第30話 ……持ち合わせ、あと千円しかないんだ……

 結論から先に言おう。全然大丈夫じゃなかった。

 僕の予想したとおり、映画にはそれなりに濃厚なシーンがあったし、なんだったら若干の濡れ場(序盤)もあった。そのシーンが来る度に、隣の座席に座っている稲穂さんは、「……ひぅ」やら、「ひゃあ」とか、なんだったら何も言わずに口をパクパクさせるという初心っぷり。


 ……それでいてすることはひとりでしているというのだから……げふんげふん。いや、あんな場面、忘れようと思って忘れられるものじゃないです。はい。

 映画が終わって、シアター内の照明がついたときには、完全に稲穂さんは茹でタコになっていた。


「……い、稲穂さん? だ、大丈夫ですか?」

「ふぇ? だ、大丈夫だよ? こ、これくらいじぇんじぇん」

「……先輩、スマホ上下逆になってます」

「へ? あっ、いやっ、こっ、これは最近わたしのなかのマイブームっていうか」

 ……過去にも先にも、スマホを上下逆に持つのは流行らないと思います。


「そっ、それにわたしお姉さんだし? これくらいの刺激じゃ全然、なんてことないよ、えへへ、えへへへへ」

 ……本当にそう思っているならせめて今は内股で歩かないで頂きたいんです。……ティッシュの件といい、誤魔化すのが致命的に下手すぎるんです、稲穂さん……。


「……と、とりあえず、晩ご飯食べに行きましょう?」

「え、あっ、でっ、でも」

「いいのでいいので」


 そうして映画館を後にした僕らは、すぐ近くにあるアウトレットモールへと入った。エスカレーターを上っていっては、レストラン街を目指していく。が、途中で稲穂さんの足が止まったかと思うと、ある服屋さんの前で物欲しそうな目でマネキンのことを見つめていた。


「どうかしたんですか? 稲穂さん」

「えっ、あっ……いや、この服、可愛いなあって思って」

 稲穂さんは、自分の服とマネキンの服とを比べつつ、


「……でも、今月教科書代で大分お金かかってるし……うーん……」

 財布を開いては悲しそうにため息をつく。


「この服、買ったの大分前なんだよね。おかげで、友達からはなんか子供っぽいねってよく言われちゃって。まあ、他の服も大概なんだけどね」

「そ、そうなんですね」

 どうりでいつもの服装もどこか幼げに見えるわけだ。


「今、『稲穂さん、昔から体小さいままなんだなー』って思ったでしょ」

 僕がそんな単調な反応を示すと、稲穂さんはぷくぅと頬っぺたに空気を溜め込んでは、腰に手を当てて前かがみになって僕に白い目を向ける。


「いや、全然そんなこと」

「はぁ……この間実家帰ったら、妹がわたしの身長追い抜いてショックだったし、いつになったらわたしの順番くるのかなあ……」


 もう、別の順番は来ているので、身長の番は来ないんじゃないでしょうか、と思ったけどそれを言うと本当に怒られそうなので、言葉にはしない。


「稲穂さん、晩ご飯何食べたいですか? なんか、美味しいご飯食べたくないですか? 回転寿司とか」

 このまま服の近くにいると、稲穂さんがどんどんブルーになってしまうので、慌てて僕は話題をご飯に切り替える。が、

「お寿司っ⁉」


 お寿司につられて急にマネキンから僕のほうへと身体の向きを変えた稲穂さんから「プチっ」というなんか嫌な音が聞こえてきた。


「あっ」

 ……瞬間、稲穂さんは朝顔の花が萎む要領でしゃがみ込んでは、鈴が鳴るくらいの大きさの声で、


「……どっ、どうしよう石原くん……」

「どうかしたんですか……? 稲穂さん」

「……ぶ、ブラが壊れた音がした……」

 僕に助けを求めた。


「……ま、マジですか」

「……うう、サイズ合わないの無理に使い続けたからかなあ……でも、よりにもよって出かけているときに壊れなくても。どどど、どうしよう……」


「どうするもこうするも、新しいのを買うしか……」

「……持ち合わせ、あと千円しかないんだ……」


 悲痛な表情で、稲穂さんは財布の中身を僕に見せる。……そこには、確かに五百円一枚と百円五枚しか入っていない財布があった。お札ですらないのが空しい。


「……僕が立て替えるので買ってください。正直、その大きさのそれを揺らして歩かれたら、まじでもつ気がしないんで」


 突如始まった大ピンチ、僕はクレジットカードを取り出して稲穂さんに差し出していた。

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