第54話 ……だ、大丈夫じゃ……ないかも

 ゴールデンウィークが明けると、何があるというと、前期の中間テストがあったりする。授業によりけりなんだけど、文学部は大抵ない。……まあ、あそぶんがくぶとか色々緩い学部だから……。


 ただ、文学部になくとも、一般的に文系で一番頭がいい(とされるのかどうか知らないけど)法学部の稲穂さんは、僕みたいにのほほんとしているわけにもいかず、


「……中間テストの勉強ですか?」

 他学部履修で受ける文学部の授業の合間にも、テキストとにらめっこをしていた。


「うん。成績落としちゃうと奨学金怪しくなっちゃうから結構本気でやらないといけないテストなんだよね」

 ……割とガチで人生がかかったテスト前だった。


「……ちなみに、成績落とすの、落とすとは……落単とかではなく?」

「んー、GPA3以上キープしないとだから、Bは取らないとだねー」


 GPAとは、大学の成績の平均値だ。中高の通信簿だと、5段階評定だったり10段階評定だったりするだろうけど、それと似たようなもの。A(得点九割以上)が4、B(八割以上)が3と続いて、E(六割未満)が0みたいな。ちなみにEは不可で、俗に言う落単を指す。


「……こんな人生の何の役にも立たないような文学部の授業受けていていいんですか?」

「んー、役に立たないってことはないと思うけど、結局この授業の単位も奨学金に関わるから、ちゃんと出席はしておかないとなんだよねー」


「……そ、そうなんですね」

「それに、普段からちゃんと勉強はしているから、大ピンチってわけでもないし。うん」


 あはは、と軽く笑いながら、テキストに目を落とす稲穂さん。

 それが嘘でも強がりでもないのは、いつもの様子を知っているからよくわかるんだけど。


「ま、まあ、稲穂さんがそう言うなら……」

 そう言いつつ稲穂さんの隣に席を取ると、瞬間机の上に置いてあったスマホがビービーと震え出した。


「あっ、ごめん電話だ。レジュメ回ってきたら取っておいてくれない?」

 稲穂さんはすぐにスマホを手に取って、大教室の外に向かいだす。


「は、はい、わかりました──」

「もしもしお疲れ様です、胡麻です、はい、はい──えっ?」

 ただ、ひとつ気になる点があるとするなら、電話に出た先輩の声音と表情が、一瞬にして固くなったところだろうか。


 ……なんか、限りなく嫌な予感がする……。


 それから、教授が来てからも電話は続いたみたいで、授業が始まって十五分くらい経って、ようやく小さい身体をさらに縮こまらせた稲穂さんが真っ青な顔になって教室に戻って来た。


「……あ、あの、なんかあったんですか?」

「ふぇ? ああ、うーん、えーっと、うん。色々、色々だよ、うん」

 ……絶対やばいこと起きたでしょこれ……。


「……電話、誰からだったんですか? バイト先からですか?」

「え? あっ、う、うん。そ、そうだよー?」

 ……これが稲穂さんじゃなかったら、まあ僕には関係ないしでスルーしちゃうけど。


 稲穂さんの場合、スルーすると本当に路頭に迷うからなあ……。冗談抜きで。

 それはいたたまれないしやるせないしだし……。


「それで? 何の用件だったんですか? シフト代わって欲しいとかですか?」

 それならここまで顔色悪くなるとは思えないんだけど。

「……いや、そ、それなら喜んで代わるよ? お金稼げるし……」

 ですよねー。そうですよねー。……だ、だとすると。


「……まさかとは思いますけど、バイト先、潰れたとかですか?」

 お金を稼ぐ、の逆の。こっちなのでは……?

「ひぅっ」

 僕がそれを口にすると、ビクっと電流が走ったように稲穂さんの背筋がピンと伸びて、ガクガクと唇の先が震え出した。


 これは、図星だな……。


「……も、元からお客さん少ないお店ではあったんだけど、採算が取れないから閉店するって」

「……ちなみになんですけど、いつ頃」

「ら、来週末だって」

 それはまた急なお話で……。


「……で、限りなーく不躾な話で申し訳ないんですけど。……大丈夫なんですか? お金」

「……だ、大丈夫じゃ……ないかも」

 カチカチカチと隣から聞こえてくるシャーペンをノックする音は、なかなか止むことをしなかった。


「どどどどうしよう……テストもあるのに、新しいバイト探す時間なんて……うーん、うーん、うーん……」

 

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