挿話1 ところで悠乃くん、今日が何日か知っていますか?
「うう……一気に冷えるようになったな……」
これまではぶらぶらと遊ばせていた両手が、今はブルブルと震えたままポケットに突っ込まれている。地元の冬はこんなものでは済まないのだけど、東京二年目となると、体のほうも順応してしまうもので。……夏の暑さは未だに適応できないのに。しなくていい順応ばかり進まないで欲しい。
「さむ……早く帰ろ」
最寄り駅から家までの帰り道、首をすくめ猫背になったまま、僕は歩きだしていた。
家の玄関の鍵を開けると、なるほど、先に伊吹が部屋に入っていたみたいで、キッチンで部屋着一枚プラスエプロンという格好で晩ご飯を作っていた。なお、暖房はばっちりつけられている。
「ただいまー」
「あ、悠乃くん、おかえりなさーい」
「……伊吹、そんな薄着で寒くないの?」
「? 寒いですけど、暖房つけてますし。外は全然まだまだ秋ーって感じですけど」
伊吹は作りかけの味噌汁をおたまですくっては、ひとくち味見をする。「うん」と小さく頷いてから、
「東京の家、壁薄くないですか? それに、今更気づきましたけど、東京の家や学校って窓一枚しかないんですね。どうりで外は温かいのに家は寒いんですね」
するすると後ろの紐を解いて、エプロンを脱ぐ。
「……まあ、外以上に家の中が寒いっていうのは同感できるよ」
もうあらかた晩ご飯の支度はできているみたいで、あとはご飯が炊きあがるのを待つだけだろうか。伊吹はすたすたとキッチンからテーブルのほうに向かうと、にっこり何も無駄なものが張り付いてない純粋な笑みとともに、
「ところで悠乃くん、今日が何日か知っていますか?」
絶対何か裏があるだろうなあって質問をしてきた。
「……十一月十一日だけど」
「はいっ。それで、これが何かわかりますか?」
そして、僕の目の前に、印籠のようにお菓子のパッケージを見せつけてくる。その箱に書かれている商品名を読み上げようとすると、
「ぽ、ぽっ……って、い、伊吹……?」
伊吹がこれから何をしようとしているのかの想像をつけることができた。
「朝教室に入ったら、教卓の上に山のように積まれていたんです。みんなにあげるよーってことだったので、私もひとつ貰ってきちゃいました」
きちゃいました、きちゃいました、きちゃいました。
「っていうわけなので、どうですか? 一本、食べませんか?」
パカっと、銀色の包装を開いて、チョコが塗られた棒状のそれを僕の口に渡そうとする。
……あれ? これ、普通にただ一緒に食べたいだけ……だったりするのかな。
それなら、まあ……お言葉に甘えて、
「じゃ、じゃあ、いただきます」
伊吹が手にしているそれを咥えて、ポキっと折ろうとした瞬間。
「あ、折ったら駄目ですよ?」
……伊吹は、棒の反対側の端を、見事に口に含んでいた。
……やっぱりそういうパターンだったかあああ……。少しでも信じた僕が愚かだった。
「それに、家のなか寒いですし、おしくらまんじゅうみたいにくっつけば温かくなるかなーって。えへへ……」
不純なのか純粋なのかはっきりして欲しい。そんなこと言われたら「駄目」って言いづらくなるじゃないですか。
「折ったほうが、今日一日、勝ったほうの言うことをなんでも聞くってことで。それじゃあ、よーいすたーとっ!」
「えっ、ちょっ、いきなりすぎるってそれっ!」
勝負の結果はどうなったかって? ……僕と伊吹の唇は守られた、ってだけ書いておく。
〇
「……うう、どっちにしよう、どっちのほうが石原くん好きかなあ……」
甘いほうが好きなのかな、それともちょっと塩っぽいほうが好きなのかなあ……。
「でもでも、できなければ結局全部わたしがひとりで食べることになるし……うーん、うーん……」
「ママ―。あの女の子、さっきからずっとお菓子売り場にいるよー? 迷子なんじゃないかなあ」「……多分、迷子じゃないと思うから大丈夫よ、大丈夫」
「うーん、うーーーん」
結局、気がついたときには夜の八時を回っていて、とてもじゃないけど今から石原くんの家を訪れるわけにはいかず、渋々買ったお菓子は一日一本ずつ、勉強中にお腹が空いたときに食べることにした。
か、悲しくなんて……ないもん……。
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