第39話 悠乃くん成分の補給です
「い、石原くん……? どうしたの? 急にむせちゃって……」
きょとんとした顔で、貝を掴んだままの稲穂さん。まさか、食事中にあからさまな下ネタを口にするわけにはいかないので、僕がしどろもどろとしているうちに、
「──あっ、そっ、そういう意味じゃないよ? そ、そういう意味じゃっ……」
稲穂さんも僕がむせた理由に気づいたみたいで、両足をきゅっと閉じては、自分の局所を隠すような素振りをしてみせる。
「……? ふたりとも、どうかしたんですか? なんか恥ずかしそうに俯いて、ご飯食べないんですか?」
ただ、まだ比較的純粋と言うべきか、高校一年生の伊吹には意味が通じるはずもなく、稲穂さん以上にわけがわからなさそうに首を傾げている。
……これが年を取って不純になる、ってことなのだろうかと、少し悲しくもなった。いや、ことの発端は僕なのだけどさ。
「んえ? あ、た、食べるよ? 食べる食べる」
これ以上箸を止めるのもあれだし、僕と稲穂さんは今しがた頭に思い浮かべた下ネタを振り払って、目の前にあるお刺身をもぐもぐと再び食べ始めた。
「……そういえば、そろそろ石原くん、誕生日だよね?」
ご飯も食べ終わり、せめて後片付けくらいはと言い出した稲穂さんがシンクで食器洗いをする横で、僕は洗い終わったものを拭いていた。
「は、はい、そうですけど」
「これで二十歳になるんだよね」
「来月から僕もお酒を飲めるようになりますね」
「そ、そうだよね、そうだよね……。ふーん」
稲穂さんはそう返すと、少しの間黙々と手を動かして、食器洗いに意識を戻した。
「……あ、あの、別に無理しなくてもいいですからね? そこまでしてプレゼントとか欲しいわけじゃないので」
というか、伊吹に何欲しいか考えておいてって言われたのにまだ決まってないし。
「ふぇっ? あっ、う、うん、そ、そうだねー、うん」
僕の心配をよそに、稲穂さんは稲穂さんで何か考え込んでしまっているし、それを端から見ている伊吹もなかなか険しい顔つきだったし。
……誕生日、ひとり居酒屋で酒飲むのもアリな気がしてきたなあ……。できっこないんだろうけど。
僕は買い物帰りに買っておいた胃薬を放り込んでは、冷蔵庫にしまっておいたペットボトルのお茶で流し込んで食器拭きに戻った。
タイミング良くというか、悪くというか、ちょうど薬を飲んだタイミングで、胃がキリキリと音を鳴らし始めた。
「そ、それじゃあ、お邪魔しました……」
後片付けも終わると、稲穂さんは「さすがにこれ以上は申し訳ないから」と言い、家を後にした。駅まで送ろうと思ったけど、伊吹が顔色ひとつ変えずに「はーい、お邪魔されましたー」なんて言うものだから、足は凍り付いて家に留まらざるを得なかった。……これで駅まで送ったら何をされるか。
さて、稲穂さんが帰って僕と伊吹のふたりきりになった部屋のなか。お互い、あとやることと言えばお風呂に入って寝るくらいで、要するに食後の暇な時間を迎えていた。
僕はベッドの側面の背中を預けて、読みかけにしていたラノベを電子で読んでいた。けど、稲穂さんを晩ご飯に招待したときから若干(どころかかなりかもだけど)機嫌が斜めの伊吹が、
「むううううううう」
真横に位置取っては、鼻先がくっつきそうなくらい近づいて僕の顔をじっと見つめてくる。
「あ、あの……い、伊吹?」
かと思えば、僕の右肩に寄りかかってくる。彼女の柔らかく華奢な体が、僕に身を預ける。
「ど、どうかしたの?」
「……悠乃くん成分の補給です。今日は胡麻さんに邪魔されちゃったので」
「……せ、成分て」
僕が困惑していると、さらにきつくくっついてくる。
「あ、悠乃くんが私の成分を補給したいならそれでも大丈夫ですよ? 私はいつでもウェルカムです」
「は、あはは……ウェルカムね……」
「……誕生日、お家にいますよね? どこかに行っちゃったりしませんよね?」
三十六度前後の温かい感触が右半身から伝ってきては、どこか訴えかけるような瞳で伊吹は僕に話す。
やばい、ひとりで居酒屋に行きたいっていう考えがバレたのかもしれない。
「い、行かないよ、そんなわけ……」
ない……よ。
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