第42話 ……え、えーっと。……私がいない間に何しているんですか? ふたりとも

「ふぎゅっ!」

 ──言うならば、マシュマロ? それとももちもちっとした弾力のあるまんじゅう? はたまた、病院の柔らかいベッドとか?


 そんな御託はともかくとして、僕の目と鼻と口の先には、僕の予想が正しければ、稲穂さんのあれがああでああなっているところが押しつけられているわけで。


 ……え? 何? このラブコメ漫画にありがちなあれは。これがエロゲ―だったらこのままピアノメインのちょっといい雰囲気のBGMが流れ始めて流れるようにピーしちゃうよ? 三次元だとどうなるか知らないけど。


 ……三次元だとどうなるか知らないけど。

 大事なことなので二回繰り返しました。


「い、いてて……ご、ごめんね、こ、転んじゃったよ……」

 しかし、なんの前触れもなくいきなりこんな状態になれば、反応するものも反応してしまうもので、


「……い、石原くん? あ、あの……えっと……」

 それに気づいた稲穂さんは、ようやく胸を僕の顔から離す。そして、視線をわざとらしく倒れ込んでいる僕の頭の真横に逸らしては、


「……な、なんか、色々とごめんね」

 申し訳なさそうに含みを持たせた謝罪のひとことを放った。

「いえっ、あの……これはあれです、生理現象ってやつなので。一分もすれば収まるので」

 まさか生きていてこのかた、生理現象だからって言葉を使うときが来るなんて思わなかった。


 ただ、引き続き僕の上に馬乗りになったままの稲穂さんは、恐る恐るといった様子で、置いていたリュックサックから何かを取り出したかと思うと、


「……え、えっとね……? い、今は用意、あるんだけど……つ、使う?」

 なんか見覚えのある正方形のあれを持ち出したではないか。……これで、口で咥えたりしようものなら完全に某イラストコミュニケーションサイトで目にしたことがあるレベルの既視感だ。


「ぶっ、ぶほっ! えっ、ちょ、な、なんで持ってるんですか? え?」

「……だ、だって、この間石原くん、万が一のことがあったらって言ったから、それで、それで……うう……」


「確かにそう言いましたけどそれとこれとは話が別っていうか」

「そっ、それにっ、お、男の人って一度ムラムラすると結構大変なんでしょ? わ、わたしの家もそうだったし、そ、そうなんだよね?」


 流れるように胡麻家の家族事情を大っぴらにしないでくださいいい! っていうかお義父さんお義母さん(?)、娘さんにプロレスごっこ見られてるんじゃないですかあああ!


「大変は大変かもしれませんがそれをどうにか我慢する方法を一般的な男は兼ね備えているので大丈夫です。持ってなければ今ごろそいつは犯罪者なので」

「そ、そういうものなの?」

「そういうものなんですっ」

「そ、そうなんだ……」


 僕がそう答えると、なぜかちょっとだけ残念そうな表情をする稲穂さん。視線をやや伏せさせたかと思うと、やや吐息混じりの声ですると、

「今日……、い、石原くんが買ってくれた下着、つけてるんだけどなあ……」

 ぼそっと、なかなかに聞き捨てならないことを言いのけた。


 そしてトドメは、

「た、誕生日プレゼントは、わ、わたしだよ? て、的なあれでもいいかなーって……あ、あはは……」

「…………」


 あー、これは一回頭冷やしたほうがいいやつだ。思考回路がまともじゃない。この調子でいくと、後戻りできないところまで連れて行かれそうだ。


「だ、だからね、石原くん。わ、わたしのことも、少しはちゃんと見て欲しいなあって……はは、あはは……」

 乾いた笑いとともに、稲穂さんは、着ていた白色のワイシャツのボタンをひとつふたつ、外した。そのせいで、僕のお金で買ったというピンクのそれが覗いていた。


「あのっ、ちょっ!」

 もはや、なんの意味もなさない声をあげることしかできない僕を伏し目に見下ろす稲穂さんは、三つ目のボタンを外そうとしたとき、


 ガチャ、と玄関の扉が開く音がした。げっ、もうそんな時間になっていたのか。


「ただいまー、すみません悠乃くん、買い物して帰るつもりだったんですけど、お金足りなさそうなの思い出して……」


 あいにく、僕の部屋はワンルーム。玄関からすぐに部屋の様子を見ることができるわけで。となると、隠そうとする暇もなく、今帰ってきた伊吹の目には、このくんずほぐれつの状況がばっちり視界に収まっていて……。


「……え、えーっと。……私がいない間に何しているんですか? ふたりとも」


 チラッとテーブルに転がっているチューハイの空き缶に目をやってから、過去一低く冷めきった声で、伊吹は僕らにそう言った。

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