010.宣戦布告
土煙が舞う――――
前から、後ろから。
左を見れば風に吹かれた土煙が人々へと直撃していくのが見て取れる。
そんな中、発生源の独りでもあるボクは黙々と地面を蹴っていた。
もうどれくらいこうしていただろうか。
気になって遠くにある時計を見ると、開始時間から10分ほどが経過していた。
まだまだゴールまでは遠い。
そう残り時間を計算しながらボクは更に脚に力を入れる。
2年生が始まって初めての授業の日。
ボクたちは体育の一環としてマラソンを、楕円状になったグラウンドで行っていた。
時間は30分間。ただひたすらグラウンドを走るという簡単なもの。
タイムも距離も決められていないから、ペースなんて考えなくてもいい。
だから当然、グラウンドを駆ける周りの者たちはそれぞれグループを作ってほとんどジョギング気分だ。
自慢じゃないがボクには友達が居ない。
異性はおろか同性にも。居るといえばただ一人の親友くらいだ。
別に寂しさや嫌な思いなんてしちゃいない。むしろ自分からこうなったのだから快適、万々歳だ。
一応、嫌われてはいないから「二人組作って」なんて言われてもどうにかなる。裏で何て言われてるかは知らないけどね。
だから当然、こういう時に一緒に駄弁る人なんて存在しない。
ボクは少し力を込めて前でジョギングしている女子グループの横を通り過ぎる。
通り過ぎる時に耳に入るのは姦しい同学年たちの声。
「あの人がカッコいい」だの、「あの人は今フリー」だの、そんなのばっかりだ。
まったく、顔や彼女の有無で好きな人が変わるなんてどうかしてるよ。一体彼女たちの中で好きという気持ちはどうなっているんだか。
「ぁ…………」
そんなグループの声を聞き流してコーナーに入り、ちょうど校舎が正面に来ると見覚えのある姿が廊下に見えた。
それは体育館から出てきたであろう親友の姿。
お昼休みが終わったばかりだからか少し眠たげにしながらも、しっかりと配られた用紙を持って保健室に向かう彼。
女子がこうしてマラソンを行っている間、男子は身体測定だ。
項目は身長・体重・握力・座高などなど…………。
毎年この時期にやる行事。そっちはそっちで面倒くさいし、マラソンはマラソンで非常に面倒だ。
保健室に行くってことは身長とか視力でも測るのかな?彼は高校1年の間で少しは伸びてたし、丸1年の記憶が無いとあっては思わぬ伸びに喜んでそうだ。
あ~あっ、そんなところにボクが行けないのは残念極まりないよ。
なんで身体測定を男女で分けるんだろうか。せっかくなら一緒にしてしまえば学校側も楽だろうに。
もし一緒だったら…………ボクと彼とがペアになって互いに測り合うんだ。
身長で彼に負けて勝ち誇った顔をされ、胸囲を測った時はすっごく顔を真っ赤にされるんだ。
握力検査に乗じてその大きな手を握ってみるみる赤くなる顔を見つめたり、前屈ではボクの柔らかさに驚いてもらって……。
そして腹筋では彼の足首を持って、すぐ近くで応援するんだ。
ボクがやる時はかつて無いほどの力が出せるだろう。そして彼がやる時は……ボクがついつい応援に熱が入っちゃって前のめりになった結果、オデコ同士が勢いよくぶつかっちゃうんだ。
そのせいで計測どころじゃなくなって二人して笑い合って…………そして仲良く先生に怒られるんだ。
あぁ、なんで彼と一緒に測定ができないんだろう。日々の成長が間近で見られないなんて悲しいにもほどがある。
あ、でも他の男子の目が無いのはありがたいかな。あの有象無象の下心だらけの目、それが無いのは分かれていて正解だったと思う。代償も大きいけど。
「おっ――――ととっ!!」
危ない危ない。物思いに耽りすぎて、ついついコースアウトしかけちゃったよ。
あまり集中しすぎるのも考えものだ。もうちょっと前も見ておかないと。
「どうしたのかしら? 随分とボーッとしてたけど」
「ん…………?」
コースアウトしかけたコーナーを曲がり切って再度直線しようとしたところ、後ろから声を掛けられていることに気がついた。
振り返れば太陽に照らされてキラキラと光り輝く銀髪の少女が2人――――星野姉妹だ。
彼女らはボクの後ろにピッタリとくっつきながら声をかけている。
「ボク?」
「貴方以外にいると思う?」
「……いや」
視線を前に戻しても近くにはボクたち以外誰も居ない。
つまりボクか。このまま速度を上げて引き離そうとも考えたがグラウンドを回っている手前、向こうがゆっくりいけばすぐまた同じ構図になるだろう。それに疲れる。
ボクは一定だったペースを緩め2人の横に張り付く。
「ありがと。あのペースだったら私はよくても溜奈が耐えられなかったわ」
「途中からなのにあのペースがダメって……大丈夫かい?」
「はっ……はっ……なんとか…………」
少し前かがみになって妹のほうへ視線を向けるとだいぶバテているようだ。追い抜かれた時にペース上げたんだろうし、そんな短距離で疲れ切るのはちょっと体力無さすぎではないだろうか。
「途中からじゃないわよ。最初から……10分以上前からすぐ後ろに張り付いていたわ」
「え!?」
まさかと。思わぬ事実に驚いてしまう。
そういえば2人を抜いた記憶がない。こんな髪色、追い抜いたら絶対覚えてるはずだ。
つまり、本当に2人はピッタリと張り付いていたのだろう。あまりペースを上げてないとはいえそこそこ疲れるくらいで走ったのに。
「ホントはもっと早く追いつきたかったけど溜奈がもう上げられなくってね。ちょうどコース外れてくれてよかったわ」
「……それは悪いことしたね。これからは歩こうか」
ボクたちは徐々にスピードを落として歩きに切り替える。
先生たちは身体測定の手伝いで誰も居ない。周りの生徒たちも次第に飽きてきたのかみんな歩いてしまっている。去年もそうだったしこれが恒例なのだろう。
「…………で、どうしたんだい? 2人からボクに話しかけるなんて。理由がないだろう?」
「あら、理由なんて必要あるのかしら? クラスメイトだもの。友達と話すのは普通でしょう?」
「友達?昨日会ったばかりなのにかい?」
「えぇ。友達なんてそんなものよ。 それとも貴方は作るのに何か儀式でもやってるの?」
それを言われちゃぐうの音も出ない。
昨日あれだけ険悪な雰囲気になってしまったんだ。友達と言ってくれる方が驚きである。
なんだろ……すっごい嫌な感じしたんだよね。昨日。
「……じゃあ、どうして妹さんを頑張らせてまでボクに追いつこうとしたんだい?」
「『唯一の』友達である貴方とおしゃべりしたかったの。 ダメ?」
「いや…………。って、唯一?」
何を言ってるんだこのお嬢様は。
友達なんて沢山いるだろうに。彼以外話し相手の居ないボクと違って彼女らは普通にクラスの女子たちと話している。むしろ中心だ。それで友達が居ないとなればボクは一体なんになる。
「えぇ、唯一よ。 もちろん溜奈は妹だから除外として」
「あの……普段話してる子たちは?」
「あの子達ね……悪い子じゃあ無いんだけどね。 ただ、私というよりもその後ろ……実家の影を見てるのか妙にビクビクしてるフシがあるのよ」
「あぁね……」
それはなんとなく想像がつく話だ。
この学校には不相応の、本物のお嬢様。会社は上場の……プライムとやらに入るらしいから相当の規模だろう。ボクだって知ってるし。
機嫌を損ねたらどんな裏の手が飛んで来るかわからない。
「私は気にしないでって言ってるのにねぇ……。 その点、昨日の貴方を見て近づきたいと思ったのよ。 貴方は家のこととか気にしなさそうだなってね」
「…………ふぅん」
たしかにボクはそういうのは気にしない。
でも一応……一応昨日のことは気にしてたんだけどな。普段ならもっと穏やかに追い払うはずなのについつい喧嘩腰になってしまったから。
「そっか。でもごめんね、怖がらせちゃって。 昨日、妹さんは怯えてただろう?」
「あっ……私は……その、いつものことなので……気にしないで……」
お姉さんの向こう側に視線を向けたら影に隠れられてしまった。
ふぅむ、だいぶ対極な姉妹だ。育つ環境が同じだからもっとこう……お姉さんが2人居るような感じだと思ってたけど。
「そっか……じゃあ、ボクから聞きたいことがあったんだけどいいかな?」
「あら、なぁに?」
「君たちは昨日、どうして食堂にいる私たちに近づいたんだい?」
昨日、あそこに居るのは僕たちだけだった。
お昼ご飯を食べるならもっと他にいい場所があっただろう。有名人が逃げるために選んだとしても都合が良すぎる。特にあの視線……。
「なんだそのこと。 ただの偶然よ」
「嘘だね」
ボクは間髪入れずに否定する。
あの視線、ボクと話していても彼から目を逸らすことはなかった。それが何よりも怪しく、否定するための十分な材料だった。
「…………そうね。 本当のことを言うわ」
「おねぇちゃん、言っちゃうの?」
「今更隠してもなんともならないでしょう。 …………話を中断してごめんなさいね。私たち、里見さんのことが好きなの」
「…………」
なんとなく、そんな予感はしていた。
けれど認めたくはなかった。この2人がライバルなんて……。
「貴方はどう?好きなの?」
「…………」
ボクは答えられない。
もし答えて、もしそれが広まってさえしまえば、どうなってしまうだろう。
人の噂というのはすぐに広まる。当事者の耳になら尚の事。すぐに彼にも知られ、この心地いい関係にヒビが入るだろう。
そして、もし断られでもしたら…………
「……そう、答えられないならそれでいいわ。 でも一個だけ。モタモタしてると貴方の元から離れていっちゃうわよ」
彼女はそう言い残して先へと走り去ってしまう。
ボクは立ち止まり、ただただ俯くことしかできなかった――――。
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