ブランコの恐竜

 初夏。昼下がりの陽が、窓からけだるく、しのび込んできている。

「……ボイル=シャルルの法則は……ふう」

 気分が乗らない。ぼくは参考書を閉じた。

 外にでも出てみるか。予備校に行くのは、おっくうだけど、散歩ぐらいしよう。

 閉ざされた部屋で、社会から閉ざされた浪人生活ばかりに根をつめるのはよくない。

 Tシャツ姿で、外へ出た。

 外は、まばゆい初夏の輝きに包まれている。

 陽の光で、頭の中から英単語だの、方程式が溶けて、蒸発していくようだ。

 空っぽになった頭の中に、徐々に淡いクリーム色の光が侵入し、一杯になった。

「ここは、……どこだろう」

 ふと、そんな言葉が口からもれる。見慣れているはずの街。でも、ぼくの部屋から、合格祈願のお札が貼ってある窓ごしに見える町じゃない。夢の中の国のような、非現実感。

 いつの間にか、公園にやってきていた。

 燃えるような木々の緑も、空からきらきら舞い降りてくる白い光で、すっかり化粧をしてしまっている。

 全体が、かげろうに包まれ、ゆらめいて。

 あたたかいそよ風。やさしく、だれにも気づかれないように、ゆったりと吹いている。

 はるか遠くから、フルートの物憂げな響きが聞こえてきそうな。そんな午後。

 光の中に溶け込んで遊ぶ子供たち。

「おや」

 ブランコをこいでる子、やけに大きいな。

 ちょっと普通の子と違うような……

「なんだ。恐竜の子供じゃないか」

 大きいと思った。恐竜なら当たり前だな。

 テレビに出てくるのより、だいぶ小さいけど、こういう種類もあるのだろう。

 嬉しそうにブランコこいで。かわいいな。

 あれ。あっちにもいるぞ。こっちにも。あ。今、すべり台をすべってるやつもだ。

 みんな幸せそうな笑顔。楽しんでいる。はは。あんなにはしゃいで。

 ぼくは、ベンチに腰かけた。

 横に、大きな恐竜が座っていた。恐竜の子供たちが喜んで遊びまわっているのを、うれしげに眺めている。

「あれ、あなたのお子さんたちですか。かわいいですね」

 ぼくの問いかけに、恐竜はテレパシーで答えてくれた。

「はい。ありがとうございます。みんな、いい子ばかりで」

「でも、どうやってここに来たんです」

 恐竜は悲しそうな顔になった。

「私たちの時代は、もう氷河期がすぐそこまで迫ってきていましてね。

 もうすぐ、みんな絶滅です。あの子たちも飢え死んでしまう。それがかわいそうで。

 私、どういうわけか、ほかの連中と違った能力を持っていましてね。超能力。突然変異っていうんでしょうかね。

 で、あの子たちが死ぬ前に、せめて、氷河期が終わって、また暖かくなる、幸せな時代を見せてやろうと思いましてね。時を超えてやってきたんですよ」

「じゃあ、ずっとこの時代で暮らしたら」

「残念なんですが、私の能力では。力が尽きると、また私たちの時代にもどってしまうんです。今も、そろそろ限界に来ていて……」

 ふっ、と恐竜は消えてしまった。

 あたりを見まわすと、恐竜の子供たちもいない。ただ人間の子供たちが、何もなかったかのように遊んでいる……

 ぼくは立ち上がった。ぽとり。腰のポケットから英単語帳が落ちた。

 そうだ。今日の分、早くやらなきゃ。

 現実の世界に引き戻されたような感覚。

「……さて」

 ぼくは英単語帳を開き、帰路についた。

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