第33話 そんなこと言わずに。何でもいいですよ?
「た、ただいまー」
自宅に帰ると、ラインで連絡していたように、伊吹は僕の部屋で映画を見てのんびりくつろいでいた。お風呂上がりのようで、パジャマ姿、というオプション付きで。首元にバスタオルを巻いては、火照った頬と対照的に薄い水色の水玉模様のパジャマは、なかなかにそそるものがある。
「あ、おかえりなさい、悠乃くん。…………」
首だけこちらに向けた伊吹は、しばらく僕の顔をまじまじと見つめたかと思うと、不思議そうに小首を傾げる。
「ど、どうかした? なんかついていた?」
「……いえ、なんとなくラブコメの香りがしたので」
ラブコメの香りって何、むしろ教えておくれ、僕に。
「でもよかったです、これで朝帰りとかしたらどうしようかなあって思っていたので」
すると、伊吹は視線をテレビ画面に戻しては、両手で何かをスパッと切り落とす素振りをしてみせる。
……その意味ありげなジェスチャーの意図は何処でしょうか。おお、怖い。
内心冷や汗と、表情には苦笑いを張りつかせた僕は、カバンを椅子にパタリと置いては、ベッドの上に座り込む。
流れている映画に意識を向けると、どうやら少し昔の洋画を見ているようだ。……思いっきりドンパチとか、爆発のなか車で逃げまくっている類の。それを無表情で見続けているからある意味凄い。
「……伊吹って、こういうアクション系の映画、得意だっけ?」
「いえ。あんましですけど、洋画ってどんなジャンルにも濡れ場ってあるじゃないですか、お約束的に。どういうムーブをしているのか参考にしようかなって」
「…………。そっか、そっか、うん」
言ってしまえば予想通りと言えば予想通りだった。そういうところ彼女はなかなかブレない。
テレビのなかの主人公たちが、ようやく安全なところに逃げ込んだシーンで、伊吹は、
「そういえば、そろそろ悠乃くんの二十歳の誕生日ですよね? 何か欲しいものあったりしますか?」
ひと息つくように手元に置いてあったホットミルクを口に含んでから、尋ねた。
「……いや、別に、そんなにないけど」
「そんなこと言わずに。何でもいいですよ? あ、さすがに高いものは無理ですけど」
「……と言われても、なあ……」
そう、四月末は僕の二十回目の誕生日だ。晴れて僕も成人を迎えるわけなのだけど、
「実家にいたときも欲しいものなかったから親からはリンゴのカードと図書カード貰ってたし……」
リンゴのカードはソシャゲの課金に、図書カードは漫画やライトノベルに溶けていった。毎年のことだけど。
ただ、それを年下の幼馴染にたかるのはちょっと、なあ。……さっきの稲穂さんも同じような気持ちだったのかもしれないけど。
「うーん、さすがにそれは味気ないですし、何か別のものがあればいいんですけど……。まあ、いいです。何か欲しいものが見つかったら、私に教えてください。何もなかったら、私のほうで適当にいい感じのものを準備しておくので」
「は、はぁ、考えておきます……」
話しているうちに、なんか映画は湿っぽいBGMが流れ始めるし、かと思えば、主人公とヒロインらしき女性が生まれたままの姿でなんかやり始めるし。
「「…………」」
これが、俗に言う気まずい瞬間、ってやつなんだろうけど、伊吹は特にそういった反応を示すことも、目を逸らすこともなく、ただただ無表情で件のシーンを眺めている。
ふと、伊吹の手元に目をやると、スマホのメモ機能を使って色々箇条書きにノートを取っているし。
……が、ガチだこれ。ガチで参考にしているやつだ……。
幼馴染の末恐ろしさを感じながら、僕も一緒に映画を見るのに付き合って、その日は終わっていった。さすがに停電も雷もない状況で僕の部屋に泊まると言い出すほど、伊吹も子供ではないみたいで、映画が終わるなり、そそくさと使っていたマグカップを片手に「お邪魔しましたー、では、また明日」とおやすみの挨拶をして自室に戻った。
……も、もっと根掘り葉掘り事情聴取してくるかなと思ったけど、意外とそうでもなかった……。そこが逆に怖いんだけど……。
なんて思ったタイミングでラインの通知が鳴り響き、画面を見ると、
松江 伊吹:あまり聞いちゃうと、信用してないみたいに思われるかなあって思ったので
松江 伊吹:聞かないでおきましたけど、大丈夫ですよね?
「……あはは、大丈夫だよ、大丈夫」
うん、やっぱり怖かった。
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