第94話 隣にいて欲しいから以外の理由っているんですか?
脈が速くなる。
「……本当はおっぱいさんとの協定で、こういうのはナシって話していたんですけど」
「こ、こういうのとは……ど、どういうの、でしょうか……?」
ポロポロ震えた声で聞くと、ただでさえ近い伊吹の身体が一層近づく。
「どういうのって……こういうことですよ?」
お風呂上がりで熱が残っている伊吹の肌と、シャンプーとせっけんのいい匂いが直接僕の鼻を刺激するし、腕だけでなく脚でさえも僕のことを組み敷いてくる。
「……家に帰って、誰のことも待たないで過ごすって、私にはしんどかったんです。子供のときはいつも悠乃くんがいましたし、中学生のときだって悠乃くんは帰ってきてくれました。……でも、ひとり部屋で映画を見るときとか、ご飯を食べるとき、ぽっかり空いた隣や向かい側のスペースを見て、ここに誰かいたらどんなに嬉しいんだろうって、思うんです。それが、私は悠乃くんがいいなって」
「そ、それは、伊吹が僕以外の男と関わりがないからじゃ」
「……それのどこがいけないんですか? 私が悠乃くんのことを必要とするのに、隣にいて欲しいから以外の理由っているんですか?」
「……いや、な、ない……と思う? よ?」
完全に伊吹に押されている。そうだとは思うけど。ただでさえわかりやすく言葉にするのが難しい人の気持ちって奴を、それでさえわからない恋だ好きだを本当に明確に言語化なんて、できるのだろうか。
だから、こういう方法も生まれ得るわけで。
もう、伊吹が本気なのは痛いくらいに伝わっている。このままいくところまでいけば完璧に責任ルートになるのは確定だ。じゃあ、あとは僕の気持ちってところなんだけど。
実質、伊吹を異性として見ていた期間は今年の四月からだから、四か月程度。付き合いはそれ以上だけどね。
料理は美味しい、家事スキルも高い、色々至れり尽くせり。普通に可愛い子だし、それこそ漫画の読み過ぎなんじゃないかって言われそうなくらい、僕には出来過ぎた女の子なんだよなあ……。
僕が、好きかどうかって聞かれたら、そりゃあ嫌いになる理由はない、し、好意的に思ってもいる。でなけば、家に毎日上げたりしないし、幼馴染だって続けていない。
こんな客観的に見ても主観的に見てもいい子過ぎる松江伊吹という女の子が、僕のことを好きだと言っている。のはいいんだけど。
いいのか? 幼馴染兼保護者として、たった十六そこそこの子に人生を預ける決断をさせて。そんな、中世近代の話じゃないんだ。
これから先、僕よりもっといいって思える男に出会えるかもしれないのに、今っていうタイミングで、僕で確定させていいんだろうか。
今決断させて、五年後十年後、伊吹が後悔する結果にならないだろうか。
後悔させないような人間になれよ、と言われたらそれが正論だし、そうあるべきだと僕も思う。でも、必ずしもそうあれる自信が、僕にはない。
「……ない、と思うけど」
「……けど、なんでしょう?」
「や、やっぱりさ、物事には順序ってのがあるって思うんだよ」
「? ちゃんと、結婚の約束をしてから身体を重ねてますよ?」
「……まだ重ねてないから。やめて、ほんとにドキッとするからやめて?」
しかもまだって言っちゃったよ。ほんとに今薄氷を踏む思いだからね? 目の前にもう準備万端の子がいるんだからね? ちょっとでも油断したら一発でアウトだからね?
「……そ、そうじゃなくて。付き合ってから、っていう順序? そういう順序を、守ったほうがいいのかなって」
「でっ、でもそれじゃあ、また結婚できなくなっちゃう」
「……そんな、慌てて決断するようなことじゃないよ。もし、僕がどうしようもないクズだったら、どうするの?」
「クズの悠乃くんでも大好きなので問題ないです」
「……っ、そ、それじゃあ、僕がDVするような奴だったら?」
「悠乃くんはそんなことしません」
考えることなく答える伊吹。信用してくれているのは嬉しいんだけど。
「……ま、まあ、今のは極端な例としても。僕にだって伊吹からすれば嫌なところたくさんあるだろうし、それが伊吹にとっては許しがたいものかもしれないし。それを結婚してから見つけちゃったら手遅れでしょ?」
「悠乃くんの知らないことなんて」
「今は幼馴染だからわからないことも、付き合ったらわかることとかもあるだろうし。そういうのを知るうえでも、一旦ワンクッション挟むのは大事だと思うんだ」
「……う、うぐ……」
「……結婚しないんだったら、伊吹は未成年だし、こ、こういうことはまだ早いよね?」
「そっ、それは……」
「大丈夫だって。今度はいきなり遠くに行ったりしないから。伊吹を不安にさせないから、慌てなくて大丈夫だから」
そう言うのだったら、僕は伊吹の不安を取り除いてあげないといけない。
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