第13話 異邦人:カミュ
史上最年少でノーベル文学賞を受賞したカミュの代表作。
あらすじ
起:主人公(サイコパス)のママが死ぬ。主人公は葬儀に出席する。
承:葬儀の後、海に遊びに行く。そこで、好きな人に会う、そして、遊ぶ。
転:後日、アラブ人に会う。主人公は彼を撃ち殺す。そして、逮捕される。裁判で死刑判決になる。
結:省略
面白ポイント①:「無」小説
→小さい頃、「死」や「永遠」という概念が無性に怖くなったことはありませんか?もし、生まれ変わっても、また死んで、生まれ変わっての繰り返し。それが、永遠に続く。地球が爆発して、宇宙が消滅して、何もなくなっても「永遠」は永遠に続く。そんな妄想に恐怖したことはないでしょうか?
→恐怖の正体。それは「無」ではないでしょうか?どんなに科学が発展しようが、どんなに人間が進化しようが、「無」の前には無力です。「無」という根源的恐怖から、我々は逃れられない気がするのです。
→この作品は、そんな「無」を題材にした作品であると、私は思うのです。
面白ポイント②:0から1を創り出す
→上記のあらすじは、手を抜いたように見えると思いますが、本当にこれだけの話なのです。(実際、短い小説なのでサクッと読めるでしょう)
→内容がスカスカで、しょうもない作品、、、と、思うでしょうが、これが「無」を題材にしたもの、という前提を加えると、一変します。
→何も生まないはずの「無」から、一連の物語が紡ぎだされているのです。これは驚くべきことです。普通の小説は、1を10や100にしたものですが、この作品は、0から1を生み出したものなのです。この「1」は、10や100なんかよりも、ずっと価値のある「1」です。
結び:文学のふるさと
→坂口安吾は、「赤ずきんちゃん」(元々のお話は、狼が少女を食べる、、、ただそれだけの話)を引き合いに出し、これを「文学のふるさと」と評します。私はこの記述を「無」に対する根源的な恐怖、、、それが、「文学のふるさと」と解釈しました。
→<「無」が文学のふるさと?>これはどういうことでしょう。
→実は、私が前述した「無」の記述には矛盾があるのです。つまり、<「無」には、なぜ「恐怖」という「有」の感情が生まれるのか>という矛盾です。
→もしかしたら、「無」に対抗できる「何か」が生まれるかもしれない。そんな淡い期待を持って、生み出されるもの、、、それが文学といえるのではないか、、、と、考えだしたら夜眠れなくなるので、この辺でやめときます。
→まぁ、そんな感じで、暴力と虚無に満ちたこの小説ですが、なんだかサイコパスな主人公を憎めない、、、まぁ、不思議な読後感漂う小説です。
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