第3話 手紙

 サファイアのブレスレット、それは八才の冬に、家族で大掃除をしている間、退屈した富美加が祖母の自室にしている和室で偶然見つけた物。それは和箪笥わだんすの引き出しの中の数珠じゅず袱紗ふくさの間に、まるで隠されているかのようだった。最初、薄紫の和布に包まれ、ひもで十字に結ばれていたので、外から何であるのか全く分からなかった。好奇心にかられた富美加がつい開けてしまったのだ。

 ブレスレットは、地味なデザインながら上品で、ひじょうに綺麗だった。感激した富美加は無邪気に祖母にその事をたずねた。

 すると、いつもは静かで優しい祖母の表情が一変し、そのブレスレットを返すように求めると、「このブレスレットの事は金輪際こんりんざい、誰にも話してはいけません」と言われた。


 そのブレスレットの事を富美加はずっと忘れていた。いや、決して忘れた事はない。が、あえて胸の片隅にしまっておき、思い出さないようにしていた。いつも穏やかな祖母の変わりようが怖かったから。


 そのブレスレットの事を思い出したのは祖母の亡くなる二日前。祖母が一通の封筒を富美加に渡した。その頃、病室にいる祖母が鉛筆で何かメモをとっているような様子がよく見受けられた。「私が亡くなった後、これを読んでね」と言われ、富美加は、心震わせながら受け取った。その手紙を祖母の葬儀の終わった後、一人で読んだ。



 「富美ちゃん、私はこの世を去る前にあなたに大事な事を託しておきたいのです。それは箪笥の引き出しの中にあるブレスレットの事。そう、富美ちゃんが小さい頃見つけたあのブレスレットです。

 そのためには、私はある事を告白しなくてはなりません。あのブレスレットは、私の女学生時代の親友の萌木杏子さんの物なのです。私は卒業式の前の日、杏子さんから、私の親族の家に下宿していた青年に渡してほしいと手紙を預かりました。ラブレターです。でも結局、渡さなかったのです。いえ、渡せなかったのです。戦後すぐの事で、私は卒業後、すぐに都会に出て工場で働き始めました。バタバタした日々をおくる私が頼まれた手紙をつい渡しそびれたまま都会へ行ってしまった……。そうだったらどんなにか良かったでしょう。でも真実はそうではなかったのです。私もその青年の事がずっと好きだったのです。でも華やかで美しい杏子さんにかなうはずもありません。都会に持ってきてしまっていた手紙は、怖くなって結局燃やしてしまいました。でも封筒の中に入っていたのは、手紙だけではありませんでした。手紙と一緒に、彼女の愛情の印のサファイアのブレスレットも入っていたのです。それは、代々彼女の家で譲り受けられていた物でした。



 戦後すぐの事で、世の中は慌ただしく、出稼ぎに行った私は、その後の故郷の事については何も知りませんでした。ですが一年半程して実家に帰った時、彼女の実家の豪邸のあった場所に行ってみると、杏子さんが女学校を卒業して間もなくして不審火があったそうで、屋敷は跡形もなく焼けた後でした。そして近所の家の誰も彼女の家族の行方について知っている人はいませんでした。火事で亡くなった人はいなかったと聞き、ほっとはしたのですが、それで私は彼女にブレスレットを返し謝罪する機会を失ったのです。


 それだけではありません。私は出稼ぎで行った工場に馴染なじめず戻ってきて、ある旅館で働き始めました。例の青年の実家である旅館です。

 そう、もう分かったと思いますが、今はビジネス旅館となっているこの場所。つまりその青年は、富美ちゃん、あなたのお祖父様だった人です。

 私は親友である杏子さんの先祖伝来の宝物だけでなく、好きな人まで奪ってしまったのです。罪深い人間です。この事は、あなたのお祖父様は知りません。

 年をとってあなたのお祖父様と歩いている時、私はふっとこんな事を口走ってしまいました。「もし私が立候補しなかったら、もっと綺麗な方と一緒になれてたでしょうに」って。でもあの人は「馬鹿な事を言うもんじゃない。私が気に入ったんだからそれでいいだろう」と。

 でも人生後年の幸せを実感すればする程、杏子さんへの申し訳なさでいっぱいになります。せめて富美ちゃん、彼女の家族の誰か子孫がいるのであれば、せめて親戚でもいるのであれば、あのサファイアのブレスレットを私に代わって返してほしいのです。杏子さんはもうこの世にはいない、そんな気がするのです。もし生きているのなら、こんなに長い間に一度も生まれ育った町に姿を見せないなんて事があるでしょうか? 勝手なお願いを言ってごめんなさい。ただでさえ富美ちゃんには家業の事で苦労をかけ、申し訳ないのに。私がいなくなっても寂しがらず、家族で支え合って生きて下さいね。富美ちゃんの幸せを祈っています」



 その手紙を富美加が読み終えた時、窓の外にはいちご色の夕焼け雲が出ていた。それを見て『まるでおばあちゃんが魔法をかけてるみたい』と思った。

 

 それでも萌木家の人達の謎は謎のまま。田舎町であっても、住人の移り変わりは早い。もう近所には、昔から住んでいる人はほとんどいなかった。

 唯一、かつての酒屋がコンビニに変わっているお店で少し収穫があった。富美加が、亡くなった祖母の知り合いを探していると前置きをして、萌木家の話をすると、奥から出てきた中年の女性がその家族の事なら憶えていると言った。

 まだ幼い時だったらしい。戦後の混乱期に、あの家の人達は、見た事もないようなハイカラで綺麗な洋服を着ていたと語った。また、あの火事が起きた時、夜、炎が空に舞い上がって幼心が震える位、怖かった話もした。


「でもね、その時、炎を見ながら、なぜかあの家に人が残ってるって気がしなくって。子どものカンかしらね。いや、その少し前から、家の前で遊んでると、萌木さんの家にやって来たお客さん達がいてくるのよ。ちっちゃな子どもだってのに。『あの家に用があって来たんだけど、あの家の人達、ずっと留守なの?』とかね。そのお客さん達の中には、ちょっと普通のおじさんとかとは違う、子どもの目にも怪しい雰囲気の人も結構いてねえ。つまり、普通の会社員とかではなさそうな感じ。スネに傷を持つってよく言うじゃない? ああいう感じよ。あの家には火事の前から窓は閉めっ放しだったし、ずいぶん長い間家の人を見なかった。それは確か。昔、火事の後やって来たおまわりさんは子どもの私にはなんにもかなかったけどね」


 富美加は、この件を迷宮入りにしようか、それとも興信所等を利用してでも一家を見つけた方が良いのか、考えても分からないまま半年以上が過ぎた。何か昔に恐ろしい事が起きていたのか確認するのも怖いし、また優しかった祖母の罪が世間にさらされるのも怖かった。何も知らない子孫、あるいは親戚がその事を聞いてどう思うだろうか、と。

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