第88話 ……やっぱりパーカー取ってきていいですか?


 〇


 かき氷を食べ終わると、まだちょっとだけ遊ぶ時間は残っていた。次は何をするのだろうか、と稲穂さんのほうを見てみると、

「……あ」

 何やら意味ありげに持ってきていたスマホ画面を見てそう声をあげた。


「ど、どうかしたんですか?」

 稲穂さんがスマホを見て声をあげるは、嫌な予感しかない。バイト先が潰れるっていう前例があったわけだし。


「え、えーっと、なんか今日バイト先でお休みが出ちゃって、一時間早く出られないかってラインが来ていて」

「あー」

「誰も来られなさそうでお店回すの大変そうになっているから、行っちゃおうかなあって」


「僕は別に大丈夫ですけど、いいんですか? せっかく遊んでいるときだったのに」

「うん、もう十分楽しんだから大丈夫大丈夫」

 すっくとその場を立ち上がった稲穂さんは、自分の荷物をまとめ始める。


「キリもいいし、あとは石原くんと松江さんで楽しんで」

「あ、ありがとうございます」

 稲穂さんは自分のリュックサックをひょいと背負う。……いや、水着でリュックサックはなんか変な性癖の扉を開きそう……。開きそうなだけで開くとは言っていないけど。


「それじゃあ、今日は楽しかったよ、ありがとうー」

「お、お疲れ様でーす」「さ、さよならー」

「ばいばーい」


 そう言って、稲穂さんは遠足から帰る小学生よろしく、軽い足取りで更衣室のあるほうへと戻っていった。


「……え、えっと、どうしよっか、これから」

 残された僕は、隣にちょこんと体育座りをしている伊吹に尋ねる。すると、僕の水着の裾をクイ、と引っ張った伊吹は、


「……あれ」

 やはりというべきか、なんというか、さっき僕が滑り落ちたウォータースライダーを指さした。


「……あれ、ね。うん。おっけ、いいよ」

 こっちとしても、伊吹に怖い思いをさせてしまった負い目があるので、彼女の希望に沿うことに。


「やった」

 僕が秒で肯定したことで、嬉しそうに表情を綻ばせる伊吹。そう言うと伊吹はいそいそとこれまで着込んでいたパーカーを脱いだ。


「……このタイミングで脱ぐんだね」

「もう比較対象のおっぱいさんがいないので」


 清々しいまでの理由。まあ、別に何も比較されてしまうのは連れと限らないのだけど、それを言うと今度は僕にどんな攻撃をされるかわかったものじゃないから言わないでおく。

 言わないで、おいたのだけど。


 並んだウォータースライダーの待機列。幸か不幸か、僕らの前後は女子大学生らしき人たちのグループだったんだけど、こういうとあれだけど、みんな伊吹よりはあれだった(何がとは言わない)。


「……悠乃くん」

「ん? どうかした?」

「……やっぱりパーカー取ってきていいですか?」


「もうそろそろ順番だし、ウォータースライダーって身軽でいかないとむしろ危ないらしいよ」

「……うう」

「まあまあ、可愛い水着着てるんだから、そんなに僻まなくても」


「……悠乃くんが珍しく素直に褒めてます」

「悪かったね素直じゃなくて」


 とまあ、こんなやり取りはあったものの、稲穂さんのときと違って伊吹はそんなに怖がらなかったので、ちゃんと前は伊吹に譲って今度は僕が後ろに座る。


 さっきと同じ係員のお姉さんがスタートにいて、「何だよ今度は違う女連れて来たよこいつ」みたいな目を一瞬された気がしたけどもう意識をしたら負けなので気にしない気にしない。


「それじゃあ悠乃くん、行きますよ?」

 前に座った伊吹が、くるっと振り返って僕に確認する。すっかり元気にはなったみたいで、ほぼいつも通りの雰囲気にはなっている。それも稲穂さんのおかげだろう。


「うん、いいよ」

「では、いっきまーすっ」

 そうして伊吹主導で、二回目となるウォータースライダーは幕を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る