第93話 結婚すれば、私は成年ですよ?
「……そういう、問題じゃないもん」
伊吹は、そう繰り返した。僕に抱きつく格好なのは変わらず、伊吹はさらに続ける。
「……ひとりぼっちは、嫌なんだもん。私、友達作るの下手だし、悠乃くん以外に仲いい人なんて、いないもん」
布団に入ってから、少しずつ落ち着いて来たのか、伊吹の口調は徐々に実年齢にそぐうものに戻ってくる。
「い、稲穂さんは?」
「……あんなおっぱいさんと仲良くできるわけないもん。悠乃くん、何言っているの?」
喧嘩するほど仲が良いとも言うんだけどなあ。今日もそうだったし。
「……学校で友達作るの下手なのって、何かあったりするの?」
「悠乃くんがいるから、もう必要ないです」
「そうじゃなくてさ」
というかそれはもう聞いた。
「……冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、本当だよ? 小学生くらいのときまでは、悠乃くんがいるからもう友達は要らないって、本気で思ってたもん」
「……え? まじで?」
「だって、普通の友達とは、どんなに遅くても晩ご飯までしか遊べない。それだと、晩ご飯からは私はひとりぼっちになっちゃう。けど、隣に住んでいる悠乃くんだったら、それも関係ないからずっと一緒にいてくれる。だから、悠乃くんさえいればそれでいいって思ってたんです」
……確かに、普通の交友関係なら遊ぶのは晩ご飯まで、っていうのがひとつのラインだ。でも、伊吹の両親はそれを過ぎても帰って来れないことがそこそこあった。ひとりぼっちを嫌がるなら、普通の友達よりも、幼馴染の僕を選ぶっていうのは、理解できなくもない。
「……そうやって小学生を過ごしたので、友達の作りかたひとつわからないまま、中学生になっちゃったんです。そうなると、もう悲惨ですよね」
「……それは、まあ」
気がつくと、降るくらい落ちていた雷も次第にその激しさを潜ませてきた。相変わらず、雨は強いけど。
「中学校って、学区ごとに出来上がったコミュニティを足したり引いたり掛けたりして友達関係を作るんで、友達の作りかたがわからない私にとってはそもそもノーチャンスだったんです。でも、まだ悠乃くんがいるのでそれでもいいって思ってました。だけど」
僕が、東京の大学に進学してしまったことによって、本当に伊吹はひとりぼっちになってしまった。
「……それで、思いました。幼馴染のままだと、悠乃くんはどこかに行っちゃうかもしれない。なら、お嫁さんになればって」
「大事な話をしているところ悪いんだけどそこの思考回路がちょっと飛んでない?」
……そこで友達を作ろうっていう方向にシフトしないのが、伊吹が伊吹たる理由なのかもしれないけどさ。
「飛んでないです、当然です。それからは、春から東京の高校通って悠乃くんのお隣さんになるのを目標に、あと、またお隣さんになったときのためにいいお嫁さんになるために色々勉強したんです」
まあ、料理とか掃除とか家事スキルめちゃめちゃ上がってたからね……。
すると、何やら僕の背中からごそごそと物音が立つ。少しばかり、嫌な予感に駆られて、
「……い、伊吹? 何をしているのかな?」
恐る恐る、尋ねてみると。
「……その色々には、こういうことも含まれていて」
ひょい、と僕の顔に手がかけられたと思えば、くるりと顔を回転させられ、そこには、
「ちょっ、なっ──」
一枚だけ着ていたはずのバスローブさえも脱いだ伊吹がいた。
「け、結婚するんだったら、こういうことだってするわけですし。そのときになって慌てないためにも……ね?」
ね? じゃなくて、ね? じゃなくて。
反射で顔を背けようとするけど、そうする前にきっちり両手を背中に回されてしまい、正面から抱き合う体勢でホールドされてしまった。おかげで、視界の端には、伊吹の柔肌が嫌でも映ってしまう。
「……もう、ひとりぼっちは嫌なんです。このままだと、また悠乃くんはどこかに行っちゃうかもしれない。いや、きっとそうなんです。悠乃くんが大学を卒業して就職したら、今度は私が追いつけない場所に行っちゃうかもしれない。そうなったら、今度こそ私はひとりになっちゃいます。そうなる前に……私はっ」
色々上がってくるものを必死に堪えつつ、僕は声を絞り出す。
「い、伊吹、それはさすがにまずいって、だってまだ」
「……結婚すれば、私は成年ですよ?」
ぐうの音もでない正論だった。いや、普通は極論なんだけど、あとは僕の署名だけ、っていう婚姻届を用意した伊吹が言うと正論にしかならない。
「……私は、いつだって本気です。悠乃くんと、一緒になるためだったら、どんなことだってします」
******
民法753条より、未成年者が婚姻すると、成年に達したとみなされます(=成年擬制)。ただ、喫煙や飲酒といったように、全てにおいて成年として扱われるわけではないのも注意が必要だよっ、石原くん。
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