011.進路相談


「ハクー? 今日どこか行くー?」

「…………」


 面倒な身体測定も終えた放課後。

 午前中の授業も乗り切り何とか二日目の全工程を終えた俺は、続々と教室を出ていくクラスメイトたちを尻目に後ろにいるハクへと呼びかける。


「ハクー?」

「…………」


 …………何の応答も無かった。

 もしや既に帰ってしまったかと、不自然に大きな独り言になってしまったのかと思って振り返ってみるも、その黒い髪の少女は確かに座っていた。

 しかし、顔が見えない状態で。



 いや、別に大したことなんて無い。ただ伏せっていて顔が隠れているだけだ。

 ショートボブの髪が重力に従って垂れているのが妙に元気なさげに見える。……何かあったのか?


「……ハク?」

「…………あぁ……大丈夫、ダイジョブ。 ちょっと疲れただけさ……」


 3度目の呼びかけで伏せってしまったその奥からくぐもった声が聞こえてきた。

 元気がない、というものではなく確かに疲れたような声。

 そんなにマラソンで全力出したのかな?チラッと廊下から見た感じじゃ真面目に安定したペースで走っていたようだけど……


「そんなにマラソン疲れた?」

「まぁ……ね。体というより心だけど……。 あぁ、虐められたとかじゃなくって考え事がね……」


 考え事、ねぇ。

 とりあえずイジメとかじゃないならよかった。記憶がない分そういう細やかな事情なんてさっぱりわからないし。

 しかしハクがそこまで悩むなんてなかなか珍しいな。昔から成績優秀だったからそうやって悩むところを見たことがない。


「もしかして進路とか?」

「ん~……進路……進路ねぇ……。間違っては、ないかなぁ?」


 人間関係、勉学じゃないならとアタリを付けてみたが見事当たったようだ。

 でもそれは俺としても相当難しい問題だ。未来も過去もあやふやな俺にとっては何の助言もすることができない。でも見捨てて帰るわけには行かないし……うぅん……


「……セン」

「ん?」

「センはさ、進路について考えたことはある?」

「進路? 正直、全く。感覚としては高校入学って感じだし。 それより過去、記憶が気になるかなぁ」


 『適当に行ける大学行ってそこから考える』そう言おうと口を開いたものの、気づけば記憶のことを持ちだしていた。

 ここまで綺麗サッパリなくなってしまっていると諦めもつくと思ったが、意外と俺の本心は諦めが悪いようだ。

 自らの意思と本心の乖離に少し驚きつつも納得し、彼女の様子を伺うとその片目がこちらを捉えていた。


「本当に? もし辛くっても記憶取り戻したいと思うの?」

「っ――――」


 伏せっていながらも少し頭を上げ、髪の隙間から見える彼女の瞳。

 それはまるで一つの警告だった。何か不都合があるから思い出してほしくない。そんな感覚に襲われた。


「――――ま、まぁやっぱりね。勉強はどうにかなりそうでもやっぱり1年もなくなってるのは寂しいよ」

「足りない分、ボクが全部フォローするとしてもかい?」

「それはさすがにハクに悪いし。 それに、俺だけハクと遊んだ記憶が1年無くって思い出話できないのは辛いじゃん」

「ボクとの……思い出話かい?」


 フッと見定めるような瞳が驚きに変わって顔を持ち上げる。

 ようやく見えたその両目。彼女はゆっくりと身体を起こしながらトスンと背もたれに寄りかかった。


「そりゃそうでしょ。大学や就職は別れちゃってもメッセージでやり取りできるんだし。そのうち昔話になって『あの時は楽しかったね~』『え、俺知らないんだけど』『えっ……あ、ごめん』ってなったら寂しいじゃん」


 遠い未来に訪れるであろう昔を語る場。もしかしてお互いにお酒を傾けながら語りに興じるのだろうか。

 懐かしむ顔をしながら語り始めた時にそんなやり取りになったら最悪な空気になること間違いなし。むしろ昔話自体が禁句になるレベル。


「そっか……。うん。そうだよね……」

「ハク……?」


 そんなあるかもわからない考えに思いを馳せていると、彼女は納得いったように首を何度も縦に振る。

 なんだか心配になって少し前かがみになると、今度は何を思ったのか勢いよく席を立った。


「おわっ! ……びっくりしたぁ……」

「セン、さっきどこいくって言ったよね?」

「あぁうん、言ったけど……?」


 彼女の髪がチッと掠る勢いで立ち上がった彼女は悩みなんて何処へやら、普段の調子のいい笑顔に戻っていた。

 一体なんなんだ……?コロコロ表情が忙しいねぇ。


「それじゃあこれから記憶を探しに出かけよっか」

「どこかアテあるの!?」

「アテ……というよりほとんど虱潰しだけど。ボクら2人で開拓したカフェがあるからそこでお茶も兼ねて、ね」


 なるほど。記憶のないうちに訪れたカフェで何か思い出さないか試してみようという魂胆か。

 たしかに食べ物とか匂いで昔の記憶が刺激されるなんてよく聞く。なかなか良い案かもしれない。


「いいね。この近く?」

「バスでちょっとだけ行くけど30分もかからないさ。それともう一個いい?」

「なに? …………っ!」


 彼女は予定が決まってからは行動が早い。

 今回も早速善は急げというように荷物を持って教室を出る……前にこちらへと振り返った。そうして1つだけ断りを入れて俺の鼻先へピッと人差し指を当てる。


「さっき大学は別って言ってたけど……キミは何か勘違いしてるね。ボクの行く大学は決まってるよ」

「決まってるの!? それじゃあさっき進路で悩んでたのは!?」

「また別件だね。でも行く大学自体は決まってないかな?」

「…………? なんか矛盾してない?」


 行く大学は決まっている。ただし行く大学自体は決まっていない。

 もうほぼ同じ文章が否定形になっている。思いっきり矛盾してるんだけどこれ……。


「何も矛盾してないさ。だってボクが行くところはセンと同じとこだからね」

「俺……?」

「うん。もうここまで同じなんだ。いっそのこと思い切って大学まで一緒になってやろうじゃないか」

「も…………もったいなくない!? ハクは頭いいじゃん!!」


 ハクは成績優秀といってもレベルが違う。模試でも全国トップクラスだ。それなのにたかが俺と同じ大学を選ぶのは長所を捨てるようなものだ。

 けれど彼女は何ともないように首を横に振ってそれ以上の反論を封じてしまう。


「ボクとしてはいい大学生活より楽しい大学生活を送りたいからね。キミが居なかったら何も面白いことなんて無いよ」

「でも……それは大学でも話せる人がいるかもだし……」

「それは断言できるのかい?」

「…………」


 断言は、できない。

 そもそも彼女の話せる人の基準がわからなすぎる。単に頭がいい人がいいのか、いや、頭だったら俺が真っ先に外される。

 これまでの経験から察するに感性の一致だとは思うが、本当にそれならばこれまで会ってきた人の内1人と、確率を考えるに居ない可能性のほうが高い。


「そんなわけで、ボクの進路はキミにかかってるわけだ。頑張ってよ、ハク」

「…………無茶言うなぁ……」

「ボクも付きっきりで応援してあげるからさ。一応授業は問題なかったんだろう?」

「まぁ、うん」


 本当に不思議だった。

 最大の難関とも言える午前の授業、当てられた時は最悪ハクに助けを求めようとも思ったが、その必要は一切なかった。

 教科書を開き、復習がてら説明してくれる先生の話を聞いていると、何故かその内容が理解できたのだ。

 記憶との照合……というのだろうか。ふとキーワードが出てくることでその付近の情報も頭の中から湧き上がってきて、浮かぶ内容に従うだけで授業は問題なく突破することができた。


 だから勉強の記憶に関しては問題ない。勉強がいけるなら思い出とかもさっさと湧き上がって来てほしいのだが。


「じゃあ大丈夫だね。 でも今回は勉強じゃなくってカフェだ。さ、行こ?」


 スッと扉の方へと足を動かして呼びかける声に、俺も慌てて荷物をまとめだす。

 そしてようやくまとまった荷物を持って彼女に追いつこうと顔を上げたところで、フッと俺の目の前を人影が通った気配がした。


「あら、2人ともカフェ?じゃあ私たちもご一緒していいかしら?」

「…………星野、姉妹」


 さっきより1オクターブ低いハクの声が影へと向けられる。

 まるで俺とハクの間を挟むように机間の通路を塞いだのは、プラチナブロンドの髪を揺らす怜衣さんだった――――。

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