第18話 夜と霧:ヴィクトール・E・フランクル

ユダヤ人収容施設での生活を、精神科医としての視点で描いた作者本人の体験記。


あらすじ

起:第二次世界大戦下、精神科医である作者は、ユダヤ人であり、ナチスの強制収容施設へと送られた。彼は結婚9カ月の新婚だったが、妻は別の収容所で死亡したことが後にわかる。収容所で彼の支えとなったのは、心理学であった。

承:彼は、収容所の人々の精神分析を始める。収容されたとき、非現実の世界に置かれた人々は比較的楽観的な考えを持っており、自分はどうにか助かるのではないかという希望を持っていた。しかし、その希望が崩れ去っていくと同時に、非現実は現実へと変貌を遂げ、そして、日常になっていく。

転:収容所の日常と人々を精神分析する作者だったが、彼にもついに、その時が訪れる。収容所とは名ばかりの人間廃棄所への移動がきまったのだ。収容所の医者からは、移動を回避するよう取り計らうとの誘いがあったが、自分が行かなければ別の誰かが行くハメになるため、作者はこれを固辞するのだった。

結:省略


面白ポイント①:我々の日常との類似点

→この作品は、我々にとって見れば、非現実的な世界のお話です。そこに住まう人々も、やはり違う世界の住人、映画、漫画の世界の人々という見方で捉えてしまいます。

→しかし、この作品を読んでみて思ったのですが、収容所の人々と我々の心理模様は、かなり似てるのです。

→例えば収容所でば、政治や戦況に関するさまざまな噂が、出回ります。やれ、あと少しでドイツが敗れるだの、まだ、先だの、戦況が一変しただの、、、これらは、大抵、ソースが無く信頼できない情報ですが、人々は気になってしょうがない。

→試験前の学生と同じ、心理模様じゃないですか?大切な試験が近づくと、あそこがでるやら、出ないやら、難易度が高いやなんや、、、と、全く信用ならない情報がでまわり、我々はそれに縋っていませんか?

→このように、我々の日常的な心理が投影されているのです。

→異なる点は、その心理を生み出す環境要因が、過剰で、過激というところですね。過剰現実作品、私はそう読みます。


結び:戦争体験作品をどう読むか

→こういった作品をただ、戦争の悲惨さを伝えるものだとか、人間は愚かだということを書いているとか、表面的な読み方をしてしまいがちな気がします。

→戦争の悲惨さなんて、小学校の時に散々、教育されたし、最終的には体験しないとわからないし、少なくとも、どんな文学作品よりも、火垂るの墓を見たほうが伝わります。

→この作品のように文学的にも評価されているものについては、そこで考察を止めるのは勿体ない気がします。

→では、どんな読み方をすればいいのか、、、は、私もよく分かっていません。上記に過剰現実とか書きましたが、それもなんだか軽率なまとめなような気がして、己の無力さに落ち込んでしまうのです。

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