第31話 衆目にスイカふたつ揺れているのをさらすつもりですか

 しかし、こんな緊急事態のときであろうと、稲穂さんはどこまでも気を使ってしまうみたいで、

「……でっ、でもさすがにそこまでしてもらうのは申し訳ないというか……」


 壊れた下着をトイレで脱いでリュックにしまった稲穂さんは、戻ってからおろおろした様子で僕にそう言う。


「……本当に申し訳なく思うなら今すぐ新しい下着買ってください衆目にスイカふたつ揺れているのをさらすつもりですかあとなんか点Pと点Qが秒速1センチメートルくらいの勢いで動いているのを見せられるともう前屈み以外の体勢で歩けないんでまじで」


 桜色なのか桃色なのかピンク色なのか知りませんけど。っていうかテンションおかしくなりすぎて僕の口調がおかしくなっているし。

「うっ、うう……わ、わかったよお……」


 僕の説得にようやく応じた稲穂さんは、それでも泣きそうな顔のまま、近くの下着を取り扱うショップに駆け込む。……実際、四限終わりの時間から映画見てってなると、レストランはともかく、他のお店は営業時間が終わりかねない。そうなると、本当に羞恥プレイになってしまう。


 僕は一緒についていくわけにはいかないので、お店の近くで待っていると、少しして稲穂さんが目で「れ、レジまで来てえ……」と訴えかける。何事かと先輩のもとに近づいていくと、なるほど、僕が貸したクレジットカードのことかとすぐに納得した。


 暗証番号を打ち込んでは、サッとその場を離れる。……そういうお店特有の陰キャ男を引き寄せない雰囲気っていうか、あそこに長い間いたら息が詰まりそう。


 それから、もうまるで自分の弟か妹がお隣さんの家の窓ガラスを割ったくらい申し訳なさそうな顔をして、稲穂さんはおずおずとレシートを僕に差し出した。


「ら、来月バイト代入ったら返すから、それまで待ってもらっていいかなあ……」

 試着室で既に新しい下着はつけたみたいで、もうさっきまでの揺れは観測されていない。よかった、日本の平和は守られた。


「いつでも大丈夫ですよ。なんだったら分割二十四回とかでもいいですけど」

「うっ……。てっ、手数料はおいくらでしょうか……?」

 ……あかん、マジで検討しちゃっている。そこまでだったか。


「じょ、冗談ですよ冗談。利子ゼロでいいですって」

「利子ゼロ……ひぅっ。じゃっ、じゃあ代わりに身体で支払えってことなんだね……そ、その、まだしたことないから優しくしてもらえると……」

「……稲穂さん、落ち着いて、下着代以外何も貰いませんから安心してください。僕は悪徳金融業者じゃないんで、ただの大学生なんで」


 僕は受け取ったレシートを丁寧に折りたたんで財布にしまうと、パン、とわざとらしく手を叩いては、

「よし、じゃあひとまず落ち着いたことですし、晩ご飯にしましょうか? 何食べます? 稲穂さん」


 話題をご飯に強制的に移行させた。ただでさえ小さい身体をさらに小さくさせて、デフォルメされた2Ⅾキャラみたいになっている稲穂さんは、


「……じゃ、じゃあ、あのうどん屋さんがいいかな」

 学生のお財布に優しい割安なチェーン店を指さした。


「ほんっっっと今日はごめんね……こんなつもりじゃなかったのに……うう……」

 うどん屋さんに入ってふたり掛けのテーブル席に座るなり、稲穂さんはすぐに両手を合わせては頭をテーブルにこすりつけるくらいの勢いで頭を下げた。


「全然全然、だ、大丈夫ですよ」

「こ、この埋め合わせはそのうちするから」


 なんだろう、この流れ、ここ最近めちゃくちゃ聞いている気がする。そして伊吹が「むううううう」と嫉妬するまでがセット。ってことは、この後伊吹の嫉妬パートが来るのか、胃痛が……。


「……それで、最近ろくなことになった記憶がないんです……けど……」

 なんて思っていたからか、僕は不意に本音を漏らしてしまった。ただ、それは稲穂さんにとっては、


「……あっ。いっ、いやっ。ちっ、違うからねっ、い、いつもなわけじゃないからね? た、たまにだからね?」

 この間の縮れ毛と、丸まったティッシュ事件を思い起こさせるもので、恥ずかしそうに両膝をくねらせ始めた。


「……なんか、すみませんでした」

 いたたまれなくなった稲穂さんは、店員さんを呼び出すボタンを押しては、ボソボソと掠れた声で「きつねうどんひとつください」と注文をしていた。


「あっ、じゃ、じゃあ僕はかき揚げうどんと卵とじ牛めしのセットひとつで」

 僕も慌てて注文を済ませると、改めて稲穂さんのあの部屋の光景を思い出してしまう。


 …………。やめよう。食事前だし。


 いや、知っているのと、目の前に座っている人がしているのを把握しているのは別物だと思うんですよ。なんというか、罪悪感が……、えげつない。


 頼んだメニューが届くまでの間、どことなく気まずい時間が、流れていた。

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