第92話 そっ、そういう問題じゃないもん

 雨音と雷は鳴りやまないなか、ついさっきまでちゃぽんという湯船のお湯の音しかしなかったのが、当然体だったり髪だったりを洗わないといけないから伊吹は洗い始めるわけなんですが。


「……いっそ殺してくれ……」

 薄い扉一枚を隔てた先で、ボディソープを垂らした手で体のあちらこちらを洗う音が聞こえてくるものだから、そりゃまあ想像のひとつやふたつしてしまうわけでございまして。


 ちっちゃいときから知っている女の子でそういうことを一瞬でも考えてしまったことに、罪悪感がとんでもないことになってしまう。いや、本当に人生のほとんどで伊吹と関わり合って生きてきたから、尚更。


「は、悠乃くん? いますよね?」

「う、うん。いるよー」

 耳栓とかできたならよかったのだろうけど、頻繁に近くにいるかどうか聞かれるので、それもできず。ただただ体育座りで時間が過ぎ去るのを待つだけだった。


 潤み切った瞳にバスローブ姿というこれを煽情的と言わずして何と言うんだという伊吹と入れ替わりでお風呂に入ると、なるほど、細かいところにも仕様というものがあるみたいで。


「……椅子の下に謎の凹みがあるし。なんかローションも置いてあるし」

「悠乃くん……?」

「はーい、大丈夫だよー」

 ちなみに、場所が入れ替わってもやることは一緒みたいで、今度は外にいる伊吹が中の僕に呼びかけるという構図になっている。


 ……この調子だと、湯船にゆっくり浸かる、っていう暇はあんまりなさそうだな。

 カラスの行水と言われても仕方ない速さでお風呂を済ませ、僕もちゃっちゃと着替えてしまう。


「ご、ごめん今上がったよ……」

 僕がお風呂を出たタイミングで部屋のベッドまでポジションを後退させた伊吹は、ちょこんとお尻を半分くらい余らせて腰かけていた。さっきも言ったけど、生憎泊まる予定なんてなかったから着替えなんてものは用意しているはずもなく、伊吹は部屋に備えつけられていたバスローブを着ている。


 わかってはいるけど、生地が隠しきれないお風呂で火照った肌が艶めかしく、僕は直視することができない。

 伊吹は今日はワンピースだったし、雨でかなり濡れてしまっているしで、それを使いまわすのはかなりキツいものがある。っていうのも理解しているから、どうすることもできないんだけどね。ちなみに僕も大人しくバスローブを着ています。濡れた服の洗濯をどうしようか今悩んでいるところだったりする。


 雨脚は弱くなることもせずひっきりなしに雷は落ち続けるので、伊吹は未だ怯えたまま。

「服、洗濯しに行きたいんだけど、僕の服だけドライヤーで乾かしたら、ちょっと部屋を出ていい?」

 幸い、コインランドリー自体は備え付けられているみたいだったので、このホテル内で完結させることはできる。まあ、バスローブで部屋の外に出るわけにはいかないので、必然的に僕が出ることになるけど。


「……ひ、ひとりはいや……」

 ただ、伊吹は本当に雷のなかひとりぼっちになるのが嫌みたいで、袖をちょっぴりつまんで行って欲しくないという意思を示す。


「それだったら、雨止んでからにしようか」

 何も慌てて洗濯をすることもないし、伊吹が落ち着いてからでも問題はない。僕がそう言うと、伊吹はコクコクと首を二、三回縦に振った。


「じゃあ、することもないし、疲れたし、もう寝ようか」

「……うん」


 電気を豆球だけ残し、ふたりでひとつのベッドに入って布団を被る。最初は体ひとつからふたつくらい距離があったのだけど、雷の音が二度三度と響き渡るごとに、伊吹が僕にすり寄ってきたので、今はすっかり伊吹の抱き枕状態だ。背中に吐息だったり、肌だったり、柔らかい何かだったりが当たって、もう気が気じゃない。理性よ、一晩でいいからもってください。


「……わ、私が寝ている間に、どこか行ったりしないよね……?」

「どこにも行かないから大丈夫だよ」

「ほ、ほんとだよね?」

「ほんとほんと」


 どこか行こうにも、抱き枕にされていれば動きようがないし。しかし、それでも伊吹は不安みたいで、僕の体を抱く腕の力を一段と強くさせる。


「そんなに雷、苦手なの?」

「……怖いものは怖いんだもん……。家に両親いないことが多かったし、悠乃くんがいない間は大抵家でひとりだったし……」


「別に雷は悪いことしないよ?」

「そっ、そういう問題じゃないもん……」

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