017.天国と地獄


「ハク……今、俺のこと…………」


 彼女の力強い宣言からどれほどの時間が経っただろう。

 数分かもしれないし数秒かもしれない。宣言をしたハクはそのまま黙り込み、聞いていたであろう怜衣さんらからも返事がない。

 そんなどうすればいいのかわからない空気の中、段々と抱きしめる力が弱まっていった隙に再度俺は顔を上げる。


 見上げて目にしたハクの顔は真剣そのもの。

 眉は釣り上がり、口をキュッとつむぎながら怜衣さんを見つめている。

 普段浮かべる笑みとは程遠い表情を浮かべる彼女は、それでも美人だった。まだ年相応の可愛らしさを残しつつも雰囲気と相まって妖艶な雰囲気も交じるハク。

 俺はそんな彼女の胸上に何とか顔を乗せつつ斜めにいる怜衣さんへと視線を移す。


 ここからだと溜奈さんまでは見えないものの、彼女も口を閉じながらもハクから視線を移そうとはしなかった。

 真剣な表情。まるで睨み合うような彼女は、俺に気がついたのかプラチナブロンドの髪を揺らしながらゆっくりと視線を下ろす。

 バチッと視線が合うと優しく微笑みを浮かべる。日本人離れした、可愛くも優しい、少しだけ母性の感じられる笑み。


 怜衣さんはそんな優しい表情を崩すことなくハクに一歩近づいて未だ抱きしめられている俺の背中に手をやった。


「一ヶ月はかかると思ったけど……随分と自覚するの早かったわね」

「2人のお陰でね。まさか仮でも付き合ってる…………なんて知ったら嫌でも自覚するさ」

「あら?私としては仮なんてものじゃなくって人生を賭けるほどよ?」

「それが両思いならね。 でも彼に恋愛感情はない。ボクのものだ」


 自らの胸に押し込むようにしてギュッと抱きしめるハク。

 胸上に顔があったお陰でなんとか埋もれずに済んだ俺は真剣な目をする彼女を見ていると、ふと背後から何者かの手によって頭を撫でられる。怜衣さんだ。


「それは彼が貴方のことを好きなら成り立つんじゃないの?」

「もちろん。 ――――だから、セン」

「は、はい!」


 ギュッと抱きしめていた手が緩み、肩に添えられて両足で立つと、ハクの眼差しが俺へと向けられる。

 2つの琥珀の瞳が俺を捉え、プルンとした唇がゆっくりと動き出す。そんなピリついた空気に呼びかけられた俺も声が上ずってしまった。


「セン、ボクはキミのことがずっと好きだった。 だから、2人じゃなくってボクと付き合って欲しい」

「ハク…………」

「付き合ってくれたらなんだってする。毎日勉強を教えるし朝ごはんも作る。さっきみたいにキスだってするしそれに……その…………それ以上のことだって…………」

「それ以上…………」


 ハクは『それ以上』を想像したのか一気に頬が紅く染まっていく。

 俺もきっと顔は真っ赤になっているだろう。1年見ないうちにかなり魅力的になった女の子。きっとコミニュケーション能力があれば誰しもが告白する女の子になっていただろう。そんな彼女がこうしてまっすぐ告白してくれているのだ。


「俺は――――」

「泉……」


 何とか口を動かそうとしたその時、背後から聞こえる呼び声に思わず振り向いてしまう。

 それ以上は言わないものの、寂しそうな目で訴える怜衣さん。

 美しいプラチナブロンドを揺らし、輝かせながらその奥ではサファイアの瞳が揺れている。

 彼女は現時点ですでに、完璧の女の子だ。容姿は当然のこと、この一週間見ていても性格は優しく、それでいて芯がしっかりとした魅力的な女の子だ。高嶺の花の存在で俺なんて手の届くわけのない子。そんな彼女がこれまで一度も見せなかった寂しさを堪えた目でこちらを見つめていた。


「…………」


 何も答えることができない。

 どちらを答えてもどちらかが悲しむ。両方拒んだら当然両者が悲しむ。

 確かに恋愛感情と言われると怜衣さんはわからない。一方ハクは初恋の女の子だ。そこだけを考慮するなら簡単な話だが、心の奥底でそれではダメだと叫んでいた。


 しかし黙ったままでは何も進まない。俺はギュッと噛んだ唇の端で血の味を感じながらゆっくりと口を開く。


「俺は――――――――」

「ダメぇぇぇぇ!!」


 部屋中に響く、つんざくような叫び声が辺りを震わせた。

 と、同時に揺れる視界、下がる視線、感じる重力の変化。


 更に脇腹への痛みという情報が一瞬のうちに脳内へと全て叩き込まれて俺の脳は一瞬活動を停止してしまった。

 停止した瞬間、床へと叩きつけられる俺の身体。

 脳は停止しても反射というものは働くようで受け身は取れたが、俺は横へ吹っ飛ぶように床へと倒されていた。


 幸いにも家具が少ない部屋、倒された身体は床以外どこにもぶつけることはなかったが、それでも突然のことで多少なりとも痛みはある。

 何事かと衝撃が加わった脇腹の方へ視線を動かすと、ギュッと身体を抱きしめる溜奈さんが抱きついていた。


「そんなの……そんなの白鳥さんを選ぶに決まってるじゃん!!私たちのことまだ全然知ってもらってないのに!!」

「溜奈……」


 怜衣さんの呼びかけにより溜奈さんの顔がゆっくりと上がる。

 お互い倒れ込んだ状態でこちらを見つめる彼女は、ボロボロと涙を流していた。

 俺の服へこぼれ落ちる服を拭うこともなく力いっぱい抱きしめ、見つめてくるサファイアの瞳。そんな彼女は怜衣さんの言葉を否定するように口を開く。


「お姉ちゃんもお姉ちゃんだよっ! ここに来るまで『白鳥さんと仲良くできたらいいな』って言ってたのに会ったら会ったで喧嘩してっ!!」

「そ……それは……!!」

「ほう……」


 先程までのにらみ合いから一転、慌てだす怜衣さんとニヤリと口元を歪ませるハク。

 怜衣さんが止めようと動き出しても溜奈さんは止まらない。


「この前だってっ!『マラソンで余計なこと言ったせいで嫌われたかも』って涙目になってたじゃないっ!!」

「る……溜奈。そのくらいに……」


 小刻みに震えながらその手が溜奈さんの肩に触れるも、彼女は首を横に振って怜衣さんへと顔を向ける。

 きっと睨みつけているのだろう。それでも涙を流して慣れていないせいで可愛らしいものになっているが。


「それに、『泉と白鳥さん、4人で仲良くできたら最高じゃない』って何度も私に話してるのになんでそんなことするの!!」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……………」

「おやおや………」


 もはや張り詰めた空気なんて跡形もない。

 全てを話してしまったのか怜衣さんは崩れ落ち、ハクはいつもの調子を取り戻していた。

 思いの丈を出し切った溜奈さんは俺の腹の上でフーフーと息を荒くしつつ顔を覆う怜衣さんを可愛らしく睨みつける。


 これ……どうすればいいの?さっきはさっきでなんて言えばいいかわからなかったけど、これはこれでどうすればいいかさっぱりわからない。

 俺も崩れ落ちた怜衣さんにどう声を掛ければいいか迷っていると、ハクが彼女の隣にしゃがみ込んだ。


「星野さん」

「…………なによ。私たちよりもずっと距離の近い白鳥さんが羨ましくって……恋心を認めないのを見て腹が立ってたわけじゃないんだから……」


 腹が立ってたんですね。

 もはや全てを自白してしまった怜衣さんにハクも一瞬だけ驚きの表情を見せたものの、すぐに表情を戻して彼女の身体をそっと包み込む。


「星野さん、ボクはセンのことが好きだ」

「……えぇ」

「でも、星野さんもセンのことが好き」

「…………そうね」

「じゃあ、どうするかは決まってるね」

「…………えっ?」


 何事かと顔を上げた怜衣さんにハクは優しく微笑んで見せる。

 そんなの……お互いが倒れるまで喧嘩するの!?その優しげな笑みはそれを宣告するの!?


 どうすればいいかすらわからない俺をハクは見下ろすと、頬をそっと触れながらゆっくりと口を開く


「2人がセンと付き合ってるなんて甚だ遺憾だけど、こればっかりは仕方ない。ならボクも同じ位置に立つだけだ。ボクら3人『仮』として彼と付き合って、それから決めてもらおうじゃないか。 ねぇセン」

「…………はい?」


 我が親友からの思わぬ提案にまたも脳がフリーズする。

 なんて?付き合う?ハクと?仮として?


「星野さん……妹さんもそれでいいかい?」

「グスッ……白鳥さんが……いいのであれば……」

「お姉さんは?」

「……願ったり叶ったりよ」

「よし、じゃあ決まりだね。 良かったねセン、一気に彼女が3人だ!仮だけど」


 ……あれ?なんか俺の答え聞かずに話し進んでない?

 そもそも3人ってなに!?仮ってなに!?


「ハクっ!」

「なんだい?」

「俺何も言ってないんだけど!?」

「おや、オトコノコの夢だろう?ハーレムって。いずれは瓦解するかもだけど今はそれに付き合うんだ。異論はないだろう?」


 確かにそういうのは夢だけど……。でも夢と現実は違うでしょう!


「でも――――」

「はいっ!異論はココまで!キミはどうせ『夢と現実は違う』って言いたいんだろうけど今は享受しとくといいよ。ただの問題の先送りなだけなんだから」


 そこまで言われて俺もハッと彼女の真意に気がつく。


 問題の先送り……。なるほどそうか。ハクは俺に選択の余地を残してくれたんだ。

 まだ2人のことを何も知らないから。せめてお互いに知れるようにと……。


「じゃ、決まりだね! ほら、センも立って立って。ずっと床にいると汚れちゃうよ」

「いや、俺も立ちたいんだけど立てなくって……」


 彼女は一層明るい雰囲気を醸し出しながら立つように促してくる。


 そう、何度も立ち上がろうとしているものの、未だにできず床に倒れ込んだままだ。

 それもそのハズ、まだ腹回りには溜奈さんが抱きついていて、更には足が絡まって動くことができない。


「ほら溜奈、溜奈が立たないと泉が立てないでしょ」

「ヤーッ! 泉さん……暖かくて、優しくって……いい匂いするんだもん……」


 怜衣さんが説得を試みようとするも更にギュッと抱きついて離れようとしない。

 そんな……そんな力いっぱい抱きつくと胸元の感触がっ!!


「溜奈さん、離れないと……その……胸元が……」

「ふぇ……? ぁ……、泉さんって、おっぱいおっきい方が好き……です?」

「うぇ!? い、いや……えっと……月並み……かな?」


 まさかの無垢な瞳での質問。

 確か怜衣さんの話だと小さいブラをして着痩せするんだっけ。たしかにこれは……。


「じゃあ、その……ちょっとくらいなら……触ってみます……?」

「なっ…………!?」

「ちょっとセン!そんなのダメだって分かるよね!! お姉さんも止めて!!」


 俺よりも過剰に反応を示したハクは慌てたように怜衣さんへと止めるよう促す。

 けれども彼女はその呼びかけに動こうとせずその様子を見つめていた。


「溜奈!その調子よ!もっとやっちゃいなさい!!」

「ちょっ! お姉さん!色仕掛けはズルいよっ!!」

「そんなの双子なのに成長の取り残された私が一番ズルいと思ってるわよ!! でも彼の気を惹けるなら今回は血の涙を流して応援するわっ!!」


 ハクの抗議に怜衣さんはギュッと握り拳を作りながら反論をする。

 あぁ、これ止められないやつだ。


 俺はハクの手によって引き剥がされるまで、視線からくる針のむしろかつ幸せな感触という、天国と地獄を味わっていた――――。



「でも白鳥さん、キスはさっき貴方がしたんだから私たちもしていいでしょう?」

「それはダメ。あれは幼なじみかつ親友であるボクに黙ってたいわゆる罰だ。 これからはボクだって我慢するし、キミ達だって彼から求められない限りはダメ」

「でも、ちょっとくらい……」

「ダメ。自制が効かなくなるでしょう?」

「ちぇっ……」

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