第71話 いや、世界なんかじゃ足りねえ、宇宙を救ったんだ

「──それでは、これ以降の時間は退出を許可します。もう答案を提出できる学生は、前の回収ボックスにいれて静かに退出してください」

 大教室の前方、試験監督の教授がそう言うとともに、僕は書き終えていた答案と荷物を手にしてそそくさと教壇に歩き出す。


 所詮、持ち込みあり・問題事前公開の論述問題なら、事前に回答を作っておいてそれを答案用紙に丸写しするだけでいいから楽勝だ。僕の他にもそういうことをしている学生はチラホラといるみたいで、教壇に設置されている回収ボックスにはささやかな行列が出来上がる。


 ちょうど、僕の後ろにピッタリ並んでいる、ちっちゃいけどおおきい先輩もそのひとりで、「じー」と何やら後ろで尻尾を振りながら僕のことを見つめているみたいだったけど、教室のなかでは何も言わずに我慢した。


 教室を出て、前期の全てのテストが終わった解放感に浸っていると、

「いっ、石原くんっ! 松江さんとプール行くって聞いたけど本当?」

 件のちっちゃい稲穂先輩が、尻尾と瞳を大きく揺らしながら僕に聞いてきた。周りにいる学生のことは気にせずに。


「……胡麻ちゃん先輩とプール?」「うらやまけしからん」「あのメロンふたつを見ることができるなんて」「前世でどんな善行を積んだんだ」「きっと世界を救ったんだよ」「いや、世界なんかじゃ足りねえ、宇宙を救ったんだ」


 おかげで余計な噂が立ってしまう羽目に。

「あっ、あの稲穂さん。ここだとあれなんで、ちょっと場所変えましょうっ」

 このまま話し続けて、僕が稲穂先輩とあんなことこんなことしていると思われるのも面倒なので、噂に尾ひれがつく前にひとまず学食へと逃げ出すことにした。


 お昼が終わった後の学食は人も少なく閑散としている。ので、逃げ出す場所としてはベターだろう。お互い無料のウォーターサーバーから取った水を取って、向かい合わせに席につく。


「……え、えっと、その話をどこで?」

「こっ、この間たまたま本屋で松江さんと一緒になって、それで、なんか水着特集の雑誌は読んでたし、私に石原くんとプールに行きますって自慢してたし」


 まさかの本人からのリークだった件。っていうか水着選びに本気になっているのも伝わってしまったよ。怖い、怖いよ僕。


「……ま、まあ、本当ですけど」

「いつっ? いつ行くのっ?」


 めっちゃ食い気味だし。身体乗り出して聞いているし。別に伊吹から漏らしているのなら、隠す必要はないだろう。僕は素直に白状しておく。


「いっ、いつ? いつ行くのっ?」

「……いや、まだ日時決まってなくて」

「そっ、それじゃあ場所はっ?」

「……それもこれから相談するところでして」


 立て続けに僕がそう答えると、乗り出していた身体をしょぼんと椅子に戻しては、

「……そっか、ま、まあそうだよね……」


 あからさまに落ち込んでみせる。さらに続けて、

「……っていうか、そもそも場所が日付がわかったとしても、わたし水着持ってないし、水着買う余裕なんてないしで、ついていけないよね……」

 と自らにトドメを刺す。


 気づいてはいけない事実に気づいてしまったのかもしれない。

「なんでもない、わたしが聞いてきたこと忘れて……」


 水をひとくち含んで、肩を落とす。ここまでわかりやすくしょんぼりされると、なんとかしてあげたくもなってしまうけど、こればっかしはどうしようもない。下着のお金を貸したときとはわけが違うわけだし。


「あ、あの。そういえば、お父さんっていつ上京されるんですか?」

 僕にはどうしようもないので、話題を変えて稲穂さんのテンションをあげようとする。


「……えっと、それが、まだそれも決まっていないみたいで。家の仕事が落ち着いたら来るとは言っているんだけど……」

「稲穂さんの実家って、何でしたっけ」

「銭湯だよ?」


 それを聞いてだからどうしたってわけではないけど、なるほど、なかなか時間を作るのは難しそうではある。


「……別に無理してまで来なくていいよって言っているんだけど、絶対行くって言ってお父さん聞かないから……はぁ……」

 狙いとは裏腹に、稲穂さんのテンションはなおも低いまま。


「……こっちは決まったら石原くんに伝えるから。お父さんがそうしろって言うだろうし」

「は、はい。連絡お待ちしております……」

「……でも、いいなぁ、プール。わたしも行きたかったなあ……」


 そこには、僕が云々ではなく、単純にプールに行きたかったという羨望が含まれているように思えてならなかった。

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