009.サプライズの冗談


 翌朝――――。

 俺は記憶喪失という事情を知っている3人が登校していない教室の中、1人ボーッと空を見上げていた。


「はぁ…………」


 空は雲ひとつ無い快晴。その晴れやかな景色とは一転して俺の胸の内はモヤモヤが占めていて、ついため息が出てしまう。

 考えることといえば今抱えている懸案事項。最も大きいのは記憶のことだが、これはどうしようも無いから諦めた。


 また別の……俺を取り巻く環境について考える。

 我が親友ハクと、彼女である怜衣さんに溜奈さんのことだ。昨日食堂で見せた一触即発の雰囲気。会話したことがないと言っていたが、あれは随分と険悪だった。そして昨晩怜衣さんが言っていた、付き合っていることを伝える件。

 ハクが俺のことをどう思ってるかは知らないが、彼女の話し相手が非常に少ないことは中学から変わらない。もし付き合ってることが知られたら大事な話し相手が取られたと思うだろう。もし俺たちの会話がなくなってしまえばハクは独り残ってしまう。それだけは避けたい。

 いや、それは自信過剰か。俺もハクという話相手が居なくなると寂しいから、避けたいのだ。


 あちらが立てばこちらが立たない。怜衣さんは変わらず仲良くしてくれて良いって言ってたけど……本当にそれでいいのだろうか。

 俺としては3人仲良くしてくれたら、これ以上に嬉しいことはないんだけど…………


「わからん……ぅぅぅ…………」

「やぁセン。そんな難しい顔で唸り声上げてどうしたんだい?」

「…………ハクか」


 オーバーヒートしつつある頭を抱えつつ、ふと目の前に落ちる影に顔を上げれば昨日と変わらぬニコニコ笑顔でこちらを見つめるハクの顔が。

 改めて見ても美人になったなぁ…………ってそうじゃない。本当のことなんて言えないしなんて説明しよう。


「あ~~……ほら、今日から授業開始だからさ。追いつけるかなって」

「なるほど。 昨日も言ったけど心配すること無いよ。たとえセンが小学生の頃に戻ったってボクが手取り足取り教えて上げるからね」

「それはありがたく思ってるよ。でも当てられた時とかさぁ」

「そこについても万全さ。ボクが後ろから囁けばいいんだから」


 彼女はなんてことのないように机を回り込んで後ろ……自らの席に腰を下ろす。

 しばらくすると背後から『1たす1は2』……などと小さな声が。思わず俺も身体を捻って後ろを見ると、してやったりの笑顔でウインクを見せてきた。


「ね。 これなら大丈夫だろう?」

「…………心強いよ」

「ボクはそれより授業の最後…………体育で憂鬱になってると思ってたよ。 ほら、そっちは身体測定だろう?」


 本日の午後。5と6時間目は体育だ。

 正確には男子は室内で身体測定、女子はグラウンドでマラソンという日程。後日男子もマラソンをやるとはいえ、春に走らされるのはなかなかに不評らしい。


「身体測定ねぇ……。俺は別に気になるとこないからさ」

「そうかい? ボクとしてはマラソンが憂鬱でね。何で季節外れなのに……まぁ身体測定も憂鬱だけどさ」

「何で身体測定が憂鬱?」

「センも昨日言っただろう? ボクはこの1年で色々と成長したのさ。それで身体測定は周りにも数値が割れてしまうから……女子は色々と立ち回りが大変なんだよ。 不平不満に羨望、嫉妬……とかね」


 ヤレヤレと言った様子で肩をすくめ、腕組みの要領で下から胸を持ち上げる。

 目算ではあるもののE……いやFはあるだろうか。セーラー服である程度体型がわかりにくい設計であるにも関わらず、下から支えるせいでその大きさの自己主張が激しくなってしまう。

 揺れるその様子を思わず目で追っていると、クスッと笑う声に視線を上げればニヤニヤと笑みを浮かべるハクがそこにいた。


「ふ~ん……やっぱり目で追ってたぁ」

「あっ……いや、これは……!」


 しまった!罠だったか!!


 どうにか取り繕うと言葉を選ぶも全て墓穴にしかならない。

 地雷を踏むまいと何も言えずにいると、腕を解いた彼女は人差し指を一本立ててツンツンと背中をつつきだす。


「センも男の子だねぇ~。 まさかこんなにエッチだなんて思わなかったよ~」

「えと……ごめん」

「何をあやまってるん……だいっ!」

「あたっ!」


 気分を害しただろうと身体を捻りながらも頭を下げると、つついていた指が俺の額に標準を合わせてピンッと弾かれる。

 デコピンだ。しかし本気では無いのか決して痛いものではない。けれどついつい額を押さえて擦っていると、その手を振り払って彼女自ら撫で始める。


「よしよし。痛かったね」

「ハク……?」

「別に怒ってるわけじゃないよ。 ただキミを魅了しうる事のできる実力がボクにあるってわかってホッとしただけさ」

「……どういうこと?」

「ボクだって女の子の端くれさ。 自分に魅力があるかをいつも考えているんだよっ……と!」


 そう言って今度はバッグからスマホを取り出し、頭に疑問符が浮かんでいる俺の写真をパシャリと撮る。

 ウインクをして見せた画面には、朝からアホ面を晒している俺の姿が。


「ほら、こんなにボクに見惚れるセン君が。 ふふっ、かーわいっ!」

「あっ!保存した! 消して!!」

「え~こんなに可愛いんだからいいじゃん~。 ふふっ」


 さすがにそんなアホ面をする写真は看過できない!!

 慌ててスマホを奪おうとするもヒョイッとスマホが宙に浮き、胸元で抱きしめるようにハクはそれを守る。


「ボクの身体を間近で見惚れたんだ。写真の一枚くらい安いものだろう?」

「そりゃそうだけどさぁ」

「それでも足りないっていうんなら、そうだね……触らせてあげようか?」

「!?」


 え!?ウソ!?

 そんなの要求するに決まって――――って、その口調は……


「……………………冗談」

「もちろんそうだけど、随分と迷ったね……」


 そりゃ迷うよ。男だもん。

 でもさっきのトーンは完全に冗談だった。たとえ望んでも向こうから冗談と言って躱しただろう。


 撮られた写真の消去を諦めてスマホを見つめる彼女に再度目を向けると、裏側……カメラ近くに一枚の写真が。あれは…………


「ハク、その写真ってもしかして昨日の?」

「お、よく気がついたね。 そうだよ。ボクも生まれて初めてプリなんて撮ったから、せっかくだしと思ってね」

「……初めて?」

「ん? おかしいかい?」


 思わぬ答えに怪訝な顔を浮かべてしまう。


 あの時の彼女の誘い方は積極的だったし、操作も随分と手慣れているように見えた。

 俺はてっきり……


「てっきり彼氏とかと撮った事があるのかと……」

「彼氏!?私に!?」


 今度は彼女が心底驚いたのか、声を荒らげる。

 あれ?いると思ったけど違うの?


「いないの?」

「居るわけないじゃないか! そもそも友達だってセンしかいないのにさ……たとえ撮るとしたら後にも先にもキミ以外となんてありえないよ!」


 周りの視線が集まるにも関わらず声を荒らげて否定をするハク。


 そっか、いないのか……

 昨日散々モヤモヤしていたものが解決して、胸の内が晴れやかになる。 それに、俺以外とはないのか。それはちょっと……いや、かなり嬉しい。


「全く、デリカシーのないところはいつまで経っても変わらないねっ」

「ごめんごめん。 でも、彼氏は無いとしてもこの1年の間に俺と撮ったのかもと思ったけど違ったんだ」

「それは…………」


 軽く怒るフリを見せた彼女は、何気なく出した言葉にフッと影を落とす。

 それは何か悩んでいるような……それとも心配?


「どうした……?」

「ねぇセン。 キミ、今なんともない?」

「なんともって?」

「何か気になることとか不安に思ってることとか、何でも良い。そういうのはないかい?」


 気になることや不安なこと…………

 目下あるとしたら記憶のことだろうか。それ以外だと……ハクとあの姉妹の険悪具合?


「記憶……のことじゃないんだよね? じゃないとすると……うぅん……」

「…………そっか。 うん、なんでもない。気にしないで」

「そんな事言われたら余計気に…………うわっ!」


 考えるため少し顔を伏せ、ふと上げると身体を乗り出したのかハクの顔がすぐ目の前にあった。


 いつの間にか詰められる距離。それは10センチ程度しか無いだろう。

 長いまつ毛に少し穏やかさを醸し出す目。その名の通り琥珀のような瞳を持ち、ショートボブの黒髪を揺らしながら心配そうにこちらを伺っている。

 それは『気にしないで』と告げたあともずっと見つめられ、あまりに近すぎて俺も目が逸らせないでいた。


「えっと……。 ハク、そんな心配そうにしてるけど……なにか、あったの?」

「あっ――――。 い、いや、ホント気にしないで。ボクの気のせいみたいだから」


 彼女も意識していなかったのか、ようやくその近さに気がついたようで慌てて距離をとる。

 何かあったのだろうか、過去の俺に。記憶を失う前の俺に。


「俺に、何かあったの?」

「……大したことじゃないんだよ。 ただ前のセンは忙しそうっていうか、何か気にしてるっていうか、そんなフシがあったからさ」


 なんだそれは。

 教えられてもイマイチピンとこない。


 俺が忙しいって、万年帰宅部の俺にそんな要素なんて無いだろう。

 あの姉妹との件も春休みに入ってかららしいから考えにくい。勉強だってそんなガッツリやるタイプじゃないし、あと考えられるのは……


「何かを気にしてる……ねぇ……。 もしかしてハクにサプライズを用意して告白する機会を伺ってたとか?」

「えっ――――――――」


 ふと冗談のつもりで告げると、彼女は思っても見なかったのか目を丸くして固まってしまう。

 あれ?おかしいぞ。明らかに冗談の口調で言ったのにな。


「え……と、それは本当、なのかい?」

「い、いや! 冗談だって!! もしホントだとしても記憶失くなってるから分かるわけ無いじゃん!」

「あっ……そうだよね! 今のセンに真意が分かるわけ無いよね! アハハ……」


 ようやく理解してくれたのか、顔を赤くしながら頭を掻いて笑ってくれるハク。

 たとえ本当でも、今こんなところで言ってしまえば拒否されることは確定だ。向こうは俺のことを気楽な友人としか思っていないだろう。

 本気に捉えられて、気持ちの良い関係にヒビが入ってギスギスしたくない。


 そもそも!俺には星野姉妹という彼女がいるんだ。

 なのにこんなネタを出すなんて、なんだか自分の中の倫理観がおかしくなってる気がする。本来ならありえない、2人と付き合ってるからか?


「さ……さぁ! そろそろ予鈴だ!センもそろそろ準備しないと!!」

「あ、そうだね! 俺もせめて教科書流し読みしないと!」


 俺は慌てて前を向き、今日使う予定の教科書を眺め始める。

 けれどなんだか変な空気になった手前、いくら見ても読んでも内容なんて入ってくるはずが無かった――――。

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