第37話 あ、あははは、な、なんかすっごい見られてるね、わたし

 スーパーで買い物を終えた後、しっかり薬局で胃薬と頭痛薬を確保した僕は、未だ犬猿の仲の伊吹と稲穂さんを両隣に、夕暮れどきの家路を進んでいた。


「むうううううううう(せっかくふたりの時間だったのにいいいいい)」

「あ、あははは……」

 まあ、この様子を見る限り、繰り返しにはなるけど、稲穂さんが単に嫌われているだけ、みたいだけど。


「と、ところで、なりゆきで晩ご飯誘っちゃいましたけど、予定とか大丈夫だったんですか? バイト、ないんですか?」

「えっ? うん。今日の朝まで五連勤してきたから、しばらくバイトはお休みなんだ」


「……夜勤を五連勤、ですか?」

「そ、そうだけど」


 ……僕なら間違いなく倒れる自信がある。いや、帰った後ぐーすか寝ていいなら平気だけど、稲穂さんの場合授業もちゃんと出てるしプラス勉強の時間もあるしで、


「……まじで倒れないでくださいね」

「あ、ありがとう……」

「むうううううううう(下品なおっぱいで悠乃くんをたぶらかす人めええええ)」

「あ、あははは、な、なんかすっごい見られてるね、わたし」


 ……別に何か口を開いているわけではないんだけど、刺すような視線だけで何を言わんとしているかはなんとなく伝わってくる。

 正直、野良猫の喧嘩の仲裁に入っているような気分で、徒歩数分の道のりを過ごしていた。


「……お、お邪魔しまーす」

「ただいま」

 ……申し訳なさそうな声と、それに対する当てつけ。どっちがどっちの声のものか言う間でもないだろう。


 そういえば、稲穂さんを家に上げるのはなんだかんだで初めてだ。もう何度も僕の部屋に来ている伊吹は迷いなくキッチンに向かい、手を洗ってからすぐに晩ご飯の支度を始める。その間も稲穂さんは、部屋をキョロキョロと見回しては、玄関に立ち止まったまま。


「どうぞ、上がってください。狭い部屋ですけど」

「ううん、わ、わたしのオンボロアパートよりよっぽど綺麗だよっ。水回りもだし、部屋も広いしっ」


 それは……まあ、そうですね、としか答えられないくらい、確かに稲穂さんの部屋は年季が入っている。僕は苦笑いを浮かべては、僕の靴とサンダルを靴箱に押し込んで、女性陣ふたりの靴を置けるスペースを確保した。


「あ、ありがとう」

 稲穂さんはできたスペースに、古びた小さなスニーカーを並べて置き、部屋に上がり込む。すぐに、伊吹のもとに歩み寄っては、


「わ、わたしも何か手伝う?」

 そう申し出たのだけど、

「いえ、大丈夫です。胡麻さんはどうぞごゆっくりお待ちください。あ、悠乃くんとイチャイチャするのは許さないのでそのつもりで」


 まな板の上で白菜を切り刻んでいる伊吹はそれを一刀両断。稲穂さんの協力は一切受け付けない、という意思表示だ。

「そ、そっか……」

 稲穂さんは、取りつく島もなく、ちょっと落ち込んだ様子でリュックサックから勉強道具を取り出した。


「じゃ、じゃあ、待ってる間、勉強してもいいかな」

「全然大丈夫ですよ。あれでしたら、机使っても」

 自然な流れで床にノートと参考書を広げたので、僕は堪らず稲穂さんに空いた机を指さす。


「あっ、そ、そうだよね、机、あるんだよね、あはは……じゃ、じゃあお言葉に甘えて、借りちゃおうかな」

「……なんか、はい、すみません」

 でも、当たり前のように床で勉強しようとしたから……。


 そのまま、稲穂さんは勉強机で参考書にかじりつき始めた。僕も、伊吹が晩ご飯を作り終えるまで、ベッドの上で漫画を読んで暇を潰すことにした。


 しばらくすると、味噌汁のいい香りが部屋のなかに広がって、

 キュウゥ……と、みたび可愛らしい虫の鳴き声が聞こえた。


「悠乃くん、ご飯できましたー」

 余程お腹を空かせていたのだろう、稲穂さんはテーブルに並んだお刺身やご飯、味噌汁や、副菜のおひたしを眺めて、ごくりと唾を飲み込むのがわかった。


「……ほ、ほんとに食べていいの? こ、こんなご馳走」

「い、いいんですよ、誘ったの僕ですし」


 僕がそう返すと、パッと彼女は顔を綻ばせて、食卓の前についた。

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