ったら、その綺麗な手が伸びてきて額へと当てられる。

 冷たく、心地よい掌。彼女は片手を自らの額に当てながら目を瞑ったと思えば、すぐに手を引っ込めて俺の手を取る。


「?」

「もしかしたら自覚無いかもだけど、センの顔すっごい紅いよ。 熱もあるだろうから、保健室行こう?」

「…………はぇ?」


 俺はその言葉の意味をうまく理解できずに首をかしげるのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「38度ちょうど…………早退ね」


 重い体を引きずって保健室までやってきた俺に告げられたのは、一つの宣告だった。


 早退。定時より早く家に帰ること。

 まさか中学時代インフルに掛かった以外健康優良児の俺に、その言葉を突きつけるとは。

 驚きが自らの頭を駆け巡ったが、それと同等の納得もあった。

 これだけ眠いのはちょっとおかしいなって思ってたから。風邪も引いてりゃおかしくもなるか。


「私は担任の先生に伝えてくるから……誰か彼の荷物を持ってきてもらえる?」

「あっ……じゃあ私持ってきますっ!」


 ボーッとしていると勝手に進んでいくイベント。まるで映画を見ているようだ。

 先生はスマホを手にして保健室を出ていき、ついていくように溜奈さんも出ていってしまう。

 そっか、早退かぁ……帰っても夕飯どうしよ……買ってないや。


「センったら無茶するんだから……。辛いならボクに言ってくれればいいのに」

「いや、俺は眠いだけでそんな感覚なくって」

「あなた、大丈夫なの本当に……?」


 両手を握ってくれるのはハクと怜衣さん。2人とも本気で心配してくれているようだ。

 俺はそんな2人に感謝しつつ、チラリと時計に目をやる。


「みんな、お昼食べなきゃ。 もう半分しか残ってない」

「なに言ってるのよ。あなたが辛いのにそんなことするわけ無いじゃない」

「そうだよ。少なくともキミを送り届けてからじゃないと」


 気持ちは凄く嬉しいけどそれは俺が心配だ。

 そしてもうひとり、部屋の隅で腕を組んでいる人が……。


「柏谷さんもごめん。 こんな事になっちゃって」

「……別にいいわよ。 アンタが風邪だなんて思ってなかったし」


 フイっと目を逸らされてしまった。

 まぁ、彼女にとっちゃ友人を取られた上にお昼まで食べられないんだから不機嫌にもなるか。


「おまたせ、担任の先生に連絡は終わったわ。 それで帰りだけど……帰れそう?できることなら私が送ってあげたいけどこれから外せない用事があって…………タクシー呼ぶ?」

「いえ、お金もったいないですし、普通に歩けますよ。 ほら――――おっと」


 先生が戻ってきて問題ないことをアピールするため立ち上がってみせるも、立ちくらみに襲われて2人に支えられてしまう。

 情けない。ここにくる時はまだ歩けたのに、自覚した途端ひどくなってるぞ。


「やっぱり、お金とか言ってられないわ。タクシー呼ばない?」

「大丈夫ですよ。 一人で歩けますって…………ぁ…………」


 支えてくれる2人にお礼を言い、自らの足で歩こうとするもさっきまで座っていた椅子に躓いて転びかける。

 しかしそこに助けの手を差し伸べたのは、隅にいるもうひとり――――。


「アンタ、そんなんでよく大丈夫って言えるわね」

「……ごめん」


 柏谷さんに肩を支えられた俺はもう一度椅子まで座って安静にする。

 ヤバいな、これタクシーコースか。お金あったかな……。


「大丈夫です!私と白鳥さんで支えて帰りますから!」

「! そうです!ボクたちが支えたら帰れますよね!?」


 そう立候補してくれたのは怜衣さんとハク。

 嬉しいけど……支えながら帰るってかなりしんどいよ?


「できることなら認めてあげたいけど、人一人支えて歩くってかなり体力使うのよ?あなた達できる?」

「はい! 白鳥さん!」

「うんっ!」


 2人で俺の両肩を抱えて立ち上げると、見事立ち上がった。

 けれどそこまで。彼女らは歩幅を合わせられることもできない上、数歩歩いただけで苦しそうな顔をする。


 保健室を一周回って椅子に戻る頃には2人は息切れをするほどだった。


「やっぱり無理そうね。 ちょっと待ってて、今タクシーを――――」

「待ってください、先生」


 その手を止めさせたのは、柏谷さんだった。

 彼女は電話をしようとする先生の手を止めさせ、何も言わずに俺の隣まで歩いてくる。

 そして右腕を引っ張ったと思いきやベルトに片手を添え、無言のまま俺を持ち上げた。


「わぁ……すっごぉい」

「そういや亜由美ったら昔っから力持ちだったわね。文化祭の時重いものばかり持ってたわ」


 彼女は何も言わずに保健室を一周回って元の椅子へ。

 俺が椅子に座った時にその顔を見上げても、至って涼しい顔をしていた。


「先生、あたしがコイツを家まで連れて行きますので、それでいいですよね?」

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