第57話 やっぱりいいアパートは床で寝ても寝心地がいいんだね
伊吹に話をつけると、行動は早いほうがいいだろうということで、差し当たり当面の生活に必要な着替えと勉強道具だけ持って早速僕と伊吹の住むアパートに向かうことに。
膨らんだリュックサックを抱えて移動する稲穂さんのその様は、端から見ると家出っぽくも見えてしまう。……まあ、広義に捉えればこれも家出なんだろうけど。
家に戻って伊吹の部屋のインターホンを鳴らすと、お風呂上がりでパジャマ姿の伊吹があからさまにむくれた様子で出てきた。
「……どうぞ。でも、家に布団は二枚なくて。床になっちゃいますけど」
ただ、こんなんでもちゃんと泊めてくれるところが伊吹らしいんだけど、ここでひとつの問題が急浮上。
「あー、僕もベッドしかなかった。三人目の寝床がないのか……」
僕がぼっちであるがゆえ、来客用の布団を持っていない。伊吹も然り。……この言いかただと、伊吹もぼっちみたいに聞こえるけど、実際高校で友達作ってないみたいだし。あながち間違いでもなさそう。
「……あ、わたし、タオルケット一枚あればなんとかなるから、べ、別に床でも大丈夫だよ……? 実家でよくそんな感じだったし」
「……実家でもそんな感じって、どんな感じなんですか?」
「え? 弟や妹が夜におねしょして、布団洗濯している間にわたしの布団貸してあげてとかよくやってたから」
あ、ああ……なるほど。そういうことか。
「……でも、一日二日ならまだしも、しばらくの間寝泊まりするのに床はさすがにあれな気が……」
「いやいやいや、泊めてもらう身なのにそこまでしてもらうのはあれだからいいよっほんとに大丈夫っ」
「じゃあ、私が悠乃くんのベッドで一緒に寝れば、胡麻さんもちゃんとベッドで寝られますねっ。それで万事解決な気がしてきましたっ」
どさくさに紛れて自らの欲望を叶えにくるあたり、ほんと隙がないなこの子は。
「うん。石原くん、タオルケット一枚貸してくれない? それで寝るからわたし」
「……はい、わかりました」
僕は自分の部屋の押し入れから使ってない昼寝用のタオルケットを持ち出して、稲穂さんにそっと貸し出した。
その様子を見ていた伊吹は、
「……むう、こんなことなら、『私の言うことをなんでも聞いてもらう券』を作ればよかったです」
と、半ば末恐ろしいことをぼそっと口にしていた。
……怖い怖い怖い。そんな魔法の券を発行されたら、僕の胃がボロボロになってしまう。
今後の伊吹の動向には気をつけておかないと……。
「じゃ、じゃあ、あとはとりあえず女子組のみなさんでわちゃわちゃしてください……。僕はまだ起きてるので、何かあったら連絡ください……。それじゃあ、おやすみなさい」
そうして、僕はひとり自室に戻っては、のんびり溜めていたアニメをベッドの上でゴロゴロしながら眺め、そのまま寝落ちしてしまった。
翌朝、目覚めるといつもの光景にプラスアルファのものが混ざっていた。というのも。
「あ、悠乃くん、起きましたか?」
「い、石原くん……。おはよう」
僕の家のキッチンで朝ご飯を作っている伊吹と、机でカリカリと勉強している稲穂さん。朝ご飯前でさえも勉強する様は、大学受験すら彷彿とさせる。
「お、おはよう。ございます。稲穂さん、よく寝られました? その、床なわけでしたけど……」
「うん、実家やわたしのアパートよりよっぽど寝やすい床だったよ。やっぱりいいアパートは床で寝ても寝心地がいいんだね」
おずおずと尋ねた僕の問いに、眩しいほどはきはきした口調で答える稲穂さん。
……確かに稲穂さんのアパートよりは家賃高いかもしれないけど、そんなにいいアパートでもないんだけど……。でも、稲穂さんがそう言うのなら、きっと本当に寝心地はいいのかもしれないと思うと、なんかちょっとだけ申し訳ない気持ちになった。
布団を買う余裕はないけど、せめて寝袋とか用意するのはありかもしれないなあ……。
「朝ご飯できましたー」
「……あっ、朝からこんなたくさん食べていいのっ……?」
伊吹がテーブルに並べた朝食を見て、稲穂さんは目を丸くさせる。
「普段朝はパンの耳だけなのがほとんどだったから……」
「なんでしょう、ご飯作って喜んでもらえるのは嬉しいんですけど、なんだか複雑な気分にもなります」
若干涙目になりつつ朝ご飯を眺める稲穂さん。と、それを見守る僕と伊吹。
「……伊吹がそう思うのも理解はできるよ」
「い、いただきますっ」
「「い、いただきまーす」」
そんな、朝のひとときだった。
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