第25話 ダンサー・イン・ザ・ダーク:ラース・フォン・トリアー
世界的にヒットした胸糞系ミュージカル映画。
主人公を演じた歌手ビョークの歌が美しい。
ポイント①:小藪が選ぶ最低映画
ポイント②:意識的な悲劇展開への誘導
結び:褒めます!
あらすじ
起:主人公の貧しい移民の女性は、目の病気を患い、視力が著しく低下していた。失明まで、あとわずかと診断されるが、一人息子に少しでもお金を残すため、身を粉にして働く。
承:彼女の住むトレーラーハウスは、裕福な夫婦からの借りものだが、実はその夫婦は夫の嘘と、妻の浪費が原因で困窮していた。夫の方は、主人公がため込んでいるお金に目をつけ、それを盗む。主人公がそれに気がつき、盗んだお金を取り返そうと必死になり、もののはずみで彼を殺してしまう。
転:主人公は逮捕され、移民に対する差別意識により、裁判はどんどん悪い方向に進む。彼女は、貯金の存在を隠すために、故郷である国の有名芸能人である父に送金していると嘘をついていたのだが、それが争点となり、実際にその有名人が証人として召喚される。当然、娘ではないと一蹴され、刑が確定的なものとなるのだが、主人公は、憧れの人物に合えたことで幸福な気持ちになる。
結:省略
ポイント①:小藪が選ぶ最低映画
→お笑い芸人が何かの番組で、最低な映画としてこの作品を酷評していました。
「この映画を泣けるとか、とっても素敵な主人公だとか、いって褒めている奴ら含めてカスやと思います」って感じの小藪節で、怒りまくってました。
→全くの同感です。
ポイント②:意識的な悲劇展開への誘導
→個人的に、この作品の気に入らないところは、その悲劇展開であります。私の言葉で言うと、「展開が人工的」なのです。
→創作物のストーリーは、もちろん作者が考え、創り出すものですが、しかし、作者が意のままに操れるものではありません。物語世界の登場人物自身が、作者の脳内で動き、その情報を作者に伝え、ストーリーのだと思っています。
→小説なんかを書く人なら、同感してくれると思うのですが、ストーリーを考える作業は、簡単ではありませんよね?登場人物へ語りかけ、こうかなぁとか言いながら、少しずつ形にしていく。つまり、物語の創作は、作者自身で全てをコントロールできるものではないはずです。
→しかし、この作品は、不自然に物語が悲劇へ悲劇へと進んでいきます。作者の顔が見えてきます。無理やり悲しい話にしてやろうという、意地の悪い顔が、、、。
結び:褒めます!
→忘れてはなりません。この書評は「全部高評価」するものです。
→この作品は、人間にとって重要な意味を持ちます。それは、上記の小藪の言葉がキーポイントとなります。
→彼の怒りは、作品自体を飛び越えて、この作品のファンへと向けられています。
→ファンたちは、理不尽に死にゆく主人公を、ディズニー映画のヒロインを見るかのように同情し、作品を賞賛しているわけですが、現実にこんな話があれば、胸糞悪い気持ちになって、「なぜ助けられなかったんだ!」という怒りがこみ上げてきませんか?
→ファンの人々の目には、「創作物」という、フィルターを通して主人公を見ています。だから、「助けよう」などという、現実行動に関する考えなど微塵も生じません。
→人間の最大の罪「無関心」の姿をここに見ます。現実世界でも、同種の「無関心」は、はびこっています。遠い国、知らない人、人種の違い、そんなフィルターがかかることで、急に「無関心」になってはいませんか?
→この映画は、あえて「創作物」の色を濃くすることによって、我々人間の罪を明示しようとしたのではないか、、、そんな拡大解釈をしてみました。あー長くなりましたー!
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