第50話 ……それとも僕がチキンなだけなのだろうか

「え、えっと……い、伊吹? ど、どうしたの? 急にそんな格好して……」

「いえ、あの……悠乃くんが私にこういう格好をしろという無言の要求かと思いまして」

「ねえ待って伊吹のなかで僕はどんな鬼畜野郎になっているのさすがにそれはひどすぎないかな」


 ……顎で年下の女の子に裸エプロンさせるとかどんなクズだよ。僕はオタクになった覚えはあるけどクズになった覚えはない。


「違ったんですか? 悠乃くん、喜ぶと思ったんですけど……」

 違くはないけど、喜ぶの漢字がそっちではなく悦ぶのほうがしっくりくる気もするんだよなあ……。


「嫌でしたか? こういうの」

 すると、伊吹はわざとらしく僕の目の前で若干膝を折りたたんでは、上目遣いで顔を見上げる。するとどうなるかというと、およそ柔肌のみを隠す用途には面積が小さすぎるエプロンの隙間から、胸元が見えそうになって──


「ああっ、ちょっ、タンマタンマタンマ」

 ──両手を目で覆ってその先は見まいとするも、その後、


「……慌てすぎですよ、悠乃くん。さすがに私も裸の上にエプロンは恥ずかしいです。一応、下着は履いていますよ?」

 くふふと可笑しそうに口元を押さえた伊吹が、ちょんちょんと僕の肩を指先で突いた。


「ふぇ……?」

 恐る恐る目を開けると、なるほど、胸元はしっかり黄色のブラでガードされている……ってそういう問題じゃなくて!


「……下着なら見えてもいいっていうことでもないからね」

 あれか、心理学とかでありそうなテクニックって奴だな。詳しい名前は知らないけど。


「で、でも……悠乃くんがどうしてもって言うなら、私はいつでも受け入れる心の準備はできるので……」

「……ああうん、考えておくよ」

 もはや突っ込む気力すらわかない。二重の意味でとかではなく。それ言ったらセクハラですよ?


「とりあえず、服着ておいでよ。……さすがに下着一枚じゃ体冷やすよ」

「わかりました。そういうことでしたら」

 僕の提案に大人しく言うことを聞いたと思えば、その場で伊吹はエプロンだけを外して服を着ようとするものだから、


「だああああ!」


 おかげで、凹凸の少ない彼女の身体だとか、粉雪を散りばめたみたいに綺麗な白い肌だとか、はたまたお腹に一か所だけある凹んだおへそだったりだとか。

 もしくは細く伸びた両足から、小さく刺繍が入った黄色の下着だとか。

 あ、駄目だこれ前かがみにならざるを得ない。


 普段ラノベの挿絵とか漫画とか要するに二次元ではよくある光景をいざ現実にされてしまうと、そりゃ悶えてしまうもので。

 ……え、何この世のラブコメ主人公、あいつら実は女慣れしている? こんなの直視できるわけないでしょうが、うほほ、ラッキースケベだじゃないんだよ。


 ……それとも僕がチキンなだけなのだろうか。


「? どうかしましたか? 大きな声出して。何かありましたか?」

 僕が悲鳴を上げている間に、伊吹はしっかり普段着を見に纏っていて、その場でしゃがみ込んで顔を手で覆っている僕を不思議そうな表情で見つめる。


 あれなのか、幼馴染補正って奴なのか。小さい頃に裸とか見たことあるせいで、今更下着くらい見られてもなんとも思わないって奴なのか。

 いや、それでも伊吹は結婚はしたがっているし、そういう羞恥はある程度あるわけだし……。ああもう、考えれば考えるほど頭が変になりそう。


「……なんでもない、なんでもないよ。とりあえず、掃除の続きをしよっか」

「はいっ、わかりましたっ」

 はあ……伊吹のある意味純粋さというか、とにかく僕にいい思いをして欲しいっていう気持ちは嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、時折というか八割程度方向性が強すぎるのが……なあ……。


 浴室に戻って、スポンジを手に取った僕は、浴槽に残っている水垢をゴシゴシと無心で洗い流し始めた。


 と、まあハプニングもあったにせよ、ふたりで頑張って掃除してしまえば、ワンルームなんてあっという間に綺麗になるもので。


「ふぅ、夕方までには終わりましたね」

 掃除を終えた達成感とやらを、僕は抱きながら部屋を眺めていた。


「晩ご飯、どうしよっか。買い物に行くにはちょっと早いけど……」

「掃除で疲れちゃいましたし、蕎麦かそうめんを茹でて、適当にできあいのお惣菜とか買って済ませちゃいますか」

「それで全然いいよ」


 そうして、ゴールデンウィーク初日は、終わっていった。

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