第75話 貝殻とか葉っぱとか、マイクロビキニとかそういうのじゃなければ

 晩ご飯が終わると、長旅の疲れからか、お父さんは床の上でぐーすかいびきを立て始めてしまった。なんだろう、偏見かもしれないけどこういうシチュエーションってお酒のひとつやふたつ飲むのが定番なんじゃないかとも思うけど、そんなこと一切合切何も言わずに寝落ちてしまった。


「……ほ、ほんと色々マイペースな親でごめんね、寝るときも一瞬なんだ、お父さん」

「は、はあ……」


 押し入れからタオルケットを取り出して、横たわるお父さんにかけてあげる稲穂さん。まあ、稲穂さんもお酒が入ると割とそういう一面があるから、こういうところも似たのだろう、とかなんとか思っておく。


「……それじゃあ、そろそろいい時間なので、僕はもう帰りますね」

 スマホで時間を確認すると、あと少しで終電を気にしないといけない頃合いだ。僕がそう言うと、稲穂さんは少しだけ残念そうにするけど、


「あ、……そ、そうだよね。ごめんねここまで付き合わせちゃって。ありがとう、また今度ね」

 すぐに柔らかな笑みを取り繕っては、僕のことを送り出す。


「……あ、あのさ、石原くんっ」

 玄関先でトントンとスニーカーのかかとを叩く僕を、ふと稲穂さんは呼び止める。


「? どうかしましたか?」

「……え、えっと、な、夏休みの間も、どっかで会おうね」

 何か大層なことでも言い出すのかと思ったけど、案外普通のことだったので、


「月一の飲み会はするでしょうからね、また日程合わせましょう? では、お邪魔しましたー」

「うん、じゃあねー」

 僕はシンプルにそう返して、駅へとひとり歩き出した。


 さて、時計の針がてっぺんを過ぎるあたりに家に帰ると、当たり前のように家の鍵は開いていて、

「あ、悠乃くん、おかえりなさーい」

 当たり前のように半袖のパジャマで首からバスタオルを巻いた格好の伊吹が、僕の家で映画を見ていた。


「……ま、まだ起きていたんだ」

「だって、夫の帰りを待つのは妻の役目じゃないですか」


「……何その亭主関白を絵にかいたような男が言いそうな台詞。べ、別にこんな時間まで待たなくても……」

「仮に夫が妻を差し置いて他の女のところへ遊んでいたとしても、何も言わず気づかないふりをしているのがいい妻ですし」


 やべえ、すっげえ怒ってるこれ。普通にしているように見えて相当根に持っているぞ。


「……そ、そもそも僕ら夫婦じゃないし──」

「──仮に悠乃くんが私を差し置いて胡麻さんのところで遊んでいたとしても、何も言わず気づかないふりをしているのが」


「ごめんって、ごめんって、不可抗力だったんだよ」

「……せっかく今日は悠乃くんがこの間美味しいって言ってくれたロールキャベツ作ろうと思ったのに」


 しゅんと唇を尖らせて拗ねた素振りをする伊吹。

「い、いや、えっと……その……」

 僕がしどろもどろと伊吹の機嫌の取りかたに悩んでいると、


「……でも、まあいいです。明日悠乃くんに可愛い水着選んでもらいますから」

 唇を引っ込ませては表情も穏やかにさせた伊吹が、そう言いだす。


「か、可愛い水着……」

「あれ? 可愛いのだと不満でした? じゃあ、ちょっと恥ずかしいですけど、大人っぽいセクシーな水着でも」


「喜んで可愛い水着を選ばせていただきます」

「んー、貝殻とか葉っぱとか、マイクロビキニとかそういうのじゃなければ、悠乃くんが選ぶのなら全然いいんですけどね、私」


「……十六歳の女の子に何を着させる気なの僕、そんな鬼畜になった覚えはないよ?」

 どこぞのグラビア撮影じゃあるまいし。


「でも、悠乃くんがよく読む漫画やライトノベルの女の子も大概それくらいの年で結構恥ずかしい格好してますよね?」

「…………」


 胸元を抉りのけぞるような剛速球が伊吹から投げ込まれて、僕はぐうの音も出なかった。

 テレビからは映画のエンドロールが流れ始めて、それと同時に僕に顔を向けた伊吹が、


「では、明日お昼過ぎくらいに出かけるのでいいですか?」

 曇りひとつないニッコニコの笑顔で提案してくる。


「……う、うん。それでいいよ」

「わかりました、ではそれでお願いしますね」

 ……なんだろう、正論って、刺さると痛いね。

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