第96話 さ、裁判長、やっぱり無罪を要求します
稲穂さんに話すなら早いほうがいいだろう、っていうことで、あれから帰宅した僕はまず真っ先に稲穂さんにラインを送った。どこかでちょっとお茶をしませんか、というふうに。
すると、稲穂さんからの返事はあっさりと返ってきて、「明後日の午後なら大丈夫だよー」ということだったので、その時間をお借りして約束を取り付ける。
迎えた二日後の十五時。駅前のファミレスで時間を潰していると、
「ごめんねー、遅くなっちゃって」
ちょっとだけ息を切らせた稲穂さんが僕の待つテーブル席にやって来た。
「いっ、いえ……僕のほうこそすみません、急に呼び立てて」
「ううん、今日はゼミの集まりくらいしかなかったし、大学帰りだから全然。あっ、そういえばさ、プールの日、あれから大雨降ったよね? 大丈夫だった?」
正面に座って、店員さんに迷うことなくドリンクバーを頼む稲穂さん。サーバーからオレンジジュースを注いで席に戻ってからの、第一声がこれだった。
「え、えっと……大丈夫ではなかった、ですね……」
嘘をついても仕方がないので、僕はゆっくりとそう答える。
「そうなの? もしかして、電車が止まったのに巻き込まれたの?」
「……は、はい。綺麗に巻き込まれましたね」
「そ、それじゃあ、あの日ってもしかして……」
「ホテルで一泊してから帰りました」
「……へ、へー。それって、松江さんも一緒に?」
「…………」
稲穂さんの質問に対する、沈黙が答えになった。すぐに向かいの先輩は何があったのかを察したみたいで、これまで朗らかだった声音も少しだけ落ち着いたものに変わる。
「そっか、そっかそっか。でも、珍しいね、結構松江さんに対してはガード堅そうだったのに、石原くん。そういうこともあるんだね」
「……ま、まあ、はい。い、色々とありまして」
まさかラブホテルで伊吹をひとりにさせるわけにもいかなかったし。
「……そっか、色々、ね」
ひとくちドリンクを含んで、稲穂さんは続けた。
「……もしかして、今日わたしが呼び出されたのって、何かご報告があって、とかなのかなーって、なんちゃって」
「……え、えっと……」
「……あ、あれ? もしかして、当たり……だった?」
おどけるように顔の高さで掲げたコップ、中に入れた氷が小さく音を鳴らす。
「そ、それじゃあ、ホテル泊まったときに、一線も越えちゃった……とか? い、石原くん? 未成年の子と淫らなことをしたら条例で罰せられるよ……?」
「いっ、いやっ、そ、そこまでは行っていないんでっ。ほんとっ」
「……でも、石原くんと松江さんの場合だと、松江さんのほうが淫行したってなるかもしれないし。そうなったら別に石原くんも松江さんも罰せられないし……」
「い、稲穂さん?」
「それに、きちんとした恋愛関係における肉体関係自体まで処罰する条例ではないから、ふたりの場合だったら判例としても全然セーフになりそう……。極端に年齢差があるわけでもないし、行為に至るまでの時間もかなり長いし……」
セーフになっちゃうの? 僕と伊吹の場合だとセーフになっちゃうの? あまり聞きたくない情報でしたよ稲穂さん。伊吹がそれを聞いたらと思うと……。
あと、遠回しに僕がヘタレ扱いされているような気もするんですけど、そこについては触れないでおきます。
「……あ、あれ? よくよく考えたら、石原くんと松江さんを阻む障壁って存在しないんじゃ……。さ、裁判長、やっぱり無罪を要求します」
まさか法に関する知識から導かれるとは思いもしませんでした……。っていうかいつの間に僕逮捕されて起訴までされているんだ。
「……あ、でも起訴されても大体略式請求だからわたしが無罪を要求することもないのか」
「いっ、稲穂さんっ、お、落ち着いてくださいっ、まだそこまではいってないんで、マジで。稲穂さんに弁護を頼む予定もないんで」
「……あ、あれ? ここは……? なんでわたしファミレスにいるの?」
「……僕と話している途中で僕が逮捕されたことになっていたみたいですね」
「はっ、はわわ、ご、ごめんねっ、私のゼミ、学校祭で模擬裁判することになってて、それでつい」
模擬とはいえ大学で僕のこと洗いざらい晒されたら退学して引きこもる自信があります。
「え、えっと……それで、石原くんは結局松江さんとどうなったんだっけ?」
「……つ、付き合うことになりました」
「あー、そっか、付き合うことになったんだ」
ん? 意外とリアクションが普通だぞ……? なんて思ったのも一瞬。
「……付き合うことになった、付き合うことになった。……付き合うことになった?」
何度か復唱したのちに、ようやく言葉の意味を捉えたみたいで。
「そっ、そそそそれっ、本当なのっ? 石原くんっ」
*******
青少年健全育成条例(色々呼称は違うところがあります)に関しては稲穂さんの見解になります。不起訴・無罪になるには色々事情がないといけないです。
あと、この作品で淫行を肯定する意図は一切ございません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます