第12話 呪われた部分:ジョルジュ・バタイユ

「バタイユは私の思想に最も近い」

死の直前、最後のインタビューで三島由紀夫が名前を挙げた哲学者の著作(哲学書)。

<エロティシズムとはタブーを犯すこと>という、エロティシズム論が有名。


あらすじ

起:この地球は、太陽から熱エネルギーを享受し続けている。つまり、地球は無限のエネルギーで満たされている。

承:地球のエネルギーは、まず最初に植物にため込まれ、次に虫や草食動物たちがそれらを食べる。次に、草食動物たちは肉食動物たちによって食べられていく。この過程で、重要なのが、上位の生物にエネルギーが移行するにしたがって、分散していたエネルギーが集約され、より強大なエネルギーが個の中にため込まれていく、という点にある。

転:最上位の生物である人間がため込んでるエネルギーは相当なものである。バタイユはこんなことを言う「エネルギーは全くの無意味に消費される必要がある※」。そして、「芸術活動、古代の供犠、エロチックな行為、それらは、エネルギーを無意味に消費するための手段なのだ」

結:面白ポイント①参照


面白ポイント①:そんなにエロい人じゃない

→バタイユというと「エロを突き詰めたエロ哲学者」という、イメージが一般的で、私もそんな先入観を持って色々と調べ始めたのですが、それはちょっと違いました。

彼は「エロ」のみを考えていたわけではなく、あくまで、彼の思想体系の一部分でしかないようです。

→あらすじにも書いた通り、エネルギーという科学的な視点から考察は始まっていて、彼はそこから独自の経済論を組み立てるに至ります。(呪われた部分という本の副題は全般"経済学"試論です)

→彼は商品や貨幣ではなくエネルギーを起点として経済を考察し、資本主義を批判するに至ります。

→そのロジックはこんな感じです。「資本主義とは、<労働・生産活動により、資本を増やす。そして、増大した資本をもとにさらに労働・生産活動を続ける>。ここには、エネルギーの消費がない。ただ、エネルギーが増大するだけだ※」

→労働や資本をエネルギーの形態の一つとしてとらえれば、なんとなく言っていることがわかる、、、ような気が、私はしています。


面白ポイント②常識を疑え!

→地球上のエネルギーには限りがある。古代の供犠(生贄)は、野蛮で全く意味のない行為。これらは常識です。

→しかし、前述の通り、バタイユは全く反対のことを言っています。彼の思想が正しいかだとか、共感できるかどうかは置いといて、バタイユは世間の常識にとらわれず、自らのロジックを信じて、思考を重ねていったわけです。

→これぞ、哲学って感じがしませんか?

→基本的にわけの分からないことを書いているという本書の印象ですが、もしかしたら、それは、私がまだ常識に囚われすぎているからかもしれませんね。


※エネルギーが増大し続けることが、なぜ悪い事なのかを結びで書こうかと思ったのですが、この時点で千文字を超えている(文字数オーバー)ので省略します。







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